スカイドンとマスターアップ【Cパート】
「直ったーっ!」
不二が喜びの声を上げたのは午前五時半過ぎだった。
「ありがとうございます!
じゃあ、すぐにロム焼きに入ってください。」
入浴効果で何度も眠気に襲われた窓野はその都度コーヒーを飲み、徹夜で完成のタイミングを待っていた。
「ああ、セーブデータ、前のバージョンので大丈夫ですよね?」
バグの検証が速やかに行えるよう、メモリーカードに修正箇所寸前のセーブデータをソニーに提出するのは、この時代では当然の義務となっていた。
「それは大丈夫。」
当倍速で五枚焼き、倍速で更に五枚焼く‥‥どう考えても余裕を持って出発する電車には乗れそうもない。
● ● ●
ロムを焼き終え、荷造りをし終えたのが八時二十分。
次の電車は八時二十六分。
新線新宿のホームには停まらないのでやや遠回りで大江戸線に乗らなければならないが、走ればカバーは出来るだろう。
大江戸線の六本木駅のホームは深い。
だが、エスカレーターを駆け登り、ノンストップで六本木ヒルズまで全力で走ればギリギリだが約束していた時間に間に合う‥‥と思う。
窓野は走った。まずは会社から千歳烏山駅のホームまで全力で。
昨夜の入浴で身体からは味噌樽臭は消えたものの、着替えていない為に衣服からは依然、悪臭が発せられていた。
それが走って流れ出た汗と化学反応を起こしたものだから満員電車の京王線の中は筆舌し難いまでのもの凄い事になった。
窓野は電車の中以外はひたすら走った。
六本木駅の深い階段を一気に二段飛ばしで駆け登り、そこからヒルズの森ビルまで走り抜けた。
考えてみれば、夏の朝、全力疾走する紙袋を持った髭面のアラフォー男が、途中にある麻布警察署の警官に職務質問されなかったのは最大の幸運であり奇跡であった。
幾つもの難関を乗り越え、四回目のマスターロムは無事、ツナミの土谷に手渡された。
「お疲れ様でした。」
森ビルの入り口で土谷が頭を下げる。
「今度こそ行けると思いますので宜しくお願いします。」
窓野も頭を下げる。
「――では、失礼します。」
そして踵を返した。
夏空を見上げると雲一つない蒼天が広がっていた。
(もうスカイドンが落ちてきませんように。)
窓野は心の中で祈った。
● ● ●
それから一週間後、イレブンキーのファクシミリにソニーからのマスター承認書が届いた。
「お疲れ様ーっ!」
社内の面々が『ダインリーベII』のスタッフに労いの言葉を掛ける。
「ありがとうございます。」
心身共に擦り減った窓野が照れ臭そうにお礼を言う。
「最後はどうなるかと思ったけど、よかったよかった。」
不二が赤いТシャツの上から腹鼓を叩く。
「何万枚売れるかねぇ?」
氷室が腕組みをしながら尋ねてくる。
「ハナっから枚数は期待されていませんでしたし、宣伝も打ってませんしねぇ。
いいところ一万六千から一万八千ってところじゃないですか。」
窓野が冷静に答えた。
枚数的には負けソフトである。
だが、手を抜かずに全力で乙女ゲームに取り組んだ漢の顔がそこにはあった。
「何はともあれ、これで明日からマスターアップ休暇が取れますね。」
怪獣王・目白が声を掛けて来る。
「まず床屋に行ってスッキリしてから、少しのんびりさせてもらいますよ。」
窓野が鬚の伸び切った顎をポリポリと掻きながら答えると、
「ああ、窓野さん、次のラインも乙女ゲーだから、休み中にこれ読んどいて。」
羽田が紙袋に詰め込んだコミックスを窓野に差し出した。
完
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