ep.7 ヒナギク亭へようこそ(1/2)
美しい街並み、優しい人々、穏やかな時の流れ。
都に満ちる平和は真実すら塗り潰すのでしょう。
「ヒナギク亭へようこそ!」
明かりもまばらな都外れの昏い街路から、セージは温かい光に満ちた空間に招き入れられた。迎えるは宿屋の主人だという性別不詳、屋内だというのにキャスケットを目深にかぶった聖女様。従えるは――
「気のいい主人の宿が見つかってよかったのです。ね、セージさま?」
「…………そうだな」
いや、おまえ誰だよ。
屋内からあふれる灯光をきらきらと弾く桃色の頭髪をさらさら揺らす可憐な幼女。
ライラである。
なの、だが。
「うっかりご主人さまとはぐれてしまったときはどうしようかと思いましたが、おかげでこうして美しく優しいレオさまに巡り会い、今晩の寝床にありつくことができました。雨降って地固まる、でしょうか。ね、セージさま」
「……………………そうだな」
だから誰だ。
「いやだなライラちゃん、そんなふうにきれいだとか優しいとか――困っちゃうよ」
レオがキャスケットのつばを引っ張って照れ笑いをした。後ろでまとめこぼした髪がキャスケットの下でふわりと踊った。やっぱり花の甘い香りがする。女の子の匂いだ、と直感的に判断してしまう。セージはそのへんの壁に頭を打ち付けたくなった。
もりだくさんな一日だった。セージの情報処理能力はとうに限界だ。
レオに迷子の迷子探しに協力してもらうという体裁で明るい街をゆっくり散策した。ラズワルドの市場は栄えて活気に満ちた魅力的な名所だが、ラズワルドの都はどこを見ても美しいのだとレオは語った。例えば、そこかしこの石造りの建造物。たおやかな指先で示してレオは言った。
「どの建物にも青い石が装飾されているでしょう。あれが碧竜の涙って呼ばれているこの都の特産品。満月の夜に南の海全体が淡く輝いて、朝になると流れ着く羽のように軽くて鋼のように堅い宝石。朝露を集めた水にだけ溶けて、いい眠気覚ましになるらしいけれど――朝露を集める方が大変だ」
だからこうして都のシンボルとして飾っているわけ、とレオは笑った。
ラズワルドが誇る教育機関、トリリス・モーリー学院の格調高い学舎の門前を通り過ぎ、職人ギルドの一画を抜けてその業物の並ぶギルド商会通りへ。レオが惚れ込む時計店を覗けば精巧緻密な装飾の刻まれた歯車の機械美に見惚れ、また街路をゆけば菓子店から漂い流れる甘い香りを吸い込んだ。まあレオちゃん、今日のお買い出し? 迷子さがしなんて相変わらず優しいんだから。そんな和やかなやりとりを幾ばくか見送って、レオはちょっとしたアイドルなんじゃないかと思った。そうに違いないと思った。レオはセージの好みドストライクだった。
「セージ」
すっかりライラのことを忘れて横を歩くセージに、レオは狙いすましたように告げる。
「ぼく、男だよ」
しかも、ウインクつきで。
「……………………ああ!」
笑顔は引きつっていたに違いない。
そんな調子でライラと再会できたのは必然だった。
結論を述べれば、セージはライラを探す必要がなかった。しかしセージがそのことを知るのは衝撃の再会を経たのちのことである。
「セージさま!」
アコーディオンの軽やかなメロディがうたうラズワルドの時計塔広場。淡い虹色のシャボン玉が風にたゆたうその場所に、ピンク頭の幼女がいた。頭の両側部に赤いリボン。ライラに違いなかった。ライラ、と声を掛ける前にピンクの頭が振り向いた。見たことないほどキラキラした目でそいつはセージを呼んだのだ。
セージ、さま?
鈍器で後頭部を殴られたような衝撃が閃いた。
「セージさま! よかったのです、私、捨てられてしまったのかと思ったのです。また会えて、とっても安心したのです!」
縋るような目をして天衣無縫ないたいけな子どものふりをして、そいつはセージに駆け寄った。なんか違う。ライラじゃない。誰だこいつは。あの傍若無人の性悪幼女はこんな顔して人の名前にさまとか付けない。だいたい捨てられたってなんだ、みぞおちに飛び蹴りくらって捨て置かれたのはこっちじゃないか。誰だおまえは!
その憤り混じりの困惑も一瞬のことだった。
「セージさ――」
化けの皮を被った幼女は最後の一歩を大きく跳躍し、
「まっ」
「ぃいいッッッだッ……!」
セージの左足の小指にピンポイントで着地した。
瞬間、交錯する視線。桃色の瞳が凄絶な目つきでセージを見上げた。その目にこめられた意味の理解に多くの時間は要さなかった。
「――ライラちゃん!? 見つかったの? ……その人がセージさん?」
こちらに駆け寄る少女が一人。赤い花の刺繍の施された腕章の目立つ金髪碧眼の彼女こそ、迷子になった幼女の保護者をしてくれていたというわけか。
なるほど。
話をあわせろ、と。
「セージ、大丈夫?」
小指の痛みにもだえるセージをレオが気遣った。優しい。レオは本当に優しい。聖女様だ。男だって聖女様くらいなれる。ことあるごとに物理制裁を加えてくる性悪ハリボテ幼女とは大違いだ。
レオが失笑して頬を掻いた。
「セージ、男は聖女にはなれないよ」
「えっ?」
痛みのあまり考えていることがダダ漏れになっていたらしい。つらい。
「で、セージの探してる迷子ってこの子? ほんとにピンクだね? ところで、どういう関係? 保護者としかきいてなかったけど」
「ああ……まあ……そうですね」
おれだってきいてないんだ!
セージはしどろもどろになって横目でライラを見た。困り果てたセージを見上げてずいぶんと楽しそうな顔をしている。おそらくこの幼女には嗜虐趣味のきらいがある。
レオが怪訝そうに声を低めた。
「まさか、異種族の――」
「違うんだ」
「違うって?」
「ライラは人間だ。で、事情があって、おれが保護してるっていうか!」
「事情」
レオが小さく首を傾げた。か、可愛い――じゃない。事情ってなんだ。小舟での設定もすっかり忘れてしまっていた。
助け舟を入れたのは金髪碧眼の少女だった。
「あら? 見覚えのある帽子だと思ったらレオじゃない。――なんだ、主人も迷子になってたってわけ」
ややつり目がちで気の強そうな印象の彼女は、長い金色の三つ編みをもてあそんで呆れたように笑った。
星を散りばめたような深い青の瞳がある人物を思い起こさせて仕方がなかったが、それを口にすることはできまい。互いの過去には言及しない。これは絶対不変、ふたりのルールである。
「エティ? ……そうか、きみがライラちゃんを保護しててくれたのか。さすがはリコリスの平和の魔女だね。――セージ、紹介するよ。彼女はうちの宿のお客のエティ・オルコット。異国の白衣の天使さ」
「白衣の?」
エティ・オルコットは控えめに笑った。どこか気恥ずかしそうに視線を逸らすさまは見た目のきつそうな印象をやわらげる。
「診療所の手伝いをしているの。星屑の魔女を継ぐ者として、立派な振る舞いをしないとね」
星屑の魔女。
口の中で繰り返してライラを見た。しかれども、ライラはつまらそうに息をつくだけだ。思うところがないわけないだろうに。
ぼくはこれから買い出しがあるから、と別れる手前、レオが一枚メモを書いてよこした。簡略された地図とわかった。
「陽が沈む頃に。待ってるよ」
振り向きざまにウインクひとつ、片手をあげてレオが踵を返した。
レオの待つ宿へ。
行くしかない、と思った。
次回、「ヒナギク亭へようこそ(2/2)」
10/22までに更新できればと思います。