ep.6 迷子の幼女と偉大なる魔女の継承者
さあ、互いにかたりあおう。
「わたし」が何者で、「あなた」が誰なのか。
「……さて。ひと稼ぎしたことだし帰りますか」
エティ・オルコットはごく小さな声でひとりごちて革製の旅行鞄を閉じた。
「あら、エティちゃん? 今日はもう上がっちゃうの? まだお昼過ぎだけど」
飛んできた声にエティは努めて笑顔で返す。演技、演技。私は役者。エティ・オルコットはリコリス公国軍属魔術師、派遣医術部の新人研修として慣れない南の土地、ラズワルドの都で活動している。かつてこの世に大転換を起こした稀代の天才魔女と同じ『星屑』の精霊魔女という触れ込みは、人の関心を買うのに持ってこいだった。
また、大きすぎず小さすぎず、しかし繁盛した町医者の診療所はエティのような人間には最適だ。
「はい。実は薬の材料が足りていなくって。ランカさんの診療所はたくさん人がいらっしゃるから……明日一日、おいとまいただいてもかまいませんか?」
嘘だ。
材料を不足させることなど、薬師の魔女にはありえない。流れるように口から出た嘘はついでに要らない休暇までけなげに要求した。
そろそろ肩とか腰が痛くてねえ、と言うわりにはきびきびとはたらく町医者のランカはカルテに筆を走らせながら快諾した。ランカはエティを可愛がってくれている。可愛がってくれそうなところを選んだのだ。男に色仕掛けを使うより、女相手に同情と憐憫を買った方がエティにとっては容易い。
ランカの診療所を後にして街へ出るとまだ日が高い。今日はどういうわけか頭痛薬が飛ぶように売れたのだ。それで、こんな時間に売り上げ目標を達成してしまった。大陸の最南部であるラズワルドでは魔女の薬は流通していない。おかげで相場より高値で売ることができる。こんな住みよい碧の都で拍子抜けするほどいい生活ができている。
今は、まだ。
「まだ二週間――一ヶ月は粘れるでしょうね。こんな呑気な土地だし、リコリスの軍人はこんな南にこないだろうし」
こんないい場所で、いい人たちに素性を騙ってエティは生きている。
罪悪感は、ない。
「悪いのは世界よ」
いつものようにうたうように口にする常套句。だれあろう自分に聞かせるためのものだ。
さて、こんなすてきな日和の昼間だ、ラズワルド銘菓のスイーツでも食べに行くかな――と歩き出したそのときだった。
「…………異種族の子ども?」
ピンク色の頭髪を肩の上で揺らして右を左を見回しながら歩く幼女がこちらに向かっている。十歳……には届かないだろう、上質そうなスカートとすりきれたケープの幼女だ。花鈴妖精の亜種か。あまりお目にかかれるものではない。鮮やかな色合いの頭髪と瞳を持ち、高値で取引されている。全身を這う葉脈が芸術的であればなお値が張るという。どこぞの貴族だか豪商に飼われていたのが逃げ出したのか、はぐれたのか。
街中で異種族が歩いているなど、奴隷以外にはありえない。
「保護して主人まで届け出れば、報酬弾んでもらえるかしらね?」
口にして、ふっと笑って首を横に振った。面倒事には関わるべきではない。身分を騙る者という己の立場を常にわきまえていなくては、綻びはいつ訪れるか知れたものではない。
エティは幼女に踵を返して街路に踏み出した。この辺りは市場が近くて活気がありすぎる。海沿いの外れ、穴場の喫茶店が静かでエティのお気に入りだ。そこでゆっくり甘いものと美味しい紅茶でもいただこうか――と胸を弾ませたそのときだった。
「おい!」
聞き覚えのある声が聞こえた。
声変り前の少年の高い声。
つい振り返ってしまった。
「おまえ、異種族だろ? なんでひとりで歩いてんだ? ご主人様はどこだよ?」
もうすぐ十になると言っていたか。エティが拠点とする宿屋「ヒナギク亭」に用もないのにしょっちゅう顔を出す少年だ。名前はハイメ。そのハイメが幼女に絡んでいる。絡みまくっている。可愛らしいナンパだなあ――って、そんなわけない。
「はぐれたんだろ? オレがご主人様に合わせてやるよ!」
ハイメの顔はえらく生き生きしていた。獲物を見つけた目だ。
エティは察した。
あ、こいつ私と同じこと考えてるな、と。
「――あれ? エティ姉ちゃん! 今日の仕事はもう終わり?」
「……こんにちは、ハイメくん」
見つかってしまった。つい顔をしかめてしまう。そっぽを向いて小さく舌打ちをした。
さあ、気を取り直して。演技、演技。私はエティ・オルコット。ラズワルドの町医者のもと、庶民から親しまれるリコリスの精霊魔女。
エティは微笑んで小さな二人に歩み寄り、深い青の瞳を細めた。
「姉ちゃん見て! 稀少種の花鈴妖精! これ絶対えらい貴族サマのだぜ! 新聞配達の仕事の一ヶ月分くらいもらえるかも! 姉ちゃんも一緒にご主人探して報酬山分けしようぜ」
琥珀色の目をキラキラさせて幼女の髪を乱雑につかむハイメ。わかる。その気持ちはよくわかる。わかるけどさ。
エティはため息を飲み下してハイメをたしなめた。
「ハイメくん、いくら異種族だからって女の子をそんなふうに扱っちゃダメだわ。痛がってるでしょう」
言い含めて、幼女の顔をうかがった。見事な桃色の目と髪だ。花鈴妖精の通常種は青から紫で、それももっと濃い色をしている。赤みを帯びて、しかもここまで淡い色となればいったいどれほどの値段が――
「…………?」
食い入るようにエティを見つめる幼女に妙な違和感を感じた。
その違和感の正体を確かめるべく、神経を研ぎ澄ませる。魔力探知は魔女の基本的な技能だ。エティはそれに秀でている。エベラ北東の隣国、キューベンシー連邦国家で「軍事魔術違法取締り探知班長」として活動していたこともあるくらいだ。
それなのに。
「……ねえ、あなた」
首を傾げて幼女に問いかける。
彼女からは、感じない。
「異種族じゃないの?」
異種族から感じるべき異端魔力を、目の前の幼女からは微塵も感じ取れなかった。
「はァ? 姉ちゃんなにいってんだよ、どう見ても異種族だろ、人間がわざわざ異種族のマネするかよ」
ハイメの言い分はもっともなのだが。
「……えは」
幼女の桜色の唇がかすかにうごめいた。ききとれない。相変わらず幼女の目はエティだけを見つめていた。ときおりちょっかいをかけるハイメには目もくれない。何かに憑りつかれたようにエティだけをじっと見ている。その表情は恐怖と憤怒と困惑と喜色の絵具を少しずつ溶いて混ぜた色水みたいだ。もしかして、どこかで会ったことがあるのか。衝撃的な出来事があったのに、エティだけ忘れてしまったのか。ありもしない疑念が浮かんでは消えていく。
「――なまえは」
鈴を転がすような声は今度こそはっきりとそう言った。
「名前? 私の?」
「おまえの、名前は?」
初対面でおまえ呼ばわりとは失礼な幼女である。
エティは心中で悪態をつきながら、ひざを折って幼女を視線を合わせた。当然、笑顔も忘れない。声は努めて穏やかに、優しく柔らかく。
「私はエティよ。エティ・オルコット。リコリスの軍属魔術師。あ、軍って言っても非戦闘員の医術部だけど――あなたは?」
幼女はなおもエティの目を見つめている。まるで幽霊でも見たように目を見開いて、その肩は少しだけ震えていた。
「エ、ティ」
幼女がゆっくりと繰り返した。
「それが、おまえの名前ですか?」
「……そうだけど?」
「オルコット?」
「そうよ。エティ・オルコット。後にも先にも私の名前はこれだけよ」
つらつらと嘘を吐いてエティは笑う。この幼女の質問が何を意図しているのはわからないが、こんなつまらない場面でボロを出してたまるか。
ぴたり、と幼女の震えが止まった。うつむいて一言、「そうですか」と小さく呟いたのが聞こえた。そろそろと幼女の小さな手が動いて顔を覆う。
沈黙が数秒。
そこからの変化は劇的だった。
「――うわああああん!」
唐突に泣き叫ぶ声。
しゃがみこむ幼女。
ハイメが「うわっ」と子供らしいリアクションを見せてくれる。
「迷子です! 迷子なのです! 初めてラズワルドに来たのです! ご主人さまに――セージさまに綺麗な都だからって! せっかく、せっかく連れてきてもらったのに……ッ、私は、ライラはご主人様とはぐれてしまったのです……!」
周囲がなんだなんだとエティたちを中心に輪になり始めていた。注目、集めたくない。エティはハイメと自らをライラと称した幼女を連れて路地裏へ移動する。
それにしても、ライラ、か。
くしくもエティが探し求めてやまないあの女と同じ名前だ。
「――なんだよ、やっぱり異種族の奴隷じゃんか」
陰る路地裏でハイメが口を尖らせた。ピンクの幼女ことライラはもうハイメの横暴に黙っていなかった。小さな拳でスカートをぎゅっと握りしめてハイメに突っかかっている。
「私は異種族ではないのです! 人間です! 誰が花鈴妖精ですか! いますぐここで脱いで全身どこにも葉脈がないことを証明してやってもいいのですよ小童が!」
「こわっぱ……!? おまえだってガキだろが! ていうかオレより年下だろ敬語使えよ敬語! ……あれ? 使ってるな……」
「言語表現の差異もわからないとは愚かなお子様なのです。ラズワルドの教育水準も――おっと」
ライラが両手で口を塞いで一呼吸、ハイメに向けていた生意気そうな目もいけしゃあしゃあとした態度もどこかへ消え去った。代わりに大きな薄桃色の目を涙でいっぱいにしてエティを見上げている。
「医術師さま?」
「……エティでいいわよ」
この態度の変わりようはなんだろう。物言わぬ人形のようだった街路でのライラ。ハイメと小競り合いをするライラ。こうして同情を施しを我が身にとばかりに瞳を潤ませるライラ。
エティは額を指先で押さえて目を伏せた。なんだろうも何もない。このようなタイプの人間には覚えがある。対応も良く知っている。最も身近な人種と言える。
同族だ。
エティと同じ。ひとをペテンにかけて世を渡り歩く。
ライラは両手の指を組みエティを祈り仰いだ。
「聞いてください医術師さま。私のご主人さまは旧オピウムの軍人さまなのです。抵抗戦線を下りてしばらくですが、いつ発狂するかわかりません。私、心配で心配で! 私の姿はこのクソガキ――じゃなかった、少年も言う通り異種族に似ているでしょう。臨界魔女の呪いによるものなのです。こんな私をまっとうな人間の小間使いとして扱ってくれるのはご主人さまであるセージさまだけなのです。セージさまをなくしたら、私はもうどうしたらいいのか……」
よよよ、と壁に泣き崩れるライラをハイメが胡散臭そうな目で見ていた。
わかる。その気持ちはよくわかる。わかるけどさ。
自分に害を及ぼさない詐欺師の詐欺にはかかっておいた方が波風が立たないというものだ。
エティは優しくライラに語りかけた。
「そう。それはとても不安だったわね。大丈夫。きっとすぐ見つかるわ。いちど広場の方へ行ってみましょうか。人の集まる場所だから、もしかしたら」
「えーっ。エティ姉ちゃんそれ、付き合うの? オレはパース。旧オピウムの軍人なんて無一文の風来坊だぜ。わりあわねェよ」
やれやれ、と首を振ってハイメが明るい街路へ戻っていく。雑踏にまぎれて見えなくなる。それを視線で見送って、エティはわざとらしく泣きじゃくるライラをおおげさなくらいに感傷的に慰めた。詐欺師同士のやりとりはいつだって舞台の上だ。
「それじゃ行きましょうか。ライラちゃんのご主人さまをさがしに」
「はい! 医術師さま」
「だから、エティでいいわよ?」
「はい! ありがとうございます、医術師さま」
あ、こいつ話聞かないタイプだ。
「ところで医術師さま。無学な私に医術師さまからいくつか教えてほしいことがあるのですが――」
まあいい。見返りのない迷子探し。目立つ幼女を引き連れて、散々街中を練り歩いてやろう。尋ねまわってやろうじゃないか。自分は報酬もなしに旧オピウムみたいな厄介ごとに関わってでもいたいけな迷子をたすく善人です、と、しとやかに主張して回ろう。信頼度。好感度。いくらあっても困りはしない。
「なあに? なんでもきいて。私に答えられることならなんでも教えてあげるわ」
すべてはたったひとつの目的のため。
なりふり構ってなんていられないのだ。
次回、「ヒナギク亭(仮)」
10/19までに更新できればと思います。