第17話 シスの恋愛事情
私に抱きついて離そうとしなかったシスをどうにか宥めすかして引き剥がすと、再び歩を進める。
亜人街までは、徒歩であと数日の距離といったところらしい。
シスが、いつもの様に私の顔を覗き込む様にして見下ろしてきた。
「この先は、さっきの奴みたいに急に小町を襲う奴が増えるかもしれないぞー」
シスが何が言いたいかは、分かっていた。分かってはいたけど、自分の口から「うん、そうだよね!」なんて言える訳がない。うら若き乙女の羞恥心を、こいつはなんだと思ってるんだろう。まあ、十中八九何も考えてないだろうけど。
「なあー?」
「…………」
貧血気味が収まらなくて足取りが重い私の横を、シスは軽やかにヒョコヒョコと歩いていた。この歩き方も、シスに落ち着きがない様に見える原因のひとつかもしれない。
なんというか、子供っぽい。そういえば、シスって幾つなんだろう。聞いてなかったな、と思い、尋ねてみることにする。
「シス、あんた年は幾つ?」
「二十歳。小町、なあ、匂い付けていいだろー?」
即答の上、誤魔化せなかった。ああやだ、この話題。
それにしても、やっぱり年上だった。三つも年上なのに、この子供っぽさ。そりゃあ、集落のお目付け役もこいつを何とか落ち着かせたいとさぞや思ったことだろう。凄く気持ちが分かる。目下、私がそれを強く願っている。
「吸血鬼の集落の中でも、俺は強かったんだぞ? だから俺の匂いなら、小町も安全だから。な!」
そういう問題じゃない。私が拘っているのは、シスが強い弱いの話じゃない。
シスは、ジト目で自分を見上げる私の言いたいことを、別の意味に捉えたらしい。ポン、と軽快に手を叩くと、ニコニコしながら続けた。
「あ! それとも、主従関係が逆になっちまうのが嫌なのか? 俺は小町に雇われてるからな、そこは他の亜人に食われない為の偽装だから、安心してくれよな!」
だから違う。そういうことを言いたいんじゃないんだってば。この鈍感。
はあー、と長い溜息を吐くと、シスの眉がちょっぴり下がった。キリッとした切れ長の目でそんなことをされると、なんだかこちらが悪いことをしている気分にさせられるから是非ともやめてほしい。
「なあ小町。言ってくれないと分からないぞ?」
こいつにとって、察するということは難しいのかもしれない。でも、言わないと永遠に平行線なのも確かだ。ああやだやだ、言いたくない。
「……あんた、よく鈍感って言われない?」
「凄いぞ小町! 何で小町は俺のことにそんな詳しいんだ?」
やっぱりな。
「あんたさ、今まで恋愛経験ないの? 年下の可愛い女の子が好みなんでしょ? 若い女の子に気遣い出来なかったら、可愛い恋人なんて一生出来ないんじゃない?」
腹いせに一気に捲し立ててやると、シスが驚愕の表情を浮かべ、自分の心臓の上を大きな手で押さえた。効いたらしい。
と思ったら、違った。
「小町凄えな! どうして俺のことがそんなに分かるんだ!?」
「つまり、恋愛経験はない、と」
まあ私も、淡い恋心的なものしか経験してないけど。あんな管理されてちゃ、そもそも淡い恋以外出来る環境じゃないから私の場合は仕方ない。
アハハ、とシスが頭を掻きながら屈託のない笑顔を見せた。
「そうなんだよなー! 周りが愛だ恋だ言って騒いでるのを聞いても、いまいちピンとこなくてなー! とりあえず年上のギラギラした女はなんかすっげー狙われてる感あって怖いから、それで年下がいいって言ってたんだー!」
年上のギラギラした女。まあ、中身がアホで幼いことを除けば、見た目は最高にいいし、強さも相当だ。しかも、お目付け役がついてシス様と呼ばれているくらいだから、一族だかなんだか知らないけど、その中でもいい身分の家の子なんだということも分かる。
それに加えて、この素直で疑うことを知らない性格。年上のお姉さまだったら、確かにギラついた目で狙っちゃうかもしれない。自分が調教して育ててあげますよ的なアレだ。
「その点、小町はギラギラしてなくて気楽でいいぞ!」
一応、私が女だという認識はあるらしかった。もう完全に喋る家畜と思われてると思ってた。
「……そりゃどうも」
シスが、相変わらずにっこにこ笑顔のまま、肩を寄せてきた。その上で覗き込んでくるもんだから、滅茶苦茶近いってば。
「小町は俺のことに詳しいしな、俺の匂いを小町に付けることはやぶさかじゃない!」
こっちがやぶさかなんだってば。
相変わらず私がジト目のまま何も答えないでいると、今度は拗ね始めた。
「なあ小町、俺の匂いが付くのがそんなに嫌か? 別に臭くないと思うけど……あ! 小町は俺が嫌いなのか? 俺、そんなに駄目か!?」
「そ、そういう訳じゃ……」
護衛としては頼りにしてるし、ゴニョゴニョ、と口の中で呟いていると、それをしっかりと聞いたシスが破顔する。あああ! 無駄にいい顔過ぎる!
「じゃあ何が駄目なんだよー!」
「だ、だから……っ」
「言ってくれないと分からねえ!」
「くうう……っ!」
ここまでしてもまだ分からないらしい。ああ、言いたくない。これじゃまるで、私が亜人のシスを意識しているって言ってるみたいじゃないの。
でも、言わなければシスが非常にしつこい男なのは、もう理解している。……ええい! もうどうにでもなれ!
「だっだから! 匂い付けるって、く、くっつくんでしょ!?」
「そうだな!」
何故笑顔でいられる。
「ど、どうやって匂いを付けるのよ!」
私が叫ぶ様に聞くと。
んー? と考え始めたシスが、暫くしてニカッと笑った。
「寝る時、俺の腕の中で寝たらいいぞ!」
「ぶっ!」
思わず咳き込むと、シスが「大丈夫かー?」と私の背中を大きな手で撫でたのだった。