03
「おはよ渡辺」
「し、失礼します!」
挨拶をしてくれたのに逃げるように席を後にするのは申し訳ないけど怖かったのだ。
私の態度にむかついたのかぼそりと「腕を掴む」と言われてしまったため反射的に足を止めてしまう。
「に、逃げるのやめたじゃないですか……」
腕を掴まれて悲鳴をあげなかっただけ感謝してほしいと思った。
腕を掴まれたまま昨日の女の子の所まで連れて行かれてしまう。
「田中、渡辺の友達になってやってくれないか?」
「……はい? てか、何でその子泣いてるの?」
「腕を掴まれたりすると怖くて泣くんだ」
「じゃあやめてあげなよ、顔青ざめてるよ?」
「こうしておかないと逃げるから駄目なんだ」
「顔が青ざめてる子と仲良くなんてできないよ、出直して伊藤」
助けてはくれないのか……。
自分の席に戻ってきて座らせてはくれても腕を掴むのをやめてくれない。
涙がぼろぼろ流れているというのにその顔は冷たい顔のままだった。
というか、誰も興味すら持ってくれないんだなと自分の立場を理解する。
二年生が終わるまでこのままなのかと考えたら鼻水も沢山出た。
「おい、もう逃げたりしないか?」
「……できませんよ……そんなこと……」
SHRの時間が近づいてきたらこれか。
クラスメイトはともかく教師に見られるのは避けたいのだろう。
生徒は幾らでも脅せばいいと考えているのかもしれない。
家も知られてしまったのは致命傷だ。
「ほら、拭けよ」
「へ……? た、タオル?」
しかも綺麗でふわふわしている物で、鼻水なんか拭くのはとてもじゃないけどできないよ。
「鼻水酷いからさ」
「誰のせいだと思っているんですかっ」
「お前が逃げるからだろっ、俺だって掴まなくて済むなら掴みたくないよ」
「……だってこれからも脅して私を使うんですよね?」
休日に家へとこもろうとしても、連絡先は無理やり言わされたし家だって知られてしまったのだ。
いつでも「腕を掴む」と口にすれば私は怖くて足を止めることしかできない。
そして止めても尚、握って恐怖を植え付ければ、ご主人様に逆らえない道具の完成だ。
「はぁ? そんな訳ないだろ? 友達になったじゃないかっ」
「それは……無理やり引き出したんじゃないですか、はいと言わなければ折られていたかもしれませんし」
「折るわけないだろ……」
アホらしいという顔でこっちを伊藤君は見るけど、怖かったんだよこっちは。
そりゃ腕掴めば簡単に相手を黙らせられる立場にいる人からすればそうなのかもしれないけど。
「それに俺はちゃんと守ってるだろ? 言ってから掴んでるじゃないか」
「そうですけど……掴まれたら涙出るんですよ」
「優しくしても駄目なのか?」
「……信用できない相手に掴まれるとだめなんです……あ、お、怒らないでくださいねっ? べつに伊藤君がだけにとかじゃないですから! このクラスの人達全員にされても同じように涙出ますから」
どんな宣言だこれは。
いつの間にか側にやって来ていた田中雪さんが私の腕を掴む。
「あ、本当だね」
「……もう好きにしてください」
私にとってこれは暴力の範疇だけど、満足してくれるなら幾らでもいてくれればいい。
そもそも一番嫌なのは机の上が涙と鼻水で汚れていくことだろう。
「ごめんごめん、伊藤は知らないけど私はしないから安心してよ。それより昨日はごめんね? 本を読んでいる時に来られるのが一番嫌なんだ」
「田中のせいで渡辺が泣いたじゃないかよ!」
「あなたが言わないでください!」「あんたが言うな!」
申し訳ないと思ったのかふわふわのタオルで私の顔を拭いてくれた。
思いの外優しい拭き方で……困惑が勝ってしまう。
「渡辺ちゃん、私には敬語じゃなくていいよ」
「いやこれは……」
「でも私知ってるし、弟君と仲良さそうに話しているところ見たから」
「ぶはぁ……あ、あの……颯にはなにもしないで? あの子は悪くないの……優しい子なの」
「しないよそんなこと、それより敬語やめてくれてありがとっ」
本を読んでいた時は冷たい子なのかなと感じたけど、そんなことない。
笑った顔が凄い可愛いし、優しさも伝わってきた。
「伊藤、渡辺ちゃんを泣かしたら許さないからね」
「……泣かせないよ、これ以上は絶対に」
「じゃあ私と約束、破ったら二度と渡辺ちゃんに近づかない、いい?」
「ああ、約束する」
別にそこまで徹底しなくてもいいと思う。
向こうからやって来てくれたチャンスをものにしたい。
「あの、友達になってくれませんか?」
「は? もう友達だろ」
「そうだよ、訳わからないこと言う子だね」
「じゃあ……二度と近づかないとか言うのやめてください」
「……渡辺が言うなら仕方ないな」
「そうだね、でも本当に泣かせないように行動するから、だって離れたら泣いちゃうもんね」
ま、まあ、少し自信過剰気味くらいの友達の方が接しやすいだろう。
こうして伊藤君のせいで――おかげで友達が二人も増えました。
「嬉しい、ですっ」
「うわ……渡辺がああ言ってくれてなかったらもう離れることになってたぞ?」
「た、確かに……渡辺ちゃんは恐ろしい子だ」
嬉し泣きしたのなんていつ以来だろうか。
でも、悪いことではないはずだ。
お気に入りの本屋さんで適当に物色をしていた。
ちなみに、今は伊藤君も田中さんもここにはいない。
どうやら二人とも用事があるらしいので既に別れていたのだ。
特に買いたい物がないと気づいたので角を曲がってあとは真っ直ぐ店内を出ようとしたときだった。
「ん~! 取れないのだー……」
そんな可愛い喋り方とちっちゃい女の子を見つけたのは。
「取れないんですか?」
「そ、そうなのだ……」
「はい、これでいいんですよね?」
「あ、ありがとうなのだ……さらば!」
「あ……」
同じ制服を着ているから名前くらい聞きたかったんだけど会計を済まして出て行ってしまった。
慌てて出てみるも近くにはいなくて走ることはやめる。
痛み耐性――恐怖耐性が弱いだけではなく、運動能力も高くないからだ。
「泉ちゃん!」
「あ、田中さん……用事があったんじゃ?」
「いやーそれよりこの本屋って雰囲気良いよね」
「わ、分かる!? あまり大きくないけど静かで落ち着ける場所なの!」
「お、おう……泉ちゃん近い近いっ」
私は「ごめんなさい」と謝って距離を作った。
それにしてもいま詰め寄った際、可愛さの暴力にやられそうになったのは自分の方だ。
「泉ちゃん、私が伊藤の言うことを聞く理由分かる?」
「え、友達だからかな?」
「違うとも言えないけど……伊藤のこと好きなんだ、ずっと昔からでさ」
こんなに可愛い女の子が側にいて伊藤君はどうして私なんかにあんなことしてきたのだろう。
嘘の告白はもういいとしても、その後の対応がどうしても引っかかる。
表面上だけの関係でしかないとか言っていたくせに、伊藤君のことを好きでいてくれる女の子がいるんじゃないか。
少なからず伊藤君は田中さんのことをよく思ってるけど、上手くいかない苛立ちを私にぶつけて発散しようとしたということだろうか。
だったら友達になんてならなければいいような……。
「どうして名前で呼ばないの? ずっと昔から一緒にいるんだよね?」
「あーうん、昔は名前呼びしてたんだよお互いに。だけど伊藤が告白してきて振った時に――」
「ええ!? な、なんで振ったんですかっ?」
向こうから来られると興味が失せるということなのだろうか。
「……素直になれなかったの。本当に凄い嬉しかったのに……素っ気なく対応して伊藤を振ってた」
素直になるって難しいことだと思う。
自分もできていないから強く何かを言うことはできなかった。
「もし伊藤が泉ちゃんのことを好きになったらどうする?」
「大丈夫だよ、それは絶対にありえないことだよ」
「な、何で?」
「近くに田中さんがいて私に興味を持つことなんかないよ」
詳しく言えない語彙力が悲しい。
とはいえ下の上である自分と上の上レベルの田中さん、どちらに来るかと言えば田中さんの方だろう。
「……そうだといいけど」
「弱気になっていたら伊藤君に興味を持ってもらえなくなるよ」
「……そうだよねっ、ありがと泉ちゃん!」
アドバイスなんて偉そうだったかも。
だけど友達になったなら何かしてあげたいし何も間違ってはいないはずだ。