ep.4 ハリボテ幼女の時を超えた帰還(2/2)
彼も彼女もお互い、過去に痛いところを抱えているわけです。
過去に触れられる痛みを知っているわけです。
「……おかしいのです」
ラズワルドの港で難破船として扱われ、快く都へ迎え入れられたセージとライラは活気に賑わうラズワルド中心部の市場を歩いていた。祭りでもやっているのかというほど人通りが多い。どこの路面店から屋台からひっきりなしに呼び込みの声が掛かる。そこかしこの段差に人が座り込んで笑談している。
もとの世界でいえばどれくらいの時代に当てはまるのだろう。車ではなく馬車が往来する石畳はなんとなく産業革命前夜あたりかな、と思ったりもした。実際のところはわからないが、俗にいう中世ファンタジー世界、よりは進んでいるのではなかろうか。
「おかしいって、なにが」
セージはあたりをきょろきょろ見回してライラにこたえた。
「だれも私に声をかけないではないですか」
「え、なにその自意識過剰。うぐっ」
向うずねを思いきりやられた。
「これだけ目立つ容姿をしていて訝しまれないのは不自然でしょう」
「ああ……ピンク髪、やっぱりこの世界基準でもおかしいんだ」
「これは人間より神隷……異種族らしい色でしょう。だから言いわけも用意してきたのです。それに、まだ戦時中のはずですよ? いくらラズワルドが戦場から離れているとはいえ、人間の様子が牧歌的すぎではありませんか?」
「ま、一億総火の玉、って感じには見えないな」
市場には金属製品も食料品も溢れているし、戦争に疲弊し減弱した国力の様子もうかがえない。金属製品については魔法で敵陣を吹っ飛ばしたりしているのかもしれないが、この世界にも銃火器はある。この目で見たのだから間違いない。殺傷能力のある金属加工品が存在するということは、もちろんそういう目的で使われているはずだ。
「終わったんじゃねえの。戦争なんて」
「バカな。オピウムがどれだけ巨大な帝国か知らないからそんなことが言えるのです。あの国はこの世界の新式魔術の最先端の技術を持ち、膨大な軍事力と資源を抱えて世界中に侵略戦争を吹っ掛けたのです。それに、あの女がいるはずです。あの女がいる国が、おいそれと敗けるわけがないではないですか……」
あの女、についてきくのはタブーだ。ライラの最も痛い過去である。
「でも十二年だろ、十二年。それだけあったら真珠湾攻撃からGHQが帰るところまでいけるぜ」
「はあ? 真珠湾? GHQ? なぁーにを言っているのですか、おまえは」
幼女相手に別世界のニワカ知識でマウントを取ってこっそり悦に浸っていたら、唐突に声を掛けられた。来たか! とばかりにライラが警戒して振り向く。
「お嬢ちゃん、かわいいねえ! キャンディ買ってかないかい」
キャンディ屋のおっさんである。
日焼けして浅黒い、いい笑顔のおっさんだった。
「……あちゃ、人見知りかな。そっち、ご主人?」
ご主人。兄ちゃん、ではなく。妙な語感に首を捻りながらも、ライラが口をきこうとしないためセージが応対する。小舟で練った設定だ。
「ええ、まあ……? この子は、戦争で親とはぐれてしまったみたいで」
陳腐なものである。
「戦争で? そんなちっちゃい子が? それじゃあ生まれてすぐ離ればなれか。かわいそうになあ。キャンディあげよう」
おっさんが綺麗にラッピングされた白とピンクのロリポップを差し出した。セージがありがたく受け取るも、ライラはジト目でにらみつけたままだ。いつの間にかセージの後ろにしがみついている。これは警戒……というよりいざとなればセージを盾にしようという意思の表れである。
「……どうも。ありがとうございます」
「いいって。しかし、かわいそうになあ。でもお嬢ちゃんは幸運かな。こんな優男に拾ってもらえて。見たところ、花鈴妖精の稀少色種だろう? 綺麗な花の色の目と髪だ。オピウムの大戦が終わって以来、綺麗どころの異種族は飛ぶように売れたから――」
「ブルーベ……? あ、いや、彼女は人間で、えー、あー……」
設定が思い出せない。なんかこの世界の専門用語っぽい単語だったのだ。
思い出そうとしているうちに、腰にしがみつく握力がふっと緩んだ。
「…………は?」
ライラの、なんとも間の抜けた疑問符だった。
「ん? どうした、お嬢ちゃん」
「戦争が、終わった?」
「へェ? なに言ってんだ嬢ちゃん、いまさら」
おっさんの返す声もなかなか間が抜けていた。
「戦争が終わったのですか? オピウムが敗けたのですか?」
「――おい兄ちゃんよ、こいつ大丈夫か? 頭がいかれてて安かったのかい」
怪訝に眉をひそめるキャンディ屋のおっさんに、セージはどうしたものかと視線を落とした。ピンク色の頭が震えている。本当に、どうしたものか。
「あの。えっと。おれたち、とんでもないド田舎から出てまして。情報が。その。えっとですね」
「ド田舎」
おっさんが繰り返した。なおもいぶかしげな声音だった。
「中央の情報の届かない残留兵の抵抗地帯に?」
「そ……そういうこと、ですかね……? はは……」
ちらりとライラを見る。なおも無言。俯いて何かをつぶやくような声が聞こえるが、市場のやかましさがその言葉を聞き取らせてくれない。
「するってェと」
おっさんが小麦色の腕を組んでうなった。
「兄ちゃんは最近まで帝政オピウムがなくなったことを知らずにお国のために戦ってた遠隔地残留兵士ってわけか」
セージははっとして自分の服装を確認した。上着は脱いで抱えている。オピウム帝国の軍服に似ていると指摘された学ランをおっさんは見ていないはずである。
おっさんはわけ知り顔でうんうんうなずいた。
「あれは可哀そうだったなあ。ゆりかごから墓場までお国のために戦わされてた残虐非道の兵士たち! 実は薬と魔術に操られて心がぶっ壊されてたなんてよ。そのあとのことを思えば同情すらしちまうよ。ぼろぼろにくずれた精神を抱えて帰る国さえ失ってよう。まさか帝政オピウムが内側からひっくり返されるなんて思わなかったぜ。もう三十年前の話だ」
「「三十年前」」
セージとライラの声が見事に重なった。
おかしい。
ライラがサニフェルミアの大陸から離れたのは十二年前のはずだ。その頃にはこの世界は絶賛戦争中で、人間同士も人間と異種族間も殺伐としていてそこかしこで殺し合いが行われていて――
「――こんの、ハゲ親父!」
気付けばライラがおっさんに飛びかかっていた。ハイジャンプで上半身に組み付いてぽかぽか頭を殴っている。ライラは本気ではないようだが、本気でないライラの暴力だって十分痛い。というか、この幼女が本気を出したら人間の頭など熟れたトマト同然だ。
「ちょっ――何してんだライラ、やめろって! あとそのおっさんはハゲてない!」
「うるさいのです! このハゲ親父、私に向かって適当なことを――! オピウムが敗けた!? 内側からひっくり返った!? 三十年も前にッ! ありえない! ありえないッ! まだまだオピウムの侵略戦争真っ只中ではないですかッ!」
「んなッ……あんたこそ何言ってんだ! 三十年も前だぞ! クーデターだ!帝政オピウムは宗教国家ルグマシアに生まれ変わった!」
「そんなの! 聞いたこと――」
「ちょっと兄ちゃん! こいつなんとかしてくれ! あんたのなんだろう!?」
「すみませっ……こらライラ、ほんと、すみません……!」
さっきからなんとかしようとしているのだ。が、セージの力でなんとかなるものではない。見た目通りの幼女の力ではないのである。
暴れるライラを両腕で抱えて渾身の力をこめて引っぱる。やがてライラがあきらめたのか、ようやくおっさんから引っぺがすことができた。
「ライラ、おまえなあ」
「セージは黙っているのです。わからずやのどじなすび」
抱えられたまま息を弾ませて罵倒するライラはなおもおっさんを睨みつけていた。
「ったく、なんだってんだ。これだから異種族は! ――兄ちゃんよ、飼うのはいいがちゃんとしつけを――」
「いや、だからこいつは人間で」
言ったところで無駄そうな雰囲気だった。
全部ぜんぶ、ライラのせいだ。
「あの、すみません。差し支えなければ教えてほしいんですけど」
セージはため息とともに問いかけた。あん? とおっさんはガンを返してくれる。いや、ほんとうに申しわけないとは思っているんです。でも、それよりもこれを確かめないとライラの気性だっておさまらない。
「今日の日付を、年から教えてくれませんか」
ライラには考えつくはずのない、セージだけが察することのできた可能性。
はるか南の孤島で出会った彼女の意識の残滓に示唆されたひとつの結末。
おっさんはぶすくれた顔で答えてくれた。
「レケイジ一六八二年の六月六日だ。まさか今まで暦も見ないで――」
「はい?」
セージはその年月日の示すところを知らない。ただ、ライラの反応を見れば十分わかることだった。
「はッ、はちじゅーにねん? そんな――はい? 六十年も経って」
それみたことか。
要するに浦島太郎である。
「セージ」
ライラの低めた声が恐ろしかった。
「おまえ、知っていたのですか?」
「ええっと……過去には言及しない約束……だろ」
明後日の方向を向いてそっとライラを地面に下ろす。こんな禍々しいものを持っていられるか。
「ふふ。ふふふ。ふふ……」
いよいよ気がふれてしまったのか。ライラは小さな笑い声を立て始めた。徐々に大きくなる。その不気味さ異様さといったらセージは今すぐにでも他人のふりをしてこの場を逃げ出したかったし、おっさんは彫像のように固まっていた。
「ふ、ふふふふ……クククッ……ク、ハ、アーハッハッハァ! あんのクッソアマぁ! 謀りましたね! この私に! 一度ならず二度までも! あ・の・クソ女! なんのつもりですか! 私に! 私に――どうして! 禁忌に身を浸してまでも! 時の歩みに手を加えてまで私を――」
ふっつりとライラの声が途絶えた。入れ替わりに嗚咽。見なくてもわかる。ライラは泣いている。
「そこまでして私をこの世界から排斥して――死の代わりにずっとひとりぼっちの世界を彷徨えと、おまえは言うのですか?」
セージはライラの独白に水を差すことはできない。ただ聞いているしかない。
互いの過去には干渉しないこと。
それがふたりのルールだ。
「そこまでおまえは私が嫌いだったのですか? ――ルネシア」
そうじゃない、違うんだ、ライラ。
あの人は、ずっとおまえのことを大切に思っていたんだ。
傷つけないように、失望させないように、そうやって大事にしすぎていた。
伝えられない言葉を胸に、セージは灰色の石畳を見つめていた。
次回、「碧い竜の都の聖女様」
10月13日に更新できればと思います。