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遺跡踏査記録


 王国公認の遺跡探検家であるグリンプスは迷っていた。

 手元にある地図の出来が非常に悪いせいだと思っているし、それは恐らく事実である。遺跡の踏査を専門にするグリンプスだが森林を歩くことも慣れていない訳ではなく、そんなグリンプスが目的地をわかっていてなお六刻(六時間)も森の中を彷徨い歩くことは考えにくい話だった。

 この地図を描いた森林探検家に文句の一つでも言ってやりたかったが、王国から下賜された地図は王国が描いた建前になるため、個々の探検家の名前が明らかになることは滅多にない。グリンプスの手にある地図は己の出来を自覚しているのか、滅多にない小さな自己主張──探検家自身の署名など余分な書き込み──は、やはり何一つなかった。

 そもそも天穴(スカイホール)さえ見えていれば大体の方向は間違えようもない。となれば怪しいのは距離についての記述だった。この地図はもう一度、描き直す必要があることは絶対に申し伝えよう、と心に決める。許されるならばグリンプス自身が描き直したって構わない、とさえ考えていた。

 しかしグリンプスの努力は報われる時が来た。やっと遠い視界の中に遺跡と思われる人工の建築物らしきものが見え始める。大きい。グリンプスが今まで踏査してきた遺跡と比べても明らかに大きかった。こんなに大きな目標物を見つけるため六刻もの時間をかけたことが、まだ信じられなかった。


 この規模の遺跡はグリンプスにとって初めて見るものだが、外周を歩いた所感としては「他と変わらない」だった。外回りを一周するのに一刻(一時間)強もかかったことは驚いたものの、噂には聞いていた「大きな遺跡ほど造りが画一的になる」という話が本当だと実感したのも初めてだ。しかし内部の造りについては大きさが違えば細部も異なっている、とも聞く。

 恐らくは木製だったのであろう遺跡の門扉は既に失われており、石や鉄で造られている部分だけが遺っているに過ぎなかった。遺跡はほぼ正方形をしており、天穴に面している一辺を正面とするならば正門から裏門へ直結している幅広の通路を擁した構造で、通り抜けが可能となっている。一階部分は倉庫や厩舎などに使われていたと考えられている区画で、もしも何かあるとすれば上階か逆に地下室へ隠されているだろうと思われていた。

 ともあれ、まずは地上階部分を探索するべくグリンプスは準備を始めた。森の中では案外に難しいが全景を視界へ収められる程度に離れると、このために用意した真新しい羊皮紙を取り出して大雑把に外観を描き始める。遺跡の外景を絵図へと落とし込む作業を半刻(三十分)ほどで終わらせると、次の羊皮紙を用意しつつ遺跡へと再び近づいて行った。

 開口部として一番に目立つのは、やはり遺跡の中央を貫く通路の門だった。というより、それ以外の開口部は多くない。上階には明らかに窓のようなものもあるが、地上階部分は採光用と思われる小さな窓が幾つか開いているだけだった。

 再び小さな開口部について注意しながら外周を回ってみた。それほど時間に余裕がある訳ではないが、時間をかけるに越したことはない。散見される小さな窓から苦心して遺跡内部へ侵入することもできなくはないが、現状では意味が薄い。グリンプスは観念したかのように遺跡中央の門と正対し、足を踏み入れた。


 遺跡は比較的、荒れている様子が見られなかった。経年による老朽化さえ目をつぶれば、今でも実用に耐えられるよう感じられる。扉だったと思われる痕跡だけが見られる戸口らしき開口部を幾つか抜けてみても、切石積みの堅牢な壁や天井は健在だった。それぞれの間仕切りはそもそもなかったり、あるいは壁に開けられた戸口で連結されていたりと様々だった。

 しかし、その構造自体は遺跡に慣れ親しんできたグリンプスにとって珍しいものではなかった。少し移動しては羊皮紙へ新たに書き込みを加え、地上階の全貌が明らかになり始めると珍しさは鳴りを潜めていく。やがて地上階の図面を描き終えると、途中で見つけておいた階段で上階へのぼるか改めて地上階を調べ直すかを少しだけ迷った。

 要するに、既に見えている上階の探索を優先するか見えていない地階の捜索を優先するか、という話ではあるのだが、グリンプスにとっては等しく魅力的な仕事だった。ただし最終的にはどちらも手をつける仕事なので、より時間をかけたい仕事へ先に手をつけたいのが本音だ。


 少しの逡巡の後、グリンプスは心を決めて地上階を再び丹念に調べ歩き始める。

 先ほど調べた限りでは地階への入り口などを見つけられていなかったものの、それでも地階の捜索を優先した。地上階の構造を細かく描き記すうち、上階の構造が想像できてしまっていたことが大きな理由となった。何かが隠されているのであれば上階よりは地階にある可能性の方が高いだろう、というグリンプス個人の思惑もある。

 そんな期待のこもった眼差しで地上階を調べていると、二つほど地下への入り口らしきものを発見する。しかし発見こそしたものの、地下部分へ下りてみると思ったほどの広さはなく、見つけたときは膨らんだ期待が萎むのに大した時間もかからなかった。

 しかし期待こそ小さくなったが、描いている地図へ書き込むことは忘れない。グリンプス個人の興味にとって目ぼしいものはなかったが、遺跡探検家としては地下部分の発見こそが目ぼしい成果であった。

 ところがグリンプスの期待に応える形で、二つ目の地下室を描き込んでいる最中に違和感が首をもたげた。一つ目の地下室と比べれば少し広いだけと思っていたが、よくよく調べてみれば地下室の入り口から一番遠くなる部屋の最奥に、さらに地下へと続く穴が隠されていることに気づけた。地下室の更に下に地下室がある、などという話を聞いたことはグリンプスにはない。まさに新発見だった。





 グリンプスは腰を据えた。

 もとより数日を森の中で過ごす前提で行動しているため、準備は万端と言ってよい。それでも森の危険度と踏査する地域や遺跡の重要さを天秤に掛けた上で、通例では危険度を重視して日帰りや日程を短縮することの方が多かった。地域の様変わりはあり得るものの遺跡が逃げることは、まずないためだ。

 そんな通例に従うことなく、グリンプスは野営することを決めた。心の中では遺跡の重要さに興味が重なって、今この遺跡から離れることなど考えられなくなっていた。踏査への熱量が冷静さを上回った結果だった。

 雨でも降っていれば話は違ったが、テントは遺跡から少し離れた場所に設営した。風雨を凌ぐのであれば遺跡は良い構造物ではあるものの、必要以上に遺跡を荒らさないことや万が一の崩落を考えると得策ではない。グリンプスの熱量は冷静さを確かに上回ったが、冷静さそのものが失われた訳ではなかった。

 もっと言えば残りの踏査を早々に切り上げて野営の準備や夕食を終えたが、ひと眠りした翌日に地階を調べるつもりはなく、まずは上階を調べ切るつもりでいる。他の踏査をすべて終わらせてから何の憂いもなく、地階の踏査を始める腹積もりであった。

 あとは休むだけ、という頃合いには時告石(テルザタイム石)が真っ赤になっていた。時刻で言えば火一刻(午後六時)の付近だ。街の日常では夕暮れどきではあるが、森の中では十分に就寝どきである。特に何事もなくグリンプスは翌日を迎えることができた。


 目覚めてすぐ見た時告石は青とも緑ともつかない色調であった。濃淡から恐らくは水二刻(午前四時)水三刻(午前五時)ぐらいだろう、とグリンプスは当たりをつける。街では早朝と呼ばれる時間帯だったが、天穴が煌々と光を放っている森の中では関係ない。今晩は時告石が赤く染まる前までに休もう、と決めて動き始めた。

 グリンプスは昨日見つけた地階に目もくれず、上階へと繋がるであろう階段へ向かっていった。今日一日で上階を調べ切るには、この時刻から活動しても間に合うかどうか自信はない。それでもグリンプスにとって上階の踏査は蔑ろにできるものではないし、地階への興味を振り切ることもまたできるものではなかった。

 悩んだ末にグリンプスが出した結論は「手を抜かない範囲で上階の踏査を素早く終わらせる」という身も蓋もない中途半端なものだった。実は結論にすらなっていないのだが、その点は見ないことにしている。そんな結論を出した以上、上階の踏査は時間勝負となった。

 幸か不幸か上階の構造は、グリンプスの予想を概ね裏切らないものだった。唯一、行き止まりとなっていた部屋の中央に簡素な石造りの、講壇とも祭壇とも思われる構造物だけがグリンプスの予想を裏切っていた。

 とりあえずグリンプスは簡単に講壇を調べただけで詳細は後回しにして、まずは上階全体の把握を急いだ。この講壇にしても今までに聞いた試しがないため、成果として十分なものではあるが、グリンプスにとってはそれだけであった。地階のさらに地下がどれほどの広がりを見せるかによっても違うが、講壇一つと人工的な地下空間では比べるべくもなかった。

 遺跡の屋上は広大ではあったが砦として変哲もなかった。鋸壁ではあるものの、それ以外に目立つ構造物もなく、眼下の敵を排除するに足るだけの機能は持たされているようだった。

 ここへ至るまでに描き終えた羊皮紙は十五枚ほどになっており、時告石は真っ白になって明一刻(午後零時)ほどを告げていた。時間が厳しい。グリンプスは屋上の光景を羊皮紙へ描き終えると一度、昼食を摂りがてら天幕(テント)へ戻ることにした。


 可能な限り素早く終わらせるつもりではいたものの、思わぬ横車を押された。上階の講壇は再び調べなければならないだろう。術士の才覚に乏しいグリンプスにとって苦手な部類だった。いや構造的な踏査であれば自信も経験もあるが、魔術を始めとした不思議な現象については明らかに不得手である。

 そんなグリンプスが遺跡探検家として立ち行けている理由の一つに、絵の才能がある。不思議な現象については対応できないものの、事実を事実としてありのまま他人へ伝える手段として正確な絵図を描ける才能は卓越していた。

 不思議についての理解は乏しいものの、それらを正確に書き写して伝えることは得意なグリンプスであった。敢えて仔細は調べなかったが、講壇に彫り込まれていた紋様はグリンプスが不得手とする不思議に属する何かであろうことは想像がついている。

 理解はできなくとも、正確に写し取って理解できる者へ繋ぐことが自分の役目である、とグリンプス自身も考えている。しかし、その作業にどれくらいの時間が必要になるのかは計りかねていた。計りかねてはいたものの、やらない選択肢はなかったし、手をこまねけばこまねくほど時間はなくなっていく。

 グリンプスは昼食を終えると必要になる描き込み済みの羊皮紙を厳選し、それ以外は荷物として天幕の中へと置いて行くことにした。講壇の調査に本腰を入れるためである。ほぼ直方体のような形状ではあったが、その四側面すべてに紋様が彫り込まれていただけでなく、上面にすら精緻な紋様が彫り込まれていることだけは確認してあった。

 準備を整えて、グリンプスは再び天幕を出た。地上階は上階へ繋がる階段を一目散に目指して軽々と駆け上がり、上階では行き止まりの講壇の部屋を目指す。もはや他の部屋や区画には目もくれない。一瞬でも方向に迷ったときは、自作の地図を頼りに迷いを正して進んでいった。


 講壇の部屋へ辿り着くと、グリンプスは時告石を見た。時告石は薄桃色に染まって、明二刻(午後一時)明三刻(午後二時)辺りを告げていた。色の薄さから、まだ地一刻(午後三時)にはなっていないだろう、と判断する。時告石が真っ赤に染まるまで恐らくは五刻(五時間)もあれば良い方だろう、とも。今朝がたに決めた「火一刻までには休む」という自分への約束を守ることは難しそうだった。

 だからと言って、やらない、はない。なんとなれば、もう一日を講壇に費やしても構わない。それほどまでに地階の存在はグリンプスの中で大きく、万難を排して踏査したい場所であった。

 しばらくは、この部屋に留まることとなる。精緻な紋様を写し取るには集中力が必要だった。黙って羊皮紙と描画道具を取り出し、さっそく目についている一側面から取りかかる。

 一心不乱に描き進めて一面を写し終え、集中を乱さぬよう仕舞っていた時告石を取り出すと、地一刻と思しき桃色へ染まっていた。筆の速度を犠牲にして正確さを追求した結果であるため、時間がかかっていることに不満はない。同時に、己が手掛けた写し絵の正確さにも不満はなかった。しかし、これでは火一刻までに終わらせるなど到底かなわない。

 グリンプスは今日中の上階踏査を諦めた。もう一面だけ写し取ってから天幕へ戻ろうと決め、さっそく二面目を写し取り始める。これにも二刻ほどを費やしたが、遺跡に着いてから二日目の踏査を、時告石が真っ赤に染まり切る火一刻を待たずして終了とした。





 遺跡三日目の朝は水一刻(午前三時)と思われる、青と緑の中間のように見える濃淡を時告石が放つ頃合いに始まった。諸々の準備を整えて、今日も講壇の部屋へと向かう。残り三面を描き写すには半日もあれば十分のはずだったが、それでもグリンプスは正確さを損なわない程度に急いだ。

 ここで急いでおけば地階の踏査に避ける時間が増えるだけでなく、踏査中に夜が訪れる危険を冒さなくとも良いことになる。最寄りの街を出て三日。そろそろ夜が訪れても不思議はない。当初は今日一日を地階の踏査に充てるつもりでいたが、早い段階から目論見は崩れ去っていた。できれば挽回したいところだった。

 残りの三面は五刻ほどで写し終えた。もちろん手抜きなど、ない。この手の写しは正確であればあるほど後の調査が捗るらしい、と聞いたことはあった。しかし、どこの誰が調査しているのかまではグリンプスも知らない。

 ただ「調査に貢献した」という名目で王国から褒賞を与えられた者がいる、という噂を聞いたことならば幾度となくあった。国の喧伝だろう、という思いもあるにはあったが、褒賞の話が本当であれば、やはり手抜きなどできるはずがない。

 話が本当であれば、この紋様の写しも褒賞の対象となって然るべきだとグリンプスは感じているが、それは地階の存在についても同じだ。むしろ規模で言えば地階の方が、より大きな褒賞となるだろう、との想像は容易だった。そんなことを考えながら、グリンプスは写し上げた羊皮紙をまとめ、天幕へ戻る準備を始める。やっと地階の踏査へ着手できる見通しが立ったのだ。


 天幕の中で今後についての検討を、早めの昼食や地階踏査の準備と共に始めた。時告石によれば今は光一刻(午前九時)を過ぎたあたりだった。まずは半日を地階の踏査に充てて、様子を見ることが順当に思われた。

 夕暮れが始まってしまえば夜に森を行軍する危険を冒すか、この場で何日かを過ごすかを考えなければならない。一番良いのは、もう数日は昼が続いてくれることだったが、こればかりはどうにもならなかった。

 理想を追っても現実は付いてこないので今日から夜になる前提で話を進めると、地階の踏査に使える時間は、残りの半日しかなかった。夜中の行軍については避けるべきではあるものの、必ず避けなければならない、という話でもなかった。その点についてはグリンプスにも多少なりとも自信だってある。

 食糧の残りには余裕があるし、体力にも同じことが言えた。遺跡や地階に対する高揚感もないではないが、冷静さが失われている、との自覚もない。もっとも本当に冷静さが失われているのであれば、やはり自覚はできないはずであるから、そう考えることができている事実を冷静さの証として捉えていた。

 とっくに昼食も食べ終え、自分の中の考えもまとめがついたように感じられた。とりあえずは半日、夕暮れが来れば火一刻には夜となるだろうから、それまでには大雑把な踏査だけでも終わらせて様子を見ることに決めた。火一刻になっても天穴が明るいままならば、少なくとも明日一日は丸ごと踏査に充てられる。

 代わりに帰りの道程が夜中行軍となることも覚悟を決めた。野営の物資が怪しくなるか夜が訪れるまでは、地階の踏査を続ける。これがグリンプスの出した今後の方針だった。


 地階の踏査は今までになかった準備が必要となる。具体的には光源の確保だ。焚火の残り火からランタンへと炎を移しておく。今までは木漏れ日が十分な光源として機能していたが、地下ではそうもいかない。夜とはまた違う、そこは闇と表現して良い領域のはずだった。

 グリンプスの地下踏査経験は、実は多くない。そもそも地階のある遺跡が比較的に珍しい部類へと入るため、地下の踏査経験がある探検家そのものが多くない現実がある。それだけに未踏査の地下の発見は、グリンプスにとって飛躍の手段でもあった。

 この踏査をある程度まで進めて報告することにより褒賞を得られることは、まず間違いないであろうし、もっと言えば──職業倫理としては許されていないが──地下の存在を隠蔽し独占することも可能である。場合によっては地下には財宝が隠されている、という噂も聞こえているため、後に非公認の踏査を経てひと財産を築くことも視野に入ってくる。

 地下の存在をどうするかについては、グリンプスも決めかねていた。独占したい欲がない、と言えば噓になる。一方で国からの褒賞も、本当に与えられるのかも含めて気になっていた。

 今のグリンプスに求められているのは、国へ報告したときと隠蔽したときで自身の利益がより大きくなる選択だった。グリンプスも聖人君子ではない。本当に貰えるか定かではない褒賞を期待するか、より現実的な利益を生み出しそうな存在を独占するか否かを迷っていた。

 しかし、そんな迷いも地下そのものや隠されているものの状態によって左右される。財宝など一切なく、むしろ危険だけが存在する可能性だって否定できないためだ。その意味において地下の踏査は探検ではなく、冒険となるはずだった。


 思いつく限りの準備を整えて、グリンプスは天幕から地下の待つ地階の部屋へと向かっていった。先日までは天幕へ置いたままとしていたが、今は活躍の場を得た角灯(ランタン)を部屋の入り口で準備した。地下における唯一の光源である。

 先日の地階の部屋は薄暗い中で踏査していたため、明かりを入れての踏査は初めてだった。地下への入り口は階段が下へ続いていることぐらいまでしか部屋の中からはわからなかったが、そもそもこの部屋に入り口があることがわかったのは偶然だったことが判明した。

 もともと地下への入り口は完全に封じ込められていたようだが、その封じ込めが経年による劣化で破れてしまったところに居合わせることができた、というのが真相のようだ。逆に言えば壊れている場面に遭遇できなければ、今回の踏査に任命されていなければ、この発見は別の誰かによって成されていただろう。

 ここでグリンプスは気を引き締める。惰性で踏査を行なっていた自分自身に気づいたためだ。地階の存在を確認した時点で面倒がらずに照明具を用意するべきだった。それをしなかったのは踏査に対して怠慢以外の何物でもない。

 しかし幸いにして大きな過ちには至っていない。暗がりの中で何かを見逃した訳ではないようであるし、夜まで少なくとも半日以上は残っている計算になる。何が見つかるのかは未知数だが、見つかるもの次第では小さな過ちなど吹き飛ばせるだろう、とグリンプスは考え直していた。

 気を取り直してグリンプスは地下への入り口へ正対した。ここから先は気が抜けない。長く待ち望んでいた大きな成果であるし、小さな油断も見逃してくれることのない危険そのものでもある。避けては通れないし、避けるつもりもなかった。





 地下は狭かった。ひと一人がどうにか通れるほどの広さしかなく、地上部分にあたる切石積みの遺跡と違って手掘りで整えられただけか、ひょっとすると天然の洞窟そのままの通路となっていた。

 比較的に重装のグリンプスは通り抜けるだけで精一杯だったが、鎧や身体そのものが引っかかるほどの狭さでもない。ただし何も危険がなければ、という但し書きがつく。通り抜けはできるが剣も盾も構えることなど到底、無理な相談だった。

 ところが刻四半(十五分)ほど進んだところで、狭い通路は広さのある空間へ様相を変えた。恐らく十人も入れば足の踏み場もなくなる程度の広さしかないと思われるが、ここに至るまでの狭さと比べれば雲泥の差だった。

 さっそく筆記具と羊皮紙を取り出して地図を描き記す。角灯を掲げながら進むしかなかった通路では難しかった作業を進めながら周囲の様子も窺ってみると、この先には選択肢があった。

 この空間にはグリンプスが入ってきた通路を含め、合計で四本の通路が接続されていた。広場までの道程を記し終え、正体の知れない三本の通路をそれぞれ覗き込んでは見たものの、角灯の光は闇に飲まれて何も見えない。

 どの通路も先ほどまでの通路と同じく、ひと一人が通れる幅しかなく、何者かが通った痕跡なども見つけられない。時告石を見ると、ほぼ真っ白と言っても問題ないが少しだけ緑がかっていた。色合いから考えれば光三刻(午前十一時)ぐらいだろう。まだ余裕はある。

 とすれば問題は三本の通路だが、情報が少なすぎるため比較のしようがなかった。であれば、と右手の通路に狙いを定める。特に深い意味はない。グリンプスは羊皮紙と筆記具を仕舞い込んで、右手の通路へ潜り込んでいった。


 潜り込んだ右手の通路も広場へ至った通路と同じように狭く、必ずしも自由の利く通路ではなかった。通ることだけを考えられているような通路について、グリンプスは様々なことを考える。主に通路と広場の用途についてだった。

 現状では大がかりな宝物庫などを期待はできない。逃走路か、あっても小規模の宝物庫だろうか。仮に広大な宝物庫へ行き当たったとして、どのような宝物が納められているかわかったものではない。別の搬入路でもなければ大したものは納められていないだろう。

 非常時の逃走路だとしても、何処に繋がるのかで処遇を変えなければならない。他の遺跡に繋がっていてくれればまだしも、下手に街中などへ繋がっていれば話は大事になることを避けられないし、隠蔽など以ての外となる。グリンプスの中に芽吹いていた、隠蔽して独り占めする気持ちは今や急速に萎んでいた。

 そうなると次に期待するのは国からの褒賞だった。具体的な金額はおろか本当に与えられるのかすら怪しいものではあるが、ここまでの地下構造物が見つかった、という話は今まで聞いたことすらなかったのだ。

 いま通り抜けている通路を含めた道中は手入れされているのかも怪しいが、少なくとも入り口は人工的に隠されていた。何らかの方法で活用されていたか、繋がっている先が繋がっていては不都合な場所であることが考えられる。ここでグリンプスは気がついた。

 この規模の地下構造物、あるいはそれに類するものが見つかったとは、今まで聞いたことすらなかった。そんなことは本当にあり得るのだろうか。何らかの手段で既に隠蔽されていることは考えられないか。思考と共に、いつしかグリンプスの足も止まっていた。


 時告石を確かめる。完全な白色だった。きっと明一刻なのだろう。折り返すには良い頃合いだった。通路の先には、まだ暗闇が広がっている。グリンプスは当初の執着からは考えられないほどの冷静さをもって退くことを決めた。先ほど思い至った仮定に後押しされた、とも言えた。

 一つ仮定すると、様々な事柄が結びついてくるように思われた。人跡未踏の地下部分を発見できた幸運は、本当に幸運だったのか。地下部分の発見は入り口の隠蔽が破られていたからだ。どうして破られていたのだろう。破られた後に再度、隠蔽された形跡などは見当たらなかった。

 そもそも地階部分の発見ですら珍しいものだし、上階の紋様だらけの講壇にしても同様だ。更に地下まで存在するとなれば相当に特異な遺跡であることは間違いないが、そんな特異な遺跡が口の端に上らないほど──自分を含めた──遺跡探検家は秘密を隠したがる連中だろうか。多かれ少なかれ功名心で動いている者だっている。酔漢の戯言として噂にすら上らない、などという静粛さは似つかわしくないように思われた。

 そう考えると森の探検について専任ではないにしろ、比較的に慣れ親しんでいるグリンプスが六刻も迷うことだって考えにくい。迷った原因は恐らく地図だ。その地図は王国から下賜されたもので、どこの誰が描いたのかはわからないようになっている。

 来た道を戻りながら、ひょっとすると自分の今の立場は非常に不味いものになっているのではないか、という思考にグリンプスは達していた。そんな思考へ至るのを待っていたかのように、先ほどの広場へ辿り着く。広場に入る少し前には躊躇を覚えたが、もはや逃げ道はない。つけられるだけの勢いをつけて広場へ雪崩れ込んではみたものの、不審者が待っているようなことはなかった。幸運に違いない。


 はたと思いついて、グリンプスは地図を描き加えた。先ほどまで進んでいた通路について、である。その通路も、もちろん途中までしか描くことはできないが、自分がどこまで辿り着いたのかをあやふやなものとするため、この遺跡を訪れてから初めて手心を加えた。いつ四本の通路のどれかから何者かが現れるのではないか、と思うと気が気ではなかったが、グリンプスは次に通路を描き加えた羊皮紙を手本として、新たな羊皮紙へすべてを描き写していった。

 この地図の複製について全体が終わると、自らが知り得る限りの情報を時間を惜しんで書き加えていった。しかし、いま思いつく限りを加筆したところで、天幕に戻ることができたなら更に加筆することを決めて中断して大切に仕舞い込んだ。

 三叉路状態となっている通路を背に、一本だけ伸びている遺跡への通路をグリンプスは進んでいった。気が急いていることは自覚していたが、自覚しているだけでどうにもならない。気のままに急いで通路を通り抜けることだけを考え、細かな観察などは捨てていた。かなりの速度で通路を戻ったおかげか、程なくして視線の先の天井にわずかな明かりが見えた。入り口を塞がれるという懸念はあったが、どうやら杞憂に過ぎなかったようだった。

 グリンプスが遺跡の地下室へまろび出ても、地下室は数刻前と変わらない様子で迎えてくれた。すっかり変わったのはグリンプスの方である。もはや地下室の様子を細かく確認することもなく、遺跡を通り抜けて天幕へと戻っていった。

 天幕へ辿り着いた頃には狂奔とも言えるような熱い冷静さが引き、落ち着いた正しい冷静さをグリンプスは取り戻していた。一度、仮定の連鎖に火がついて激しく燃え上がりはしたが、何事もなかった天幕の様子を見て気を静めることができた。


 グリンプスが至った仮定の上に積み上げられた結論は、

「王国は遺跡の情報を収集している体裁で、遺跡の重要な情報を隠蔽している」

だった。


 土台は仮定だらけだが、今ではもう確信に近い。そんなことを考えながらも地下の広場で決めたとおり、天幕の中でかけられる時間をかけて今まで集めた情報を複製の地図へと落とし込んでいった。

 しかし惜しまれはするものの講壇の写し絵だけは諦め、代わりに帰りの地図を描きながら帰ることも決めた。国が隠したがっていた遺跡の正確な場所を把握しておくことは何らかの保険になるのではないか、という漠然とした考えでしかなかったが実行に移すつもりだった。

 原本よりも詳細な情報を持たされた複製の地図がグリンプスの堂々たる署名によって完成したところで、グリンプスは天幕から外へ出てみた。時告石を見るまでもなく、多くの時が過ぎ去っていた。森は既に夕暮れを越え、夜に閉ざされていた。





 更に幾つかの時が過ぎ去って、グリンプスは無事に遺跡探検家を辞することができた。今後を聞かれてグリンプスは「しばらくは何もせず、静かに暮らしたい」と、やや曖昧な答えを方方に残した。

 あの日の気づきを忘れたことはない。その気づきに従って王国には地図の原本を献上し、それに付随して紋様だらけの講壇の写し絵や地階や地下の存在も献上・報告した。意外なことにグリンプスが最早、王国の喧伝だと信じて疑っていなかった褒賞の話が出た。

 存在は知っていたものの見ることはなかったため概念だけの存在だろう、と疑っていた大白金貨による支払いを予感させる──それはそれで興味を惹かれる──担当者の物言いだったが大半は断って、代わりに「もう疲れた」として遺跡探検家を辞することを認めてもらった。

 後日、王国から「去り行く遺跡探検家であっても成果のあった者に対して、たとえ少額でも褒賞を出すことに意味がある」と訴えかけられ、少額ならば、とグリンプスも受けることにした。

 それでも与えられた財貨は白金貨でなければ持ち運ぶこともできないような額であったため、グリンプスは冒険者としての準備にそれらを充てた。どうやら褒賞の噂だけは本当だったようだ。少しは王国に加担してやるのも良いか、とグリンプスはその点においてだけ考え直した。

 もちろん自らの署名を記した献上した地図の詳細な複製は、手元に隠してある。どこまで王国の目を欺けるかはわからないが、「本当に」正確な地図を描いてやろう、というグリンプスの欲望は、まだ走り始めたばかりだった。

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