第15話 初めてのご褒美
私は今、シスの膝の上に座らされている。
スプレーを構えたままでいいと言うので、私の身の安全の為、お言葉に甘えてスプレーの吹き出し口をシスの顔に向けさせてもらった。何故膝の上なのかと言うと、くっつくと匂いが沢山していいからなんだとか。
どれだけ飢えてるんだ、この吸血鬼。たったさっき大量に肉を食べたばっかじゃないの。
そして私は、シスに言い聞かせている真っ最中だった。
「だーかーらあ、頸動脈は駄目だってば。あと、手首も危険だと思うから駄目!」
太い血管がある場所にした場合、シスがもっと欲しいという欲をなかなか止められず、大量の血を吸われる可能性が高い。これまでのグイグイッぷりから、それは容易に想像出来た。
至近距離で私の顔を覗き込んでいるシスが、大人の男っぽい端正過ぎる顔で唇を尖らせる。そういう乙女心をくすぐる表情は、やめてってば。
「折角だからグビグビ飲みたいのに……」
ほらな。
私がハアー、と深い溜息を吐くと、シスは私の顔色を窺う様に情けなくにへら、と笑った。
「大丈夫だ! 俺は小町の護衛だから、ちゃんと守るぞ!?」
「いや、それ多分私普通に死ぬよ?」
すると今度は、涙目でイヤイヤをする。どんな吸血鬼だ。本当にこいつ幾つだろう。後で聞いてみよう。
「死なない程度にするから!」
もうそれギリまで吸う気満々じゃないか。
半眼になり、シスを見上げた。私の顔は、さぞや呆れた表情になっていることだろう。そりゃそうだ。現在、心底呆れているところだから。
「沢山吸わないって言ったのはどの口よ」
「う……っ」
悲しそうな目で見られても、自分の命に関わることだから許可出来る筈もない。油断すると黙って見入ってしまいそうになるシスの黄金色の瞳を、ギッと睨みつけた。
「じゃあデザートはなしにする?」
「やだー!」
お前は子供かとつい思っちゃう様な台詞を吐いたシスは、無自覚なのか私にどんどん顔を近付けてくる。だから近い! 近いんだってば! この男のパーソナルスペースはどうなってんの!
「やだじゃない! 私に害のない程度の少量か、それかなしかのどっちか!」
「ご褒美なのにー!」
あまりにも顔が近くてキス出来そうなくらいの距離なので、私はシスの顔を左手で掴むとグイグイ押して離そうとした。すると。
「ひゃっ!?」
私の手首を掴んだシスは、自分の顔に押し当てられていた私の手のひら、親指の下のぷっくりとした腹の部分に、そのままカプリと噛み付く。シスの唇がびっくりするくらい柔らかくて、内心「ヒイイイッ!」と叫んだけど、驚き過ぎて声には出なかった。
シスの目が私を捉えて離さないまま、幸せそうな弧を描く。そして、シスの喉が、ゴクンと大きな音を鳴らした。……え、もう飲まれてるの。
「ちょ……」
また、喉がゴクンと鳴った。ちょっと、結構な量吸ってるんじゃないのこれ。
途端、焦りが私を襲った。シスの超絶美形顔に見つめられて固まっている内に干乾びるなんて、冗談じゃない。
「……吸い過ぎ!」
手を引っ込めようとしたけど、掴まれた手首はびくともしない。これ、本当に拙くないか。そこでようやく反対の手に持っているスプレーの存在を思い出した。私がそれをシスに向けようとすると、シスが「ちょっと待った」という風に手のひらを広げて見せる。
「は? なに?」
シスは指で自分の喉を差した後、指を一本立てた。まさか。
「あともうひと飲みってこと?」
シスの目が、嬉しそうに笑う。はあああ! 可愛い!
「じゃ、じゃあ、もう一回ゴクンッていったらおしまいね」
シスが目だけで頷いた。ああ、私は甘い。だって、この顔は卑怯過ぎる!
私は待った。約束は約束だから。
心地よい風が吹いた。……長くないか。
シスの頬を見ると、ちょっと膨れ始めている。コイツ、飲み込むのを我慢して頬に溜めてるじゃないの!
私が無言でスプレーを見せると、シスは慌てた様に目を泳がせた後、ゴクン! と大きな音を立てて嚥下した。全くもう。
私の手から唇を離すと、太い牙が二本刺さっているのが目に入る。でも、痺れた感覚がある以外、痛みは一切なかった。
……うわあ、グロい。思わず凝視している間にも、それはズルズルと私の手の肉から引き出されていった。怖いもの見たさってやつかもしれない。
全部出きると、私の手に大きな穴がふたつ空いているのが見えた。シスは私の手首を掴んだまま、今度はまだ血が残る舌先を出し、傷口を丁寧に舐め始める。
「……く、くすぐったい……っ」
痺れている場所以外に温かく濡れた舌が触れると、なんとも言えない感覚に身悶えしてしまった。シスは、そんな私をただじっと見つめながら、無言で舐め続けている。
「ね、ねえ、もういいんじゃないの……?」
あまりにも恥ずかしくてそう聞くと、シスがようやく顔を離した。
手首の骨に沿って、細い血の筋が出来ている。私の目線を追ったシスは、真剣な表情のまま、それを舌でべろっと舐め取った。滑らかな舌の感触に鳥肌が立ち、手を引っこ抜くと、ようやく私の手は自由を取り戻す。
シスは私を膝の上に抱いたまま、上気させた顔をほころばせると、「ご馳走様、小町」と囁いた。