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第九話『悪意の狂者』


 ──テトという少女にとって、『別れ』とは向き合うものだった。


 例え大切な人が無残に殺されようとも、仲間が冒険の果てに倒れようとも、折れずに向き合い、乗り越えていく。

 それこそが『別れ』に対する回答であり、死んで逝った者への敬意であると、彼女は疑わなかった。


 だがそれは、偏にその機会が与えられた場合だけだ。

 泣き言を。後悔を。

 内側に抱えた感情を、吐露する場が設けられた時だけ、彼女は残酷な現実を乗り越える事が出来る。


 そして今までは、そうだった。

 彼女は例え親のバラバラになった死体を見た時でさえ、頑強な精神と前向きな心で耐え切った。そして残酷な世界と向き合い、その果てに彼女はダイヤモンド級の冒険者となれた。


 そこまでの道のりには仲間という大きな存在が欠かせなかったが、彼女はここまで強く、凛々しい人間になれたのは、彼女の人間性による所が大きい。


 だからこそ。


「……っ」


 ──だからこそ、向き合う機会すら与えられず、失踪して終わりなんていう結末を、彼女は受け止められなかった。


「フェイ……っ」


 フェイルア・アルグランス。


 このマクシムを拠点として活動する敏腕商人にして、ダイヤモンド級冒険者パーティー『レイメイ』メンバーたちの友人であり、同時にテトのとても大切な人。


 彼は数日前、唐突に失踪した。

 確かにその日の朝、一日たりとも欠かさず商売を行っていた彼は市場に現れなかった。だが、なんの予兆も無く彼はいなくなったのだ。


 誰も彼の姿を、レイメイの打ち上げパーティーの後に見ていない。まるで夜の闇に吸い込まれたかのように、忽然と彼は姿を消したのである。


 更に不可解なのは、失踪した日の夜、彼の部屋が荒らされていた事だ。

 発見したのは彼が泊まっていた宿の主人。宿泊者たちの部屋がある二階で大きな物音がしたため、確認に向かったところ、宿が蹴破られていた上に窓も破壊されていたらしい。


 窓の外には部屋にあったと思われる荷物が幾つか落ちており、どうやら何者かが地面に落下した後、どこかへ逃走したとされている。

 それがフェイルア・アルグランス本人なのか、彼を襲撃した何者なにかは分かっていない。


 その日の朝方と夕方に、宿を出入りする謎の小柄な人物がいたという目撃情報があるが、その人物は顔を隠していたため、特定には至っていない。


 状況は不可解で、何が起きたのかも定かではない。その上死体も見つかっておらず、かと思えば前日に他の殺人事件が起きていたりと──一連の出来事に関係があるかどうかは定かではないが、ここ数日のマクシムは少し騒がしかった。

 

「……」


 そのせいかは分からないが、ギルドの端に貼られた行方不明者の石版を見る者はほとんど誰もいない。そこに書かれた『フェイルア・アルグランス』という無意味な文字列は、ただテトの心を蝕むだけだった。


「……っ」


 彼女は自分の中で一つの結論を出していた。

 それは即ち、フェイは何者かの恨みを買い襲われたという結論だ。


 商人として活動する傍ら、誰かを蹴落とし敵に回す事は何度もあったはずだ。それも敏腕商人である彼であればその機会はより多いだろう。

 だから、疎ましく思った誰かによって誘拐、ないし死体が残らぬように殺されたのだと、テトは思っている。


「一体、どこに……」


 フェイが行方不明となった日から、『レイメイ』は依頼を受けていない。それはテトがフェイの事を探し回っているからだ。

 町中を駆け巡り、時に近隣の森や草原を捜索した。


 だが見つからない。

 その過程で人攫いの盗賊団を一つ壊滅させても、彼は見つからなかった。


「──」


 例えば、彼が生きていなくて。

 例えば、死体が見つかり、それが原型がない程に酷い姿だとしても。


 機会さえ与えてくれるのなら、振り切れる。

 この世界を生き抜けなかった彼の心を背負い、テトは再び歩き出せる。


 けれど。


「──こんな形でお別れなんて、嫌だよ、フェイ……っ」

 

 やはり辛い事は辛いのだ。


 テトは彼に命を救われた。

 そして初恋をした。

 そんな相手が突然いなくなって、誰が耐えられるというのだ。


「……テト」

「っ、セリル……」


 ふと、話しかけられて振り向けば、そこには同じ『レイメイ』の魔法使い、セリルがいた。

 小柄な体に、身を覆うような大きいローブ。右手に持つ杖は少しだけ彼女の背丈にあっていない。だがそれが彼女のいつものスタイルだ。


「どうしたの? ギルドに用事?」

「ん。次の依頼見とけって、ベルゴが」

「あ、そっか」

 

 現在、レイメイはテトの都合で依頼を受けていない。それを他の三人は別に何とも思っていないし、うち一人のシーフははむしろ休みが出来て満喫しているのだが、それはそれとして、現状を長く続ける訳にもいかないのだ。


 どうやらセリルはベルゴに言われて、次に受ける依頼の目星を付けにきたらしい。

 彼女はパーティーメンバーの中でも勘が鋭い方である。その上、魔法大学へ行っていた事もあり、知識が豊富なのだ。故に情報の精査が必要な依頼の選択などにおいて、彼女はよく矢面に立つことが多い。


「……テト」

「なに?」

「……フェイの事は、私も好き」

「ん”ぇ”!?!?!??」


 突然衝撃的な事を言われ、テトは後退りしながら声にもならない声を上げて両手を激しく動かした。


「どどどどどうしてていうかなななにかがんのえ!?」

「……………あ、違う。テトと違ってそういう意味じゃない。言葉足らずだった」

「ち、違うの!? びっっくりしたぁ………!」


 しばらく意味が分からず首を傾げていたセリルだったが、やがてテトの大きな反応に合点がいったように口を開き、訂正をした。


 それを聞いたテトは胸に手を当てながら安堵の息を吐いた。

 セリルはあまり会話が得意ではない。仲間や友人以外には一言も喋らない事もしばしばだ。


 だからもし、セリルもフェイの事が好きなのだとしたら、今までテトがセリルにしていた恋愛相談は少し不穏な意味を帯びてしまう。

 良き相談相手から一気に恋敵への変化だ。それは相手にとっても同じである。


「……私が言いたいのは、人として尊敬できるから、私もフェイの事は好き」

「そういう意味ね……」

「うん。だから言える」


 セリルは、いつも大きな帽子で隠れている瞳を、しっかりとこちらへ向けてきた。

 二人の視線が絡む。


「──テト、何時までも引きずってる訳には、いかないんだよ」

「っ!」


 真面目に、そして少しだけ悲しそうに告げられた言葉に、テトはすぐには答えられなかった。

 そんな気持ちをセリルも理解しているのか、彼女は一拍だけを置いて、言葉を続ける。


「私だって、フェイは好き。友達だとも思ってるし、観察眼があると思ってる。凄い。だからテトが、パーティーに誘うって言ったのも認めた」


 ゆっくりと、長く話す事に慣れていないが故に途切れ途切れでも、セリルは言う。


「テトがフェイの事を好きなのは、理解してる。諦めきれないのも。でもね。何時までもそうしてる訳にはいかないの」

「……」

「なにより、そうやってフェイを探して、落ち込んで、弱っていく、テトを見てられない。別にフェイの全てを諦めてなんて事は、言わない」

「……」

「でも、そのままじゃ、テトがフェイを想った時間すら無駄になっちゃう。それは良くない事。心を使いすぎるのは、良くない事だよ」


 セリルの言葉は、テトの心を突き刺していった。


「──折り合いはつけないと、いけない。フェイがあのとき・・・・テトを助けたのは、今みたいに落ち込んでる姿を見る為じゃない」

「……うん」

「テトがそうやって苦しんだ分だけ、テト自身がフェイを否定する事に繋がるんだよ」


 そこまで言うと、セリルはテトの横を通っていく。

 向かう先は恐らくギルドの二階。依頼の一覧が貼ってある掲示板のところだ。


「……それだけは、覚えておいて」


 階段を上がっていく小さな音だけが、テトの耳に届いていた。


「……ごめんね、セリル」


 テトは彼女の言葉の全てを、しっかりと聞いていた。

 その意味も、全て理解していた。


 そしてセリルはテトに、諦める機会を与えてくれたという事も、分かっていた。


「でも……私がフェイを好きだって気持ちは、そんな言葉じゃ覆せないよ……っ」


 けれどその上で、テトは到底受け入れられないのだ。

 

 この程度で諦めるのなら、あの時感じたときめきに噓をつく事になる。

 それほどまでにテトは好きだった。


 だから。


「──もし、お嬢さん」


 そこに。


「フェイルア・アルグランスをお探しですか」

「っ、何か知ってるんですかッ!?」


 悪意は。


「ええ。私は彼の居場所を知っていますから」


 ───忍び寄ったのだ。


「では、こちらへ。案内致しましょう……」


~~~~~~~~~


 『星聖教会』。


 それは、数千年前に中央大陸を支配していた悪しき皇帝の絶対王政を破り、大陸に安寧を齎した英雄を『神』と崇めた者から始まった宗教である。


 当時、まだ宗教という概念が薄かった時代から続く最大宗教であり、その勢力は今や中央大陸だけではなく世界中へ及んでいる。

 それはこのマクシムにおいても変わりない事だ。


 数えられないほど多いシスター、神父を抱え、高等魔法である『術式』や『聖属性』を宿す魔法などを多く所有する事も、勢力が多い所以だろう。


 彼らの慈善活動は数千万の迷える人々を救ったとされ、『石を投げれば星聖教徒に当たる』とは、中央大陸で古くから言われる言葉である。

  

 ただし、古来より彼らの本拠地は定まっていない。


 というのも、彼らには分かりやすいシンボルである教会と、中央大陸に代理本部と呼ばれている仮初の場所は存在するのだが、肝心の教祖、枢機卿などがいるはずの場所が、一切明かされていないのである。

 これは防犯上の理由とも言われているし、彼らは特別な存在──即ち顔すら見れない程の上位存在であるため、姿を現さないとも言われている。


 中央大陸の一部では、世界規模の影響力を持ち、しかしあまり表に出ない彼らを『星海王国』と呼んでいるという噂だ。

 この世界という星海に散らばる、星の如き組織を表す異名である 。


「……」


 ──星聖教会シェリル王国マクシム支部は、既に崩壊寸前だった。


 天井の八割は既に無く、生まれた穴から月が覗き込んでいた。

 シンボルであるはずの太陽の模型は床に突き刺さっている。比較的無事な床も所々剥がれていて、壁は崩れていないにせよ罅が入っている箇所が殆どだった。


「こんばんは」

 

 そんな壊れかけの教会に足を踏み入れた人物に対し、講壇の傍に立っていた青年は教本を閉じ、声をかけた。

 月を、眺めていたのだろう。彼は振り返ると、両手をゆっくりと広げる。


「穢れた汚物以下の存在、『吸血種ヴァンパイア』のフェイルア・アルグランス殿」


 まるで煤を頭に被ったような、くすんだ灰色の髪。

 同じ色彩の瞳。

 見る者の心を絆すような柔らかな笑み。


 全身に纏う神父服は恐ろしいまでに似合っていて、まるで闇に潜む暗殺者の様な風貌をしている。それを引き立たせていたのは、胸元にぶら下げた太陽を模したアクセサリと、何個も嵌められている指輪だろう。


 考えるまでもなくそれらは銀で出来た物だ。

 それは即ち、吸血種を殺すために用意した専用の道具である。


「御機嫌よう」

「……アハッ」


 フェイは講壇にて頭を下げた彼が、自分を殺すための準備を整えている事実を確認した。

 その上で考えれば、彼の神父服はゆったりとした服装である。これはヴェンと似た構造の服であり、という事は内側にまだまだ武装を隠していると考えるのが確実だろう。


「そこの子、解放してくれない?」


 唐突にフェイが放った言葉は、青年の足元に転がる少女を指して言った言葉だ。

 少女とは当然、テトの事である。彼女は両手両足を拘束され、明らかに気絶させられた様子で横たわっていた。


 外傷はない。

 だが、本当に無事化どうかは近くで確認しない事には分からないだろう。


 青年はフェイの言葉に対し、柔らかな笑みを崩さずに言った。


「流石は野蛮な吸血種。話の順序すら理解できないとは」

「いきなり誘拐した君が言える事?」

「全ては我らが神が赦してくださいます。貴方がたこそ、存在が悪だというのに生きていて申し訳ないとは感じないのですか?」

「ぜんッぜん?」

「ただただ、憐れですね」


 フェイの言葉を鼻で笑いつつ、彼は胸に手を当てて、もう一度ゆっくりと頭を下げた。


「──星聖教会特殊部隊最後の生き残り、ピエトロ=スワロチェフです」

「……」

「あぁ、返事は必要ありませんよ。それよりも、『混沌の子ヤオダバオト』はどこですか?」

「アイツは今頃色街サ。女でも抱いて楽しんでる頃じゃない?」

「おやおや……流石は堕ちた血族の混血。下半身でしか物事を考えられない猿のようですね」


 別に色街ぐらい、健全な男ならだれでも行くだろう。

 

 とは、なんとなくフェイは言わなかった。この数回のやり取りの中で、彼がどれだけ吸血種を見下しているかは理解した。

 フェイがどんな言葉を吐いたところで愚蔑の言葉が返ってくるだけだろう。


「一つ聞きたいんだけど、君、どうやって僕の名前とか、テトの事とか知ったの? 少し探った程度じゃわからないと思うんだけど……それとも特殊な道具でも使ったのかな」

「いえいえ。たた、聞いていた・・・・・だけですよ」

「聞いていた……?」

「ええ」


 彼はさも当然という風に、答えた。


「本来なら答える義理もないのですが、冥途の土産としていいでしょう。私は貴方がたの会話を聞いていました。路地裏での会話、そしてギルドでの会話。宿の中は防音などの観点もあって無理でしたが──少なくとも貴方がたの目的と、貴方の正体と、このお嬢さんが吸血種となる以前の貴方を探している事は、把握しています」

「それはまた何ともシンプルだね……」

「気づかなかったでしょう? 気付かないように工夫していたのもありますが、本来『混沌のヤオダバオト』ほどの実力者なら気づいてもおかしくはありませんでした。私としても失敗前提の行動でしたが、どうやら彼は油断をしていたようですね」


 嗤っている。

 口元は柔な笑みを浮かべているのに、なによりも目が嗤っていた。  


「先に言っておきますが」


 そう言って彼は、おもむろに足を上げて──テトの腕を踏み潰した。


「貴方がたには死んで頂こうと思っています。その為にこのお嬢さんを誘拐しました。『魔法』によって眠っているため、私が解除しなければ起きません」

「……!」

「簡単でしたよ。少し『貴方の居場所を知っている』といっただけで、武器も持たず付いてきましたから。よほど好かれていたんですね。まぁ、全て無駄になりましたが」

「オマエ……!」

「あぁ、叫んだりしても無駄ですよ。周辺には『結界』を張っていますし、数日前に貴方たちの『姫』が細工したのかは分かりませんが、この教会は他者に発見されにくいようです。事実、この数日間で辿り着いた一般の方は一人もいませんでした」


 何度も何度も執着に踏みつけられたテトの腕が折れ曲がり、血が出始める。それだけで死ぬとは思えないが、少なくとももう彼女の腕は使い物にならない。

 そしてこのまま放置しておけば、ピエトロは腕以外も破壊するだろうというのは明らかだった。


 用済みになれば躊躇なく殺すだろうという事も。


「単刀直入に言いますが、フェイルア・アルグランス。貴方、自決なさい」


 言って、彼は懐から取り出した銀のナイフをフェイの足元へ投げ付けた。

 刃は縦に回転しながら、寸分違わず教会の床へ突き刺さる。


「銀のナイフであれば簡単でしょう。首を掻っ切った程度で貴方は死なないでしょうが、銀ならば別のはずです」

「……善良な市民を巻き込むなんて、聖職者として良いの?」

「───いいのかですって?」


 薄い笑みを浮かべながらフェイが尋ねれば、ピエトロは途端に顔を歪めた。

 まるで親の仇を見るかの如き形相だ。フェイやヴェンなんかよりよっぽど鬼という言葉が相応かもしれない。


「い」


 一瞬だけピエトロの動きが止まり、そして爆発する。


「いいいいいぃいい訳ないでしょうッ!!!」


 先ほどよりも執着に、ピエトロはテトの腕を踏みつぶしていく。血液の飛び散る量は先ほどの比ではない。人体から聞こえてはいけない様な音が響いていた。


 その時点で気付いたが、テトはただ眠っているのではない。恐らく魔法か何かで強制的に眠らされていて、起きないように細工されているのだろう。


「貴方がたの!! 『姫』がぁッ! 私の大切な、たいッッせつな仲間を殺したからァ!!!!」


 端正な顔が怒りで歪んでいる。

 神父服が返り血で濡れている。

 何かどろどろとした血液が頬に飛び散っている。


「ボクだって、ボクだって!! 誰が善良な一般人を利用したいと思うんだッ!! でもこうしなければ復習を果たせない!! あの時だってボクは隠れながら見ているしかなかった!! ボクは弱いからァ!!! これ以外に一体どうしろって言うんだよォォォォォオオオオ!!!!!!!」


 やがて彼の動きは、彼の履いた靴がびちゃびちゃになる頃には緩やかになり、滴る血液が講壇の段差を下る頃には止まっていた。


 彼はまるでゴミを見るように足元の少女へ視線を向けると、静かに親指で頬についた血液を払う。

 次いで、穏やかな笑みを浮かべた。


「──失敬。少々取り乱しました」

「……」

「という訳で、さぁどうぞ。本当なら『混沌の子ヤオダバオト』もこの場で殺しておきたいところでしたが……彼一人ならば私だけでどうにかなります。問題は未知数の貴方ですから」

「僕がその程度で屈するとでも?」


 足元に転がったナイフを一瞥し、ゆっくりと拾い上げながら、フェイは吐き捨てる。

 ピエトロの言う通り、このナイフは銀製の物だ。それも普段ヴェンは使っているのよりも上質な物で、恐らくフェイはより楽に自殺ができるだろう。


「屈しなければどうなるかは、もう見せたと思っていますが……まだ見世物・・・は必要ですか?」

「君がその子を殺す前に、僕が君を殺すよ」

「ではやってみなさい。私は最弱でしたが、星聖教会特殊部隊最後の生き残りです。たかが『下級』吸血種の攻撃程度凌いでみせましょう」

「へぇ」


 フェイは笑い、右手に持ったナイフを真上に放ってキャッチするという遊びを繰り返す。一歩間違えば掌が切れてしまうが、彼の動体視力は既にそういう領域には無い。


「──言ったね?」


 売り言葉に買い言葉。


 フェイはナイフをキャッチすると、腕を下げ、ひと際高く上へ放った。

 くるくると落ちてくるナイフを眺め、それが頭上に差し掛かった時。


「よッとっ!」


 ナイフの腹を掴み、フェイは腕に力を込める。

 あまりの速度に大気が震え、ピエトロへ迫る銀のナイフは、数秒足らずで彼の額へと迫り──


 直撃の寸前、彼の前に張られた何か・・によって弾かれた。

 瞬間、それが波となり空気中を伝わって、半円状の透明な壁の形を露にする。


「チッ……!」

「おやおやおやおや」


 講壇の周囲に張られた、ピエトロとその足元に横たわるテトを包む様な半円状の壁らしき何か。それは酷く透明で視認しにくいが、一度発覚した今では、目を凝らせば確かに見えた。


「おやおやおやおやおやおやおやおや」


 羅列した言葉と共に、ピエトロはゆっくりと手を自身の胸に持っていく。

 そして恭しく頭を下げつつ、彼は嗤いを深めた。


「ええ、読んでいましたとも。貴方ならばそう行動するという事はね」

「……まさか一歩たりとも動かないとは思わなかったよ」

一歩でも・・・・でも動いた場合、私は殺されてしまいますから──この教会の外から、奇襲を仕掛けようとしている『混沌の子ヤオダバオト』にね」

「……!」


 ピエトロの言葉に、フェイの瞳が大きく開いていく。

 比例するようにして、ピエトロの笑みも強くなっていった。


「ですが、無駄です! この結界は私が編み込んだ全力の『結界』。例え外部から奇襲を仕掛けようとも、真正面から身体能力を活かし攻撃しようとも、範囲を限定したが故に物理魔法関係なく全てを防ぎます! 四方八方・・・・死角などありませんッ!」


「死角が、ない?」


 その時、高く打ち上げられていた銀の──否。


「全てを防ぐ?」


 鉄製の装飾がなされたナイフが、地面に落ち、普通よりも重量を含んだ鈍い音が、教会に木霊した。

 瞬間、教会の外部から支線を向けられているような、不思議な感覚が襲ってくる。  


「……なんです、これは!」


 ピエトロもそれを感じ取っているのか、周囲に視線を巡らせながら狼狽している。

 吸血種であるフェイだけではなく彼も反応を示しているとは、人間にしては凄まじい五感の鋭さだ。


 ならばその不快感もフェイと同じはず。二回目・・・とはいえ、この感覚は慣れない。


「──アハッ」


 そして。


 ピエトロの足元が揺らぎ、そこから視線の様な不快感の正体が出現する。


 即ち、教会の外で待機していたヴェンデッタによる血液操作の賜物。

 巨大な血棘が──彼に向かって飛び出した。


「四方八方ってさァ、それ地面の中・・・・は含まれてないよねェ!」

「なん───ッ!?」


 ピエトロを穿とうと出現した血棘は一瞬にして教会の天井へ到達するが、彼は瞬時に空中へ後方回転をする事で間一髪回避する。


 内側から攻撃を受けたピエトロの『結界』は意図も容易く崩れ去った。


 次いで着地した彼の横の講壇が爆ぜ、新たに生み出された血棘が襲い掛かった。

 今度は壁へ飛び退く事で事なきを得るが、当然その程度で追撃は止まらない。二本、三本と生み出される

血棘はヴェンの支配を得て、意志を持つかの如く彼を追いかけていく。


「──!」

 

 逃げ惑うピエトロを見て、フェイは吸血種の身体能力を最大まで使って肉薄する。

 敵を穿つためではなく、大切だった少女を助けるために刹那の教会を駆け、やがて彼の手はその柔肌に届いた。


「……ハハッ」

 

 テトの利き腕である右手は、無残に破壊されていた。どう言及するのが正しいのか分からない程に複雑に。

 これでは得意であるはずの二刀流は使えないだろう。左手だけでも剣は握れるのだろうが、それでも戦力的には相当下がってしまうはずだ。


「離せぇッ!!」


 血棘に追われるピエトロがフェイに気づき、即座に銀のナイフを投擲。しかし咄嗟の攻撃だったのか、速度は十分だが狙いは甘い。

 テトを抱きかかえると、フェイは急いで教会の中央へと飛び退いた。


「アハハッ! 誰が離すもんかっ!」

「貴様ッ、一体この棘は!」


 その時。


「──おうらよッとォ!」


 教会の象徴。

 講壇の真後ろにある荘厳なステンドグラス。

 その真ん中部分が音を立てて崩壊し、ガラス片と共に外から人影が飛びこんでくる。


 ステンドグラスと掛けたサングラスが彼の姿を映し出す。

 奥に潜む赤い瞳と金色の髪が宙を舞い、ヴェンデッタは強襲した。


「一点集中」


 彼は飛びこんで時点でピエトロの方を向いていた。

 宣言を基点として、空中に散らばっているステンドグラスが赤く黒く輝き始める。


「『紅穿フローリス』!!」 


 短い声に応じ、ステンドグラスから無数の大棘が飛び出した。

 視界を埋め尽くすほどの鮮血の集合体は、逃げ惑うピエトロへ殺到する。


「……!!」


 元から彼に襲い掛かっていた棘に加え、更に倍以上の大棘の追加だ。冷静に落ち着いて対処していたのなら、もしかすれば全てを防ぐ事も可能だったかもしれないが、これはフェイとヴェンの仕組んだ強襲劇である。


 結果として。

 壁を、床を、参列席を、そして人体を。


 轟音と共に──大棘は蹂躙した。


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