第五話『吸血種殺し(ヴァンパイア・ハンター)』
──月明かりの下で、刃と刃が交差する。
「おらよッ!」
「アハ、アハハハ!」
部隊は建物の屋根の上。
小柄な少年、フェイによる鋼鉄の円舞曲。
まるで拘束から解き放たれた囚人のように、吸血種の身体能力を活かしながら仕掛けた連撃に対し、『吸血種殺し』の青年は最低限の動きでそれをいなし続けている。
「もう一回喰らっとけ!」
攻防の最中、青年はナイフを持たない方の腕を掲げると血液の球体を生み出した。それが瞬間的に光を発した様に見えると、すぐさま形状を変え、鋭い鞭の様な刃としてフェイへ迫る。
形状ゆえか、それとも青年の力ゆえか、刃は見えにくく高速だ。凝固させた血液となれば破壊力は想像に容易い。
「それはさっき見たサっ!」
だが、フェイは姿勢を逸らしながらナイフを振るい、その血刃を打ち払う。
既にフェイの服の袖の一部は千切れていて、少なくとも一度以上は腕を両断されているらしい。そして再生も同様だ。
対して青年の服装と体に傷はない。これは単純に傷を負っていないからで、彼の持つ技術と能力の強さがそれを証明している。
フェイの得物はただの金属性のナイフ──それも普段彼が仕事や家事などで使っている果物ナイフで、青年の使う得物は弱点である銀のナイフという差があるが、それでも二人は一進一退と呼べる攻防を繰り広げていた。
その一番大きな要因は、彼らの身体能力の差だ。
「ハハッ、凄い凄い!」
「ッらぁ!」
フェイが二回の斬撃を繰り出す間に、青年は血刃と銀のナイフの合わせ技で防御と攻撃を両立させている。だが基本的にフェイの攻撃の方がより早く、より重い。
「テメェ、何者だ。吸血種になったばかりにしては適応力が高すぎる。本当なら向上しすぎた身体能力に数日間は動揺しててもおかしくねえはずだ」
「いやいや、僕は正真正銘、昨日なったばかりの『新人』さ!」
肩口を狙った銀のナイフを受け流し、反撃で青年の腕を切りつけるが、浅い。
本当ならば両断する気でいた。
噴き出した血液が逆再生のように腕の中へ戻り、傷が再生する。どうやら軽傷ならばすぐさま回復してしまうようだ。
「それに僕は元商人だよ? 善良な市民を捕まえて何て言い草なんだ! 酷すぎるよ!」
「テメェみたいな頭のおかしい善良な市民がいてたまるかァ!」
更にフェイはナイフを振るうが、青年は背後に飛び退くと再び血液の球体を生成する。今度は鞭のように巨大な血刃ではなく、無数の棘の様な血が飛び出し、それが弾幕となって襲い掛かってきた。
「なんだそれ! 吸血種ってなんでもアリなの!?」
屋根の上を疾走し、飛び移り、時にナイフを振るって弾幕を避けていく。
青年もそれに追随するようにして、平行に屋根を駆け出した。
「同類のクセに知らねえとは哀れだなァ?」
「初心者虐めはダサいよ、先輩」
「言ってろ。どうせテメェは初心者のまま死ぬ」
屋根に飛び移る様にして向かってくる青年と、それを迎え撃つフェイが空中で交差する。互いの位置が入れ替わるほど激しい剣戟が火花を散らし合った。
「よぉっと!」
「逃がすかよ!」
連続する建物の端にたどり着き、フェイは血棘の弾幕から逃れるようにして無人の道へ飛び降りる。
当然とばかりに追いかけてきた青年のナイフをいなすと、二人は下へと続く路地裏の階段道へ飛び込んだ。
「細道か……だったらこういうのはどうだ」
地面を踏みしめる事で強引に立ち止まった青年が、笑みを浮かべながら壁に手を当てる。
「『紅穿』」
魔法を発動するように、しかし魔法の名前じゃない何かを呟いた。
「……これは」
四方八方から視線を向けられている様な妙な感覚に、鋭くなったフェイの五感が反応を示す。
不思議な違和感。
地形の中を魚が泳いでいるような、体感した事のない特異な───
───瞬間、足元と周囲の壁から飛び出した血の槍を、フェイは反射的に紙一重で避けていた。
「…………おぉっッ!?」
思考よりも先に動いたようで、視界を遮る血液の群れに驚きの声を上げる。
人間一人分の隙間がない程に、血液の槍はあらゆる方向からフェイへ襲い掛かっていた。足元や壁は当然として、建物から建物へ移るための通路からも伸びている。
しかし、腰を曲げ、腕を曲げ不格好な姿勢を保ちながらも、直撃した槍は一つもない。あと少し位置がズレていたら当たったかもしれないが、対処できたのは吸血種の身体能力ゆえだろうか。
「チッ……いい反射神経してんじゃねえか」
舌打ちをしながら、青年は壁に当てていた手をゆっくりと元に戻していく。指の幾つかの箇所から血液の線が見えたかと思えば、フェイに襲い掛かった血の槍はゆっくりと地形へ引っ込んでいき、やがて全てが青年の指の中へ戻っていった。
「へぇ……」
──血液を利用した攻撃は昨日の人達もやってたとして……更に細かく更に早く、そして再利用も可能と。
どうやら掌から地形へと血液を伝播させ、それを変化させて攻撃を仕掛けて来たらしい。だというのに槍が飛び出した地面や壁には何の傷も無い。
一体どういう原理なのかは分からないが、周囲の地形に影響を与えずに血液の操作を行えるようだ。
「……」
それを見たフェイは、ゆっくりと掌を前に突き出した。
指を動かしながら力を込めて「んんぐ」と唸っているが、何も発生しないし変化も無い。その様子を見て青年は怪訝そうに眉を顰めた。
「んん……」
「…………何やってんだテメェ」
「いや、君みたいに出来ないかなって」
「──このヤロウ」
怒気の含んだ声を上げて、青年は勢いよく両手を前方に伸ばす。
「ナメてんじゃねえぞッ!」
瞬間、青年の掌から赤黒い血液が滲み出し、やがて爆発したように前方へ伸びていく。
それは棘だ。
赤黒く、鮮血の形状を変化させた棘の大群が路地裏の階段道を埋め尽くし、フェイの視界を染めていく。
──避け……いや、足が!
当然、瞬時にフェイは上へ逃げようとしたが、その瞬間足が動かない事が気付いた。
視線を向けるまでもない。先ほどの攻撃を見た後だからこそ分かるが、いまフェイの足は青年が地面越しに伝わせた血液によって拘束されている。
それも吸血種の身体能力で千切れないほど強く、硬く。
恐らく放たれた血液が大袈裟なほど広範囲なのは、単純にフェイの回避を抑制する効果もあるのだろうが、足元に伝わせた血液に気付かせないようにするという意味もあったのだろう。
そして、まんまと罠に嵌ってしまったという事だ。
「アハッ」
だが、それでこそだ。
ここまでされなければ、退屈など紛らわす事は出来ない。
フェイは動かず、両手を広げて棘を歓迎した。
顔に、腕に、腹に、足に、言及する事が無駄と思えるほど、全身に突き刺さっていく。
「いいよ」
階段や壁の表面が余波を受けて剥がれ、同時に直撃を受けたフェイの体が後方へ押し出されていった。
「───勝負といこう」
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吸血種、もしくは吸血種混じり同士の戦闘は、非常に特殊である。
まず、単純な出血や肉体の欠損による勝敗が着かない。
『固有能力』によって魔力が尽きるまで再生し、血液も補充されるからだ。
大多数の吸血種は首や心臓を潰されれば死ぬが、一部再生力の高かったり、特殊な者はそれでも死なない。二つを同時に潰してようやくといったところだろう。
この場合勝敗を分けるのは、互いの吸血種としてのもう一つの『固有能力』、体内の血液や魔力を変換したモノを操る『血液操作』と、所有する得物である。
即ち、銀性の武器。
もしくは聖なる力が込められた特別製の武器。
これらを利用して初めて、吸血種に対する明確な有効打となるのだ。
だが、これには一部例外が存在する。
───吸血種となったばかりの者。
彼らは肉体を損傷するという事に対する慣れがまだなく、その上、別種族に変化した事によって、一時的に肉体が不安定になっている。
移行を終えたとしても、しばらくは万全に力を振るえない。知識もなければ感覚的な経験に乏しいからだ。
そういった人物に対しては、肉体を激しく損傷させる事が有効打となる。
「お~~~~し直撃ッ! 全身隈なく串刺しだ」
手を叩き、フェイを襲った青年は笑みを浮かべる。
彼の視界は自身の生み出した血液の武器によって埋め尽くされ、フェイの姿も見えていないが、最後に直撃したところまではハッキリと見えた。
これならば確実に致命傷となっているはずだ。本当なら傷口はすぐさま再生するのだろうが、吸血種の血液が含まれている物体は特別製。
他者の血液を侵食し、その再生を遅らせる効果がある。当然、フェイが少し前に行っていたように患部を取り除けばその限りではないが──流石に全てに対処するのは不可能だろう。
「よッと」
青年は路地裏を埋め尽くす血液の棘に手をかけ、そのまま上に登って歩いていく。棘は当然鋭く尖り、歩きにくいが、そこは生み出した者として当然理解している。
そして道の半ばまで歩みを進め、先頭にたどり着けば、下を覗き込む。そこには棘に全身を貫かれているフェイがいた。
「よう、気分はどうだ?」
「いッ……ア……!」
嘲笑を浮かべながら声をかければ、フェイは鈍い声を上げて身動ぎする。
そしてそれが要因となり、体中に刺さった棘が段々と抜け始めた。抑制されているとはいえ、再生は働いている。
それらが合わさって、彼はそのまま階段へと落下した。
「ア……ァアア……!!」
塞がらない傷口から血が滲み出し、フェイが徐々に声を上げ始める。
彼は胴体を中心に大きく穴が開いていた。四肢や肩などの太い部分は当然として、指などの細い部分は貫かれた挙句千切れてしまう部分もあるようだ。
ならば当然、それに追随する痛みも存在する。
「いッ、たい、痛い! いタい!! ア、アァアアアァアアッ!!」
「っはは! 流石のテメェも全身を貫かれりゃ悲鳴も上げるか! はははははは!!」
先ほどは四肢を切断されても悲鳴の一つすら上げなかったフェイが、現在はご覧の有様だ。その事実に青年は思わず、対照的な笑い声をあげてしまう。
これがもし、青年の方が全身を貫かれていたとしたら、悲鳴はあげなかった。それは単純に戦闘経験が豊富であり、大怪我を負う事に慣れているからだ。
怪我を繰り返せば感覚は麻痺し、そして痛みが邪魔だと気づき始めるだろう。
吸血種同士の戦闘において最も不要なのは『痛み』なのだ。だからこそ『吸血種殺し(ヴァンパイア・ハンター)』である彼は痛みを無視したり、抑制する術を身に着けている。
だが、フェイは別だ。
彼は推定吸血種となって数日の新参者であり、そこに歴史も経験もない。多少狂った人間ならば四肢切断程度の痛覚は無視できるのかもしれないが、それでも全身を貫かれて声を上げない人間はいない。
少なくとも、青年が今まで遭遇した中ではいなかった。
「ははっ」
棘の先端から飛び降りて、青年は地面へ音もなく着地する。
未だ月は空の頂点で輝き、夜明けが訪れる気配はない。むしろここからが丑三つ時──夜本番といったところだろう。
「痛い、いたいいたたあぁああああああああああああああ!!」
「吸血種が『月』に見守られながら死ぬたァ、いい最期じゃねえか」
叫ぶフェイを無視して、青年はゆっくりと近づき、腕を振るう。するとどこからともなく掌にナイフが出現した。
言うまでもなく、吸血種の弱点である銀で作られたナイフだ。心臓や首に刺せば例え最強格の吸血種であろうとも殺す事が出来る。
心臓がやられているのか、フェイは胸に手を当てながら悶えている。
変に抵抗されるのも面倒だと考えた青年は、首を両断する事に決めた。
「ああぁああああ!」
「悪く思うなよ。恨むなら──お前を吸血種にした『親』を怨め」
そして、フェイの眼前に立った青年は、ゆっくりとナイフを首へ振り下ろした。
「死にたくない! 死にたくないッ! いやだぁああああああああ───」
銀のナイフは、寸分違わず迫って。
「──アハッ、死ぬかと思った♡」
刹那、フェイは手を当てていた胸元から白い筒のような道具を取り出すと、それを青年に向けて突きつけ──すぐさま引き金を引いた。
「───」
死に縁に瀕し、青年の思考が加速する。
弾丸の狙いはこめかみだ。
そしてそれを発射した道具は魔法具の一種である『拳銃』。上級吸血種の一部が持つとされている、吸血種殺しの切り札。
フェイという少年は、それをこの土壇場まで隠し持っていた。
それは偏に、青年を確実に殺すためだろう。
「……ハッ」
けれど。
「読んでたぜ、それはよォ!」
青年が勢いよく首を傾ければ、弾丸は彼の耳の横を通過していく。
遅れてついてきた金髪が一部貫かれ、一瞬だけ風穴が出来た。
予測できていたのなら。
例え音に迫るほどの速度であろうとも、吸血種の反射神経ならば回避できる。
そして青年は、最後まで油断していなかった。
「テメェが、お前ほどの狂人が簡単にくたばる訳がねえと俺は信じた! だからこそテメェの弾丸を避けられた!」
再度、青年はナイフを振り上げ、下ろす。
「──じゃあなァ、生意気な後輩!」
そして、何の障害もなくナイフはフェイの首へ迫り───
───その途中で、青年の腕は切断された。
「は?」
驚きの声を上げる青年を尻目に、地面へ転がるフェイがゆっくりと笑みを浮かべる。
「……アハッ♡」
そこから起きるのは、目まぐるしい逆転劇だ。
目の前の現実が信じられない青年に対し、フェイは握っている銀のナイフを再度振るい、もう片方の腕を両断する。
青年が抵抗の手段を失った瞬間、フェイは勢いよく跳び起き、そのまま青年の顔を片手で掴むとそのまま地面へ押し付けた。
吸血種の腕力によって地面は砕け、同時に頭からも嫌な音が鳴り始める。
「ガッ……!」
「ッハハ!」
抵抗する暇もなく、フェイはそのまま青年の足を踏み潰し、膝を彼の胴の上に置く。
完全なるマウントポジション。
その上、両腕がないとなれば抵抗の手段は存在しない。血液操作も困難だ。
形勢逆転。
一瞬にして、青年の生殺与奪はフェイの手の中にある。
「な、にが……!?」
自身に起きた事が信じられず、青年はただ純粋に呟く。
───切り札は封じたはずだ……なのにいつの間にか反撃を……? しかもこの痛み……!
両腕に走る、酸をぶっかけられ肉が解けていくような痛み。
それは間違いなく。
──『銀』だと!? いつの間に銀のナイフなんか……隠し持っていたとでも言うのか……!?
「人ってさ」
「ッ……」
青年の思考を遮るように、フェイが言葉を続ける。
顔を掴まれているせいで何も見えない。だが、掌の傷が塞がっているところを見ると、既に再生は完了していると考えて良いだろう。
「油断するんだよ。特に──相手がここぞって時に隠し持ってた切り札とかを潰して、もう勝利目前って時には、特に」
「──」
「気持ちいいもんね、相手の作戦を潰せた時って。調子乗っちゃうよね。『あぁ、俺の勝ちだ!』って」
まるで心でも読まれていたかのような感覚だ。
バレている。何をしていて、何をしようとしていたのか。
「だから、隠した」
「──」
「銃なんてとびっきりの切り札だ。当たれば即死。ナイフなんて眼じゃない。そして、僕も信じた。君が僕を信じて、『まだ何かあるはずだ』って思ってくれるのをね」
確かに、信じた。
それはフェイという狂人の人間性にこの短い間で触れていたというのもあるが、青年のこれまでの経験によるものである。
「これ助かったよ──君があの時投げてくれたから、僕はこの作戦を思いつけた」
「っ、それは……!?」
「ありがとね。せぇんぱい♡」
フェイが握っている銀のナイフ。それは、青年が彼の部屋を襲撃した時に投げつけ、そして避けられた末に壁へ突き刺さっていたものだ。
その後すぐさま屋根の戦闘へ移行したために木にしていなかったが──
──人に見つかっちまうってのも本音だが、これを隠すためでもあったのか……!
そうして、いつの間にか回収されていた銀のナイフは、今フェイの手の中に移った。
──あの時、『血棘』を何の抵抗もなく受けたのもこの為か……! なんなんだコイツ!?
「僕は今日、学びを得た」
ゆっくりと顔から掌が離れていく。
月明かりと、それに照らされる建物群が視界に飛び込んできて──最後に、フェイの心底楽しそうな顔が目に入った。
「吸血種だろうと油断する。アハッ、良い学びだと思わないっ!?」
「ッ!! 狂ってる……!!!!」
「そうだよ、そうさ、そうだとも」
見上げた先にあるフェイの瞳が、月明かりに反射して光り輝く。
鮮血よりもより深い、人の『業』としか呼べぬ色彩。
それは、かつて、母を殺したあの男に似ていて───
「──僕は、恐れ知らずの『狂血鬼』だ。狂っているなど誉め言葉。『月』に手が届くまで、幾らでも狂気に染まろうじゃないか」
言って、フェイは勢いよく拳を振り上げる。
「じゃあね先輩。楽しかったよッ!」
振り下ろされた拳は、確かに青年の意識を刈り取った。