07
翌日から彼も吹っ切れたのか積極的に田中さんの所に行くようになった。
傍から見ても楽しそうな雰囲気に包まれており、「私いらないですやん……」となっていた。
長年一緒にいて片方が告白するくらいなんだから、何もおかしなことではないのかもしれない。
彼も引っかかってたみたいだし、彼女だって好きなんだから当たり前の結果と言えるかもしれない。
だから邪魔をしないように一人で教室を後にしたときだった。
「泉、元気だったか?」
「あ、椿先輩、こんにちはっ」
小さい先輩と遭遇したのは。
横を歩く先輩からはあの本屋で感じた可愛さよりも格好良さがそこにはある。
「泉、この前の男はどうしたのだ?」
「あの人は他の女の子が好きなんです、ですからいまもその子のところにいますよ」
「保険をかけていたということなのか? それなら許せないな」
「そんなことないですよ。大体、私なんかサブ候補にすら上がらないですよ」
彼は暇つぶしをしたかっただけだけだろう。
協力できていないのは気になるところだけど、変に出しゃばる必要もないだろうと割り切った。
先輩と学校を後にして家への道を歩いていく。
「な、なあ泉……どうして全然連絡してきてくれないのだ?」
「基本的にあまりツールというのを使う性格じゃないんです、それにどうせなら顔を見て話したいじゃないですか。家での私は外とは全然違うんです、見せることはしないですけどね」
弟に八つ当たりしてしまうようなもう一人を見せるなんてできるわけがない。
恐らくまだ先輩に指を掴まれてもじんわりと涙がにじみ出てくるはずだ。
「椿先輩、ちょっと指を掴んでみてください」
「こ、こうか? あ……やっぱり涙が出るのか」
「はい、信用できてない相手に掴まれるとこうなるんです」
「し、信用できてない、か」
家での自分について触れられたくなかったからこうしただけで、本当ならしたくはなかった。
「どうしたら信用してもらえるのだ?」
「すみません、それは分からないです、言えるのは両親に掴まれても泣かないということですね」
颯に掴まれたら今の私では泣いてしまうかもしれないから言えなかった。
「あの男や女に掴まれても泣くのか?」
「はい、まだ全然ですよ、だから気に病まないでくださいね」
「そうか……我だけじゃないのなら安心できるな」
優しいから信用したいけど過去の色々が私の心を蝕む。
こう言っておきながら後々裏切ってきた人間もいたから。
別れ道に着いて格好良い先輩と私は別れた。
「本屋に行かないか?」と誘ってくれた先輩と別れたのは、後ろに颯がいたからだ。
何も言わず、かと言って抜いて帰ることもしないなんて正直弟でも怖い。
悪いのは完全に私、となれば動かなければいけないのも私というものだろう。
「そ、颯……この前はごめんね?」
向き合って頭を下げる。
謝れば優しい弟は分かってくれるという安直な判断からの行動。
しかし……依然として何も言わない、言ってくれない。
顔を上げて彼の顔を見てみても、こちらを見てくれてはいなかった。
「……僕が近くにいたらお姉ちゃんを苦しめるだけだもんね、だからもう話すのやめようよ」
「分かった、颯が言うならそうしよっか」
謝れないまま終わるわけじゃないから何も問題はない。
先に彼を帰らせてやっぱり本屋に行くことにした。
悲しい気持ちなど何も出てきてくれなかった。
純粋に、私の顔を弟が見たくないだろうからという理由からの行動で。
「あ、来たのか泉」
「先程は誘ってもらったのにすみませんでした、きちんと話をしたかったんです弟と」
本屋さんの中の角で、小声で先輩と話をする。
「やはりあの男は泉の弟だったのだな、付かず離れずの距離でいたものだから気になっていたのだ」
「ちなみに、可愛い弟から『もう話すのやめようよ』というお願いでした」
「は……そ、それで泉はどう答えたのだ?」
「え? 『颯が言うならそうしよっか』と答えましたけど」
え、どうしてそんな複雑そうな顔をするの椿先輩。
私は颯のためを思って言ったつもりだけど、何かが間違っているのだろうか。
「弟からそんなことを言われて素直に認めるなんておかしいだろうっ」
「おかしくないですよ、相手がそう願ってきたのなら認めるしかないじゃないですか」
「……悲しくもなっていないのか?」
「なりませんね、はい」
元々中学生の頃から一緒にいる時間は少なかった。
家にいてもお風呂に入ったり寝る時間の相違があったりして、会話も多いわけではなかったのだ。
そんな彼が望むならそうしてあげるべきだし、姉が出しゃばるべきではないと思う。
そして颯にとってはこれで大好きな野球や好きな女の子に集中することができるということ。
いいことしかないのに先輩は何を気にしているのだろうか
「仮の話だが、我が言っても同じ反応を見せるのか?」
「はい、普通のことですよね?」
「……泉、貴様はどこかおかしいのではないのか? 普通の人間にそんな“普通”は存在しない」
「もしかして生き方の否定をするつもりですか? 家族に言われるのも嫌ですし、それが一番嫌いなことなんですよね私にとっては。やめるか関係を絶つか、どちらかにしてください」
個人によって『普通』には違いがあるのに、押しつけなどされたくない。
全然関わりのない先輩からされるのも嫌だとしか言いようがない。
どんなに仲を深めたところで、地雷を踏み抜こうとしてくる相手とは上手く接することはできない。
「分かった、やめよう」
「ありがとうございます、二度と言わないでくださいね」
偉そうだと思われてもどうでもいい、嫌なことを嫌だと言って何が悪いのだ。
喋るだけなのに本屋さんにこれ以上いるのは迷惑なので、二人で外に出た。
「向こうに我の家があるのだ、今度来てくれないか?」
どうやらこのまま真っ直ぐ行った先に先輩の家があるらしい。
本屋さんに行くついでにお邪魔させてもらうのも悪くないかもしれない。
だから「今度行かせてもらいます」と答えてこの話を終わらせた。
「もう帰るのか?」
「まあ、あまり外にいてもどうしようもないですしね」
いずれは帰らなければならないわけで、少しでも弟にストレスを与えなければそれでいいのだ。
「……先程は悪かった」
「いえ、こちらこそすみませんでした、それでは」
こうしないと上手く生きられない自分に問題があるだけで、先輩は悪くない。
伊藤君にだって私のことを思ってきちんと言ってくれた先輩に、私はこんなことしかできないか、と。
だけれども変えようとは思えなかった。
相手が求めたら受け入れるのは当たり前じゃないか。
「○○が言うなら」と動くのが『普通』なのではないだろうか。
これもつまり自分の考え方の押し付けということ? ……分からない。
分からないから家に帰ってリビングのソファに寝転ぶ。
こうしてぼけっと考える時間が私は好きだ。
お風呂も同じようにできるから好きだった。
喧騒から解放されて自分だけしかいない空間で自由にする、それは幸せだとしか言いようがなくて。
「電話……」
彼からの電話……責められる内容じゃなければいいけど。
「もしもし?」
「何で先に帰ったんだよお前っ」
残念だと内で溜め息をつく。
あんな完璧ないちゃいちゃを見せつけておきながら私の自由も確保なんて勝手が過ぎるだろう。
「田中さんと上手くいってたじゃん、先に帰ってなにが悪いの?」
「俺は最初からお前と帰りたかったんだよ」
「田中さんとは帰ってこなかったの?」
「帰った……けど」
「じゃあいいじゃん、じゃあね」
唯一休める時間なんだ、邪魔してくれるなリア充が。
それから何度も電話がかかってきたけど全て無視して、私は幸せを追い求めた。