第19話 叫んで転げ回りたい
お腹も膨れ、排泄も済ませた。
ついでに携帯用小型洗浄機の超音波で汚れも落とせたし、替えの下着も履き替えた。別に深い意味はない。
焚き火の炎は段々と小さくなり、もう直視していても眩しくはない。見つめていると、眠くなってくるくらいの優しい明るさだった。
焚き火の横にゴロンと寝転がったシスが、私に向かって両腕を伸ばす。
「ほら小町、ここに来いよー」
何でこいつはこんなにあっけらかんとしていられるんだろう。まあ、所詮私は喋る家畜。
「……絶対に噛みつかないでよ」
「信用しろって!」
信用し切れないから言ってるんだけど、シスはヘラヘラと笑うだけだ。この能天気過ぎるおつむが憎い。
相変わらず立ったまま一向に近寄ろうとしない私を見て、シスが少しの間考え込んだ。暫くして、ポンと手を叩く。
「後ろからぎゅっとすると、首の所が近くなるだろー?」
想像してみる。確かに、頸動脈は狙いたい放題だ。深く頷いた。
シスが、にっこにこの笑顔で続ける。
「だったら、小町が俺に向かって寝ればいいんだ!」
シスに他意はない。多分色気とかそういったものも何もない。これは私に魅力がないんじゃなくて、こいつ側の問題だというのも薄々気付き始めている。
だけど、正面に向き合って寝る? 嘘でしょ、と私があまりの提案に言葉を失っていると、シスは私の躊躇の理由を明らかに勘違いしたまま、更に続けた。
「分かった! そしたら、小町は俺の顎のここ、ここにはまればいい! 俺が寝惚けてガブッてならないだろ、ここなら!」
そう言って指した場所は、シスの逞しい顎と首と鎖骨と上腕二頭筋と胸筋との密着度が最高値を叩き出しそうな所だった。嘘でしょ。思わずぎょっとしたけど、鈍感のシスは気付かない。そういう奴だ。
「俺は小町の頭を抱えていればいい! ほらー! 天才だろ!」
血液で沸騰死しちゃいそうだった。お目付け役の吸血鬼の苦労が、本当によく分かる。
シスが、片手を私に差し伸べて懇願する様に微笑む。無駄に顔がいいので、どうしたって私の胸は高鳴るのだ。
「ほら小町、怖くない。おいで」
その言い方。その表情。思わずフラフラと、一歩引き寄せられていく。相手はアホな亜人なのに。
シスが、私の人差し指を指で小さく摘んで微笑んだ。
「いい子だな、小町」
……叫びたい。今すぐ叫びたかった。妹の小桃なら、もう間違いなく今頃黄色い雄叫びを上げて転げ回っていたところだろう。
伸縮性のマットの上に寝転ぶシスの身体は、少しはみ出して地面に落ちている。私用に取ってあるスペースには、マットがちゃんとあった。つまりは、そういう気遣いは出来る子なのだ。
例え、相手が喋る家畜でも。
「ほら、早く寝ようぜ」
「う……うん」
これ以上戸惑っていても、何も進まない。ええいままよ! とマットの上に腰を落とすと、用意されていたシスの右腕の上に思い切ってこめかみを乗せた。筋肉の弾力が凄い。
私が寝やすい場所を探していると、横向きのシスが腕を回してきて、私をシスの胸の中に抱き寄せた。少し汗ばんだ匂いがするけど、不快ではない。
私の頭の上に顎を乗せたシスが、何故か私の頭を撫で始めた。
「小町、そんな怖がるなよ。匂いが凄いぞ」
「こ、怖がってなんか……っ」
どちらかというと、別の意味でドキドキしている。まあ、そんなのは鈍感なシスには絶対伝わらないだろうけど。
「大丈夫、噛まないから……」
あふ、と眠そうな欠伸をしたシスが、私の頭頂に口と鼻を付けた。うわああ! 付いてる! 付いてるってば!
私の興奮なんてどうでもいいのか、シスの声から段々と力が抜けていく。
「こうしていれば、小町の頭の匂いで……血の匂いも……誤魔化し……」
この状態で寝られるのは、私が一切意識されてないってことだろう。まあ、分かってたことだけど。
やがて、すうー、と気持ちの良さそうな寝息が聞こえ始めた。シスの息が頭皮に当たって、暖かくて凄い違和感がある。
「……ねえ、寝たの?」
顔を上げてシスの顔を確認しようにも、がっちりホールドされていて動かせない。身体の前に折りたたまれた私の腕はシスの剥き出しの胸部と腹部にぴったりと張り付いているし、そうこうしている内にシスの左足が持ち上がり、私の足を巻き込んでがんじがらめ状態になってしまった。
「……はあー」
溜息しか出ない。私のときめきを返して欲しい。
心の中でぶつくさと不平不満を唱えながらも、シスの体温の温かさの所為か、はたまた血を吸われて私の身体は想像以上に休息を必要としていたのか。少しすると睡魔は私の元へも訪れ、深い眠りへと誘ってくれたのだった。