降りる降りない【Cパート】
その後、細かい部分の要望を修正し、OKテイクが出たシナリオを窓野は千倉に送信した。
そしてその日の昼休み、千倉から電話が入る。
「この仕事、降りていいですか?」
開口一番、千倉が切り出した。
「ええっ、どうしたんですか?」
「私の書いたの、かなり直されているんですけど。
そこまで直されるのなら別の人を立ててください。」
千倉は書籍を数冊出版されているシナリオライターだ。
それ相応のプライドというものがある。
「ちょ、ちょっと待ってください。
ツナミさんは業界でもかなりのウルサ型なので最初は毎度こんな感じなんですよ。」
リテイクは単に尾上の好みなのだろうが、窓野は状況を取り繕った。
窓野は尾上の修正の意図と千倉の文面のクセの折衷させたものでツナミ側の了承を得たのだが、千倉は元よりシナリオライターというものは自分の書いた文面がいじられるのが基本的に嫌いな人種である。
「でも、ここまでいじられると私としては‥‥。」
「このライン、千倉さんでないと書けないと思ってるんです。」
窓野は殺し文句を使った。
自分でないと出来ないという言葉を言われて、いい気分にならないライターはいない。
しかし、まさかプロローグの初稿で切り札を使う事になろうとは‥‥。
「そうなんですか?」
「そうです。」
根拠はない。
全く以てない。
ただの説得なのだから。
「でもぉ‥‥。」
まだ折れんのかい。
窓野は苛立ちながらも延々二時間説得し、ようやく千倉の降板意志を折る事に成功した。
(直木さんの言った通り、本当にめんどくさい‥‥。)
机の上には汁を吸い切った冷えたカップ麺が残っていた。
食べたけど。
● ● ●
翌日、イベント絵の原画マンの渡辺との打ち合わせが会議室で行われた。
今まではエヌ・クリエーションの市下豊という初老の男性にアテンドして頂くケースが多かったが、長らく体調を崩されていた為、今回は羽田が直木に頼んで見つけさせていた。
インターネットで見つけたらしいが、あまり自信がない人選だったのだろう、今回の打ち合わせも直木はドタキャンした。
「初めまして、渡辺です。
今、名刺は切らしていまして‥‥。」
デザイナーに限らずフリーランスは名刺を持っていない事が少なくない。
持たない事情は様々で、営業活動を真剣にやらなくても次々に仕事が入るからという人もいれば、単に名刺を作るのが面倒という人もいる。
中には名刺を作る金が無い人という人さえいる。
「イレブンキーの羽田です。
こちらが今回のラインの開発ディレクターの窓野です。」
羽田から順に名刺が渡される。
「よろしくお願いします。
――今回、ダインリーベというゲームの続編を作る事になりまして、渡辺さんにはそのイベント絵の線画をお願いしたいと思っています。」
窓野は席に着いた渡辺に概要を伝えた。
「すいません、線画といっても原画の線しかもう描けないんで。」
原画マンにありがちな答えだった。
アニメーターとは不思議な職業で、動画から第二原画、第二原画から原画と順を踏んで上がって行くのだが、なぜか原画に上がると動画の頃の丁寧な線画が描けなくなる。
原画に上がってからも第二原画を継続して請けている原画マンは別だが。
要は、この初対面の原画マンの他に、クリーンナップの出来る原画マンか、現役アニメーターを抱えている動画会社を探さなければならないという事だ。
(羽田さん、フリーランスのクリーンナッパーは勘弁してくれよ。)
会社に頼むのとフリーランスに頼むのとではディレクターにとっては死活問題になる程、もしもの時に雲泥の違いを生じさせる事がある。
その一番の違いは責任感だ。
フリーランスは中間に何も入らない為、安く済む分、何か気に入らない事があれば簡単に逃げられてしまう。
しかし会社となると、逃げた人員の代わりを必ず立ててくれる。
これは大きなメリットだ。
「それと――」
渡辺が言葉を続けた。
「作監は立ててください。」
「ええ、作監はウチのデザイナーが立ちますので、ご安心ください。」
羽田の台詞に窓野は背筋に冷たいものが走り、体温が二度下がった感覚に陥った。
「あれ、外川さん‥‥使えないんじゃなかったでしたっけ?」
窓野は嫌な予感を払拭する為、敢えて尋ねてみた。
「うん、使えない。」
ミラクルは起こらなかった。
「――ちょっと呼んで来ますね。」
羽田は渡辺にそう言って席を立つ。
二分後、会議室に羽田が仏頂面した怪獣王を連れて現れた。
窓野の海馬から現路ココナとの強烈なやり取りがプレイバックされる。
(降りる降りない問題に発展しませんように‥‥。)
窓野の健気な祈りを運命の女神様がこの後、蹴とばす事になろうとは、今の彼はまだ知る由もなかった。
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