第一話『生存戦略』
「串焼き一本、80ルムだ!」
「回復薬はいかがですか! 今なら中級もお安くしておきます!」
「特製の矢が今なら五本で50ルム! 十本なら90ルム! さぁ買った買った!」
シェリル王国、地方都市『マクシム』。
一獲千金の為に財宝を手に入れようとし『迷宮』を訪れる冒険者や、彼らを客層として集まった商人、そして商人達を対象とした娯楽施設や宿を始めとして発展を繰り返し、やがて観光地となった街。
この街は交通の便も良く、他の街との中継地点という用途でも用いられている。
「『迷宮』はとても暗い場所です! 松明の代わりとして炎の『魔石』は如何ですかっ! あっ、はい! そちらのナイフは近隣の鉱山で取れた特殊な鉱石を素材としておりまして──」
若き商人、フェイルア・アルグランスが商人を始めて三年が経過した。
彼が売るのは主に冒険者を対象とした道具だ。燃え移る危険性がある松明の代わりとな魔力を通すだけで使える魔石や、単純に武器として扱うだけでなく魔物を解体する際にも役立つナイフなど、冒険においての必需品を主に扱っている。
必需品は需要が尽きない。それは人の通りが多いマクシムにおいては特に顕著であり、彼は一介の商人として大成功とは言わずとも、毎日を暮らしていくには十分なほどの財を持っていた。
もっとも忙しい日々を送る中で使える金銭は多くない。精々が休日に買い物をしたり、仕事終わりに酒場で酒盛りをする程度。
「これですか? はい、これは先日仕入れた特殊な道具でございまして、魔力を通すと──」
「お買い上げありがとうございます! え、『迷宮』で掘り出し物が発見されて、オークションに賭けられるんですか! それは是非とも見に行かないと行けませんね!」
「わっ、こんなに沢山いいんですか? 『いつもよくしてもらってるお礼』……そういう事でしたら、是非受け取らせていただきます!」
黒い短髪に、青い瞳。
髪色だけはシェリル人としてやや珍しいが、それ以外は何の変哲もないただの少年。
明るく朗らかな笑みは人当たりが良く、これは商売にも役立っている。容姿を褒められる事は少ないが、少なくとも初対面で嫌悪感を持たれる事はない。むしろ磨き上げた対人技能は、かつて商人としての技術を学んだ師匠にも褒められたほどだ。
「お~いフェイ!」
「やっほー!」
「あっ、こんにちは! これから冒険ですか?」
「おう! 何かいい感じの情報があればまた教えてやるよ」
「それは助かります。前回は一儲けさせて頂きました」
「いいって事よ。それじゃあな!」
知り合いの冒険者パーティーに話しかけられ、フェイは頭を下げて見送った。
彼らとは一年程度の付き合いがあり、以前迷宮に水が弱点の魔物が大漁発生した際、それをいち早く伝えてくれた事で需要の発生に気づき、それでフェイは他の商人よりも儲ける事が出来た。
その代わりに彼らには商品を安く売っており、それ以降、利害の一致で始まった関係だが、友人と呼べるほどになっている。
「───」
不自由のない生活、自分の手で紡ぐ日々。
友人も多く、誰かに命を狙われる様な事もない。
穏やかで満ち足りた、この危険な世界に見合わない日常。
───あぁ。
元々才能もあったのだろう。
彼は商人として生活を始めて以降、あまり貧困を経験した事はない。それでも以前はクロウもしていたし、それに見合うだけの努力も重ねてきたつもりだ。
だが、だから、こそ。
──退屈だ。
彼は自分の現状が退屈で仕方なかった。
冒険者になれば刺激的な日々が待っているのだろうか。だとしてもそれは命を危険に晒す行為であり、そんな下らない理由で志す職業ではない。
半端な覚悟で務まるほど冒険者が甘くないのは、友人らを見てきて理解している。
「……」
退屈で、退屈で。
それでも渇きを潤す程の術もなく、方法も見つからず。
フェイルア・アルグランスの日々はこうして過ぎていくのだ。
~~~~~~~~~~~
「はぁ……」
「なんだフェイ、ため息なんかついて。今日は上手くいかなかったのか?」
その日の夜。
フェイは、行きつけの酒場にいた。
「そんなんじゃないさ。でもなんか、最近退屈でね」
「確かにでっけえ事件とかもないな。『迷宮』もあんまり大きな発見はないみたいだし……あ、そういや珍しい魔法具が発見されたらしいぞ! 今度オークションを開くってよ!」
「それはお昼にお客さんに聞いたよ~」
「んだよ。相変わらず耳が早いな」
カウンターに座り、懇意にしてもらってるマスターと食材をつまみにしながら酒を飲む。それがフェイの日課である。
荒くれ者が多い冒険者が多く訪れる酒場だが、そんな中でもフェイは比較的おだやかであり、顔も広い。マスターもそんなフェイの事を気に入ってくれており、こうして頻繁に酒場を訪れているのだ。
「商人やめよっかなぁ……」
「おいおい、辞めてどうするってんだ? 冒険者か?」
「う~ん……多分僕すぐ死んじゃうと思うんだよね。基本的な魔法は一通り使えるけど、なんか気がのらないっていうか」
「んじゃ、ウチで働くか? なんてな」
「はは、それもいいかもね」
そんな風に吐き出してみても、フェイの退屈は紛れない。明日も同じように商品を仕入れ、そして売りさばく生活を想像すると欠伸が出そうになる。
でも、それをしなければ生きてはいけない。何もしない者が明日を迎えられるほどこの世界は甘くないのだ。
そうして最低限の努力も怠れば、最終的にたどり着くのはやはり冒険者だろう。だが武術の心得も無いフェイは当然戦闘能力などないし、それを習得するのにも時間がかかる。
幸いにして若く、人より才能あふれる彼はすぐに様々な技術を体得するだろうが、そんな事になればま退屈が訪れるのではないだろうか。
何より。
『フェイ』
彼のくだらない感情よりも。
『フェイ。堅実に生きなさい。そして幸せに──普通に生きなさい』
死んでしまった父親の遺言を、破る訳にはいかない。
だからフェイは明日も生きる。
この世界を生きていくのだ。
「──いらっしゃい!」
平行線の思考と音を立てて砕ける氷。
それだけがフェイの頭を支配する中、マスターの威勢の良い声が響く。
どうやら喧騒に包まれる酒場に新しい客がはいって来たらしく、ほぼ同時に木製のドアが軋む音が聞こえてきた。
「──」
入ってきたのは四人の男女だ。
一人は大剣を背負った大柄の青年。
一人はぶかぶかのローブを羽織った、杖を持つ小柄の少女。
一人は軽装だが、一目で身のこなしに優れていると分かる軽薄そうな男。
一人は、美しい水色の髪を持つ二刀流の剣士の少女。
彼らを酒場の客が認識した瞬間、騒めき始めた。
『来た……!』
『あぁ、やっぱりここを拠点にしてるんだ』
『依頼は終わったのか』
『あのダイヤモンドランクの……!』
雑音の一切を無視しつつ、彼らはカウンターの傍まで来る。
恐らくはどこかへの冒険を終えた後なのだろう。全員軽装であり、得物を僅かに持つばかりだった。しかし、仮にもし丸腰だとしても彼らに敵う者はこの場にいないだろう。
彼らはそれだけの強者である。
「ようこそ──冒険者ギルドの定めた制度において、世界に四組しかいない最高峰のランク。ダイヤモンド級の『レイメイ』の皆様方」
マスターが片目を閉じながら少し微笑みを携えて言う。
すると、彼らはゆっくりと、カウンター近くのテーブル席に腰を下ろし始めた。
「……マスター、揶揄わないで」
「あっはは、相変わらず口が上手いねぇマスター」
「久しぶりだな、マスター」
「元気だった?」
ローブを羽織った少女と、軽薄そうな青年が反応を見せる。
続けて大柄の青年と二刀流の少女が言葉を続けると、マスターは頭の後ろを掻きながら謝った。
「っはは、すまんすまん。お前らが来るとついちょっかいをかけちまう。どうだベルゴ、依頼は成功したのか?」
「あぁ、当然だ」
「……グレイがちょっとドジった。それ以外はいつも通り」
「ちょっとちょっと~セリルちゃん? それは言わないお約束でしょ~」
「もがもが」
大柄の男──ベルゴに続けるように、ローブの少女──セリルが付け足した。
自身の失敗が他者に伝わり、軽薄そうな青年──グレイは少し慌てたように手を伸ばして、セリルの口を抑えている。
それを眺めながら、フェイは彼らに声をかけた。
「やぁ、みんな」
「フェイ!」
「……やっほー」
「おかえり。無事みたいでなによりだよ。魔石は役に立った?」
「あぁ、お前の薬のお陰で窮地を脱せた。礼を言う」
「いいんだよ。対価はきちんと頂いたからね」
口々に反応を示してくれる『レイメイ』の面々。
言葉を続けたベルゴに対し、人差し指と親指で輪っかを作り見せる。当然対価とはお金の事であり、彼ら正統なる対価を払ってフェイから商品を購入した。ならば、これ以上礼を言う必要はないのだ。
ベルゴは指に気づくと、薄く笑みを浮かべた。
「フェイ、久し振りね」
「あ、テト」
最後の少女──二刀流の剣士、テトはカウンターに一番近い席に座ると、フェイに声をかけてきた。
「上手くいった?」
「いい感じよ。フェイから教えてもらった武器屋で買った剣も役立ったわ」
言って、テトはゆっくりと背中の剣を胸の前に持ってくると、少しだけ刀身を見せてくる。一目で業物と分かるそれは、彼らが冒険に出かける前に紹介した武器屋でテトが購入した得物だ。
少しでも助けになればと紹介をしたのだが、どうやら役立ったらしい。
「本当に助かった。ありがとう、フェイ」
「いいよいいよ。テトが無事なら」
「ふふ、いつも通りで安心した」
剣を仕舞い、頬杖を着きながら浮かべられる笑みはとても優しいものだ。
言葉遣いから二人の距離が近い様に感じるが、これは勘違いではない。そもそもフェイと『レイメイ』が知り合うきっかけを作ったのは、まずフェイとテトがふとした事を切っ掛けに出会ったからなのだ。
つまり二人の関係性はこの中の誰よりも長く、深い。休日などが被った際は共に買い物にも行く『友人』である。
「なぁなぁ、フェイもこっちおいでよ~」
「グレイ、それはいい提案だ」
「え、でも……みんなは依頼の打ち上げに来たんでしょ? 『レイメイ』のみんなの中に無関係の僕が
混ざるのはちょっと申し訳ないよ」
──ダイヤモンド級パーティー、『レイメイ』。
世界中に存在する冒険者ギルドが定めたランク制度において、最上位の一つ下に位置する『ダイヤモンド』の位を授かったトップクラスのパーティー。
ダイヤモンド級のパーティーは世界に四組しか存在せず、そして最上位の『エーテル』はダイヤモンド級冒険者が死亡した際、その功績を称え級進させるものであり、つまり彼らは実質的な最上位冒険者である。
全ての敵を粉砕する大剣使いの戦士『ベリル』、神憑りの技術を操るシーフの『グレイ』、百を超える魔法の知識を持つとされる魔法使いの『セリル』、二刀流かつ最速の剣士『テト』。
このマクシムにおいて結成された、若い男女の四人組みのパーティ―『レイメイ』。彼らは三年間かけてシェリル王国を旅をし、トップクラスの冒険者に昇りつめた後、このマクシムに戻り活動しているのだ。
本来ならば十年、ないし二十年という長い年月をかけて到達するはずのダイヤモンドランクに、僅か四年という歳月しか費やさなかった凄まじい才覚。
彼らの年齢が二十歳前後という事を考えれば、将来性の面でも途轍もない。それこそ、存命のまま最高ランク──エーテルに到達するかもしれないと噂されるほどだ。
そして今回の打ち上げは、彼らがマクシムに戻ってから初めて受けた大型依頼達成の記念である。流石にパーティーメンバーでもないフェイが参加する訳にはいかないと、身を引いたのだが──
「何を言う。お前は俺たちの友人であり、無関係ではない」
「うんうん、良い事いうなぁリーダーは」
「結成当時の時からお世話になってるし、誰も反対しないよ!」
「……その通り」
「あっはは……そう言ってくれるなら、じゃあ参加させてもらおうかな」
『レイメイ』全員に促されれば、フェイに断る理由はない。座っていた椅子を持つと、そのままテーブルの横に置き座り直す。
「いらっしゃいいらっしゃいっ」
「お邪魔します」
楽しそうに笑っているテトの隣にフェイが座れば、それを見ていた三人のうち、グレイは『うんうん』と頷き、マスターの方へ視線を向ける。
「マスタ~、とりあえずフェイのと同じのを四人分!」
「あいよ!」
マスターは勢いよく返事をすると、そのまま酒を用意する為カウンターの奥へ引っ込んだ。
そんな二人を尻目に、残りの三人は壁に書かれたメニューを見つめ、やがて口々に言い始める。
「あっ、私これ食べたい!」
「……私はこれ」
「焦るなお前たち。俺はこれを頼む」
「そう言うベルゴも頼んでんじゃん!」
「「あっははは!」」
グレイの言葉に、皆が噴き出したように笑顔を浮かべた。
彼らが入って来た時には注目していた冒険者たちも、いつの間にか各々の食事や会話に集中している。酒場に来れば誰もが変わらない。例え階級が違くとも、酒を楽しむ飲んだくれだ。
「はいよ! とりあえずつまみは用意しとくから先飲んどけ!」
「おっ、待ってました!」
「マスター、感謝する」
「じゃあ早速乾杯しよっ!」
「……賛成」
誰の言葉が皮切か、全員がテーブルに置かれたジョッキを持つと掲げ始める。
「「──乾杯っ!」」
同じジョッキがぶつかり合い、少しばかりの酒が零れて。
打ち上げは始まった。
~~~~~~~~~~~~
良い事があったから、酒を飲んで騒ぐ。
そんな風に始まった宴会は、やがて酒場中の人間を巻き込んで大きくなっていった。誰もが騒ぎ、酒が散り、笑い声が飛び交う。
マスターは少し苦笑いを浮かべていたが、料金は貰っている上に楽しい雰囲気に水を差すのも無粋だと思ったのだろう。途中から吹っ切れて彼自身も参加していた。
飲み比べが始まり、途中で何割かがダウンし、それを介抱する者が苦笑いを浮かべる。中には思いっきり止めに入る者もいたが、冒険者たちの熱には敵わない。
だが、冷静な者も含めて宴会の醍醐味である。
そうして数時間の間彼らは騒ぎに騒いで、やがてお開きになり、解散して──
「ふぅ……」
──そしてフェイは今、酒場の外のベンチで帰っていく冒険者を眺めていた。
街灯などない夜の街を人々が帰っていく。酔っているせいか声も大きくまだ騒いでいるが、彼らを咎める筈の者達も酔っているのだから手を付けられない。
けれどそんな様子も楽しいとおもえてしまうのだから宴会とは不思議だ。人にはこうして騒がないといけないと気があるのだと、フェイは思う。
「フェイ」
「ん、テト?」
夜風に当たりながら彼らを眺めていると、酒場のドアが開きテトが出てきた。
何時も背負っている一対の剣は無く、酒を飲んで火照ったせいか先ほどよりも軽装だ。だが深酔いしている様子は一切無かった。
「あれ、みんなは?」
「全員酔いつぶれちゃった」
「え、ベルゴも?」
「うん。アイツいつもは仏頂面だけど、お酒超弱いんだよね」
「意外だ……」
僅かに開いているドアから中を覗けば、テーブルの上に横たわりながら熟睡しているベルゴの姿が見えた。
以前も彼と酒を飲んだ事はあるが、その時は抑えていたという事だろうか。確かに今思えば顔が赤かったような気もする。
「全員潰れちゃって帰れないし、ちょっと涼もうと思って出てきたんだけど……フェイも?」
「うん」
「隣座っていい?」
「もちろんもちろん。どうぞ」
ベンチの奥にフェイがズレれば、『ありがとう』と言いながらテトも座ってくる。
彼女は下半身にかっちり履いたズボンとは対照的に、上半身は機能性を重視した袖の無いタイプの服を着ている。本来なら上着を着てたため分からないのだろうが、今は酒で赤くなった肌が丸分かりだった。
肩を過ぎる程度の水色の髪。シェリル王国らしい彫の浅い顔立ちは整っており、髪色よりも深い色彩の瞳からは知性を感じさせる。
日ごろから鍛えているであろう肉体は程よく引き締まっており、スタイルは良い。しかし出る所は出ていて、街ですれ違えば何人かは目を奪われるだろう。
冒険者は外見に気を遣わない者も多いが、彼女は薄いとはいえ化粧をしていて──
──あれ、化粧してる?
以前に記憶の彼女よりも綺麗だと感じたのは、恐らくフェイの間違いではない。それは十中八九化粧をしている事が原因だ。
フェイは以前、商売がてら化粧品の類を扱った時期があった。だからこそ、その類を使った際の微細な肌の変化を熟知している。
間違いなく、テトは化粧をしていた。
「フェイ、フェイ?」
「え、あ、うん。何?」
「だから、フェイってお酒強かったよねって」
「そうだね、うん」
別の事に気を取られていたせいか、テトの言葉に反応が遅れてしまった。それでも何とか答えれば、彼女はベンチの後ろ側に両手を着き、それを支えにしながら『そっか』と呟いた。
さり気なく少し、距離を詰められる。
「……ねえ、フェイ」
「な、なに?」
そのまま手を握られて、思わずフェイは声が上擦ってしまう。
伝わってくる温度は高い。これはお酒のせいなのか、彼女が緊張しているが故のものなのか、それとも両方なのかは分からなかった。
顔が近い。
酒混じりの吐息の香りが分かる程、そして視界を彼女の端正な顔が埋め尽くすほどに、近い。
「フェイ」
「どうし、たの?」
「あのね、皆にはもう話を通してあるんだけどね」
「うん……」
一度、テトは眼を閉じて、そしてゆっくりと開けた。
「──私たちと一緒に、旅をしない?」
「……………………え?」
告げられた言葉に、気が付けば声が漏れていた。
理解が出来ない。
それがどういう意味なのかを理解するための頭が働かず、ついそのままに問いを返してしまう。
「旅をしないって、どういう」
「私たちのパーティーに……『レイメイ』に入らない? って聞いてるのよ」
「な、なんでっ」
それは単純な疑問だった。
『レイメイ』は世界最高峰のパーティーであり、彼ら四人は個人だけでも大きな活躍をできる傑物だ。目の前のテトも例外ではない。
───『双王剣』、あるいは『閃姫』テト。
二刀流の凄腕剣士であり、相手を目にも止まらぬ速度で切り刻む事から呼ばれるようになった彼女の異名。
その名は彼女の故郷を超え、シェリル王国を超え、遥か極東の島国までも轟いているという。剣を持つ者においては『生きる伝説』。それこそがテトという少女だ。
そんな少女がいるパーティーにフェイが加わるなんて、一体どんな冗談だろうか。
「僕なんて大した力もないし、役立たずなのに……」
「っ、そんな事ない!」
握られていた手に更なる力が籠る。
きっと彼女は酒と雰囲気に酔っているのだろうが、それを指摘できるほどフェイも素面では無かった。
「貴方はずっと、ずっと私たちの役に立ってるわ。今も、昔も──あの時も」
「っ……」
「私たちがまだ『レイメイ』として活動し始めた時、貴方が助けてくれなかったら今の私たちはないわ。それだけじゃない。その次の依頼も、今回の依頼だってそう! 貴方が助言をしてくれたから助かった」
なんて事は無い、軽い支援だ。
フェイはマクシムで活動を始めた冒険者に対し、初回だけその依頼に応じた支援を行っている。これは彼らが生き延びてお得意様になる事を期待しての行動だ。
『レイメイ』は活動初期、とある依頼を受けて窮地に陥った事があった。それはテトが時々語る程苦しい体験であり、それを助けたのはフェイの手渡した道具だったのだ。
加えて、彼らが依頼を受けていた森に用事があって通りすがったところ、他のメンバーと逸れた挙句魔物に殺されそうになっているテトを助けた事もある。
これは純粋に見捨てた場合の良心の呵責に耐えられないと感じたが故の行動で、フェイも死にかけたが、最終的に二人は助かった。
その後に遭難していた他のメンバーとも合流でき、そしてフェイの持っていた回復薬や食材があったからこそ彼らは生き延びられた。
そんな風な過去が彼らにはある。
「貴方には先見の明があるし、体の扱いにも光るものがある。それに基礎的な魔法は一通り出来るみたいだし、最初は雑用みたいになっちゃうけど、それでも私たちについて来れると思うの!」
「で、でも、他の人が納得する訳」
「言ったでしょ? 他のみんなにはもう話を通して……了承は得ているわ」
「え、あ……」
確かに聞き逃しているだけで、彼女は言っていた。既に『話は通してある』と。
つまりそれはベルゴ、グレイ、セリル三人ともがフェイの事を認めているという事であり、そして加入を拒まなかったという事実に他ならない。
「……えっと」
「うん、分かってる。混乱するのも当然だと思うし、今すぐに返事を聞こうとは思ってないわ。でも、もう少ししたら私たちは他の街に旅立っちゃうから──それまでに答えてくれたら嬉しい」
「わ、分かった」
冷静に、しかし混乱しつつ答えて、フェイは首を縦に振った。突然の提案に混乱は収まらない。『レイメイ』に加入するとなればいままでの人生の全てが変わり果てる。
当然、父親の遺言──『普通の幸せを掴む』という事も叶わない。
でも即答が出来ないという事は、フェイが揺れているという何よりの証拠だった。
「……」
「……それとね、フェイ」
「っ、なんだい?」
繋がっている手が、僅か震えている。
それに反応を示す暇もなく声をかけられ、フェイの視線は上と下を行き来した。
しかし、そんな少しの動揺は、次に告げられた言葉に持っていかれる事になる。
テトは震える体のまま視線を漂わせ、やがて、ゆっくりと言葉を続けた。
その体はお酒のせいとは思えない程に赤くなっていて。
「───貴方の答えを聞く時にね、どっちにしても、もう一個伝えたい事があるんだ」
指と指が絡み合い、いつの間にか恋人繋ぎを為している。
フェイは鈍感な男ではない。
以前はしていなかった化粧を今日だけしている理由も。
こうして隣に座り手を繋いで来ている理由も。
酒があまり得意ではないはずなのに大量に飲んでいた理由も。
全部全部、分かっているのだ。
「…………………それって」
「っ、はぁ~~! そろそろ熱引いたかも!」
「っ、えっ!?」
突然テトは立ち上がり、フェイの言葉を遮った。
思わず大きな声を出してしまうが、彼女は止まらない。
「うん、お酒抜けた! みんな起こして帰らないと!」
「え、あ、うん! うん!? いや、えっと……うん、とりあえず分かった」
「そ、そういう事だから……」
急いでテトは走り出し、酒場の階段を駆け上がる。
そしてドアに手をかけたところで、少しだけこちらに振り返り。
「…………………またねっ」
小さく手を振って、彼女は酒場の中へと消えた。
「───」
フェイが少しの間呆然としていたのは、言うまでもないだろう。
~~~~~~~~
宿への帰り道。
酒は抜けているはずなのに覚束ない足取りで、フェイは帰路についていた。
「はぁ……」
思考がぐるぐると回り続けて終わらない。
現実と冒険、遺言と告白。人生と数分前が何度も駆け巡って終わりがないのだ。
「……」
『レイメイ』に加入したら、きっと。
テトと好い仲になって、いずれは結婚するだろう。命が軽いこの世界において『そういう関係』になる事は少なからず結婚に繋がってくる。
冒険にも行くだろう。彼らは好奇心が旺盛で闘いが多いかもしれないが、フェイが行うのは基本的に後方支援のはずだ。前線に立つのはしばらく経った後のはずである。
これは少し普通とは違うが、紛れもない幸せのはずだ。冒険者は怪我の危険性が付きまとうが、幸いにしてフェイもテトも稼ぎは良い。冒険者は無理でも商人に身体能力や戦闘能力はいらない。多少体が動かなくてもどうにか生活を送れるはずだ。
『レイメイ』に加入して、平穏とは言えないが愉快な生活を送る。
これこそが、フェイの取るべき選択なのかもしれない。
でも、それだって。
最初は刺激的だった商人の生活に慣れが来るように。
「──いつかは、退屈になるのかな」
その時。
「え?」
ふと、フェイの頭上を影が覆いつくした。
反射的に上を見上げて、彼は屋根の上を横切る影を見たのだ。
「──────」
月を横切る純白を見た。
白銀の月明かりを受けながらもなお輝く純白を確かに見た。
それが少女の形をしているのだと気付くのに、須臾ほどの膨大な時間を要した。
人の血液の色をした宝石がフェイを貫く。
永遠にも感じるほどの至福が過ぎ去って───
───少女は、屋根の向こう側へと消えていった。
「ま」
声を上げようとして、自分が呼吸すら忘れていた事実にようやく気付いた。
ほとんど本能のままに荒い息を吸って、そして整わないままに、フェイは声を張り上げる。
「待って!」
明日商売があるのだ。
こんな衝動的な行動は普通じゃないのだ。
何もかも自分に相応しくない行動だと分かっているのに。
フェイは彼女を追って駆け出していた。