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ep.9 どこの世界も平和とは程遠いってわけだ

つかの間の休息。

「記憶がない?」


 眼鏡の奥、ステラとよく似た青い瞳がセージを射した。似ているが、違う。その青に星は宿っていない。冷たい青はセージを委縮させるばかりだ。しかも、どこかで見たことがある。


 たしかこいつ、剣先からビームとか撃てる。


「そう。そうなの。だから――セージがほんとうに帝国兵だったかもわかんないの。だからいいでしょ? 次の本土(ラズワルド)行きの巡行船が来るまで泊めてあげても」


 上物の机に向かって書き物をしていた男は、眼鏡も右手の羽ペンもこれっぽちも似合わない筋骨隆々の風体だった。もみあげとつながった立派な髭を蓄え、事務仕事より野山で狩猟でもしていそうななりだ。造作なく人も殺せそうだ。事実、殺したはずだ。


 ステラの兄を名乗るその男は、白石を殺した輩のひとりだった。


 桃色の幼女が姿を消してしばらく、ステラはオレンジ色の空間で顔を伏せていた。膝を抱えて、ぶるぶる震えて、その横で黒猫が心配そうに右へ左へ歩き回っていた。顔を上げた彼女が告げた第一声はこうだ。


「――絶対、あいつを、殺さなきゃ」


 救いを求めた彼女を?


 セージの疑問など呈する隙もなく、ステラはオレンジ色の空洞で計画(・・)を告げた。幾度となく繰り返された最果ての孤島の筋書き。そこに異物であるセージが入り込む余地。小さな化物の女の子を殺す算段を。


「いい? この通りにすれば、きっと運命を変えられる。あたしたちの運命」


 瑠璃の星空の瞳がきらめく。


「ヒーローになってよ、セージ」


 すっかり日が落ちてから家に帰ったステラは、父と思しき背の高い男の後ろをセージを連れてやりすごし(のちにこっぴどく叱られていた)、集落の中で一番大きな家の二階の部屋に滑り込んだ。

 孤島の集落は、そう称されて想像するよりはずっと綺麗だった。白い壁とオレンジの屋根の家々が並び、南側には学び舎といくつかの商店、北側には農耕地と放牧地があるらしかった。孤島というからには小さなそれを想像していたが、随分と規模が大きい。まるで、どこかの栄えた町を丸ごと移植してきたみたいだ。

 ステラの家は栄えた集落の東の端に位置していた。立派な門構えは権力を示しているらしい。聞けば、祖父がこの集落の長なのだという。


「へえ、記憶がない、記憶がない、ねェ……オピウム兵にはよくあることだろう」


 ふん、と鼻を鳴らした二階の部屋の主――ステラの兄ことウドルは次の瞬間には人懐こい笑みを浮かべた。お兄ちゃん、あたしには甘いからへいき。なるほど、ステラの言うことに間違いはなかったみたいだ。


「――が、可愛い妹の頼みだ。仕方あるめえ。お前さんが何者かは知らん。が、記憶もエレシドもねえでこんな南の果てにたどり着くなんざ、災難なことにゃ変わりねえや。その軍服におっかなく思ったのは、そりゃそうだがよ。事情が事情たあ、碧い竜の民の俺たちは手を差し伸べてやらなにゃ」


「……碧い竜?」


 聞き返すセージの声にウドルは困ったような笑いを浮かべた。何にせよ、人の良さそうな顔だ。とても半狂乱に人を殺すようには見えなくて、本当に砂浜で見た輩の一人だったのか戸惑うばかりだ。


「サニフェルミア最果ての海の底の底に沈み棲む、碧い竜さ。人の味方になった妙ちきりんな異種族(アリウス)さ。名前すら記憶から忘れ去られても、人間に加護を与え続ける――」


 ウドルは窓の外の夜闇を遠く見ていた。その瞳に宿っていたのは憧憬にも見えた。


「人間と異種族(アリウス)は、必ずしも呪いあう関係にあるわけじゃあ、ないんだよ。……きっと、人間だ。一番恐ろしいのは。人間と、人間が、滅ぼしあうことだ。お前が祖国(オピウム)を思い出さないことを願うよ」


 他方、ステラは床の一点をじっと見つめていた。丸まった背中は憎悪そのものを背負っているようだった。それがいたたまれずに視線を逸らした先に二又の尾の黒猫がいる。金と銀の眼を燐灯石(フォスタ)の灯りにきらめかせ、まだ見ぬ時間の先を予見しているかのようにも見えた。


 この家にはウドルとステラの兄妹、二人の父であるバルド、祖父のダレッドの四人の家族に加え、スーゾという未亡人が住み込みの家政婦として雇われ暮らしていた。スーゾの用意してくれた食事は散々な非日常に振り回されたセージの五臓六腑に染みわたった。こうして夕餉に加わることができたのは、ひとえにウドルの尽力のおかげである。というのも、年長者であるバルドとダレッドはセージをひどく警戒した。どのくらいの警戒かといえば、抜身のブロードロードの切っ先がセージの鼻先をかすめた。兄妹二人の父であるバルドはなかなかに神経質で短気な性分であるらしかった。一方、祖父の方は一度打ち解けてしまえば茶目っ気のある好々爺に相違なかった。集落の長の風格を持ち得ているかといえば、そうでもなさそうだが。


加護飾り(アミュレット)屋のリーネちゃんはのう。ケツがのう。ケツ。ケツじゃ。ええのう。ええんじゃて。ケツをこう……揉みしだきたいのう。リーネちゃんのケツを、こうして……こうするとのう……ふぉっふぉ」


 神経質なバルドが無視を決め込み、ステラが恥ずかしそうにセージに「気にしないでね」と言うあたり、いつものことらしかった。


「パン屋のネピちゃんものう。太ももがたまらんて。むにっと。むにっとはみ出ててのう……むにっとはみでた太ももに吸い付きたいのう……ちょっとくらい……ぺろっと……あかんかのう……」


 この孤島で警察に値するのは「自警団」になるらしい。耄碌爺(モーロクジジイ)への自警は足りているのだろうか。


「まあ、記憶がないの。――そうねえ、軍人じゃあ、ないんじゃないかしら。上着にどこの紋章(エンブレム)もついていなかったしねえ……それに、その身体じゃ兵隊さんは無理よ。女の子みたいに細いもの」


 スーゾの屈託ない笑いがセージの精神を抉る。身体を流してきなさい、はありがたいが、なぜ脱いでいる途中で脱衣所に入ってくるのだ。そりゃ、わかってるけどさ。自分が貧弱なのは。

 蛇口を捻れば湯が出てくるが、ガスでも電気でもないんだろうなあ――などとぼんやり木桶に湯を組んでいたら、また、小さな黒い影が横切る。


「なあ、おまえいつまでついてくんの」


「にゃあ」


「つうか、ナチュラルに家に上がり込んでるし……あと、猫って水苦手なんじゃないの?」


「にゃああん」


 湯をひっかぶった黒猫はぶるぶると身を震わせ水を飛ばした。ひとっ風呂浴びたぜ、とでも言いたげな、満足そうな鳴声をきいた。


「ニナ……ニナか。名前だけだと女の子と風呂入ってる感じに……ならねえな。猫だし。ていうか、猫又……」


 海水に浸かった学生服はスーゾさんが洗濯してくれるらしく、代わりにと貸し与えられたシャツとズボンはオーバーサイズも甚だしい。筋肉が口をきいて歩いているようなウドルのものだった。華奢な体躯が余計に際立つセージに対し、ウドルはこんなことを言っていた。


「もしかしたらおまえさん、軍属魔導士だったりするのかい? オピウムは相変わらず使い捨て(・・・・)の魔導士を飼ってるらしいが、リコリスには寿命の長い戦略魔術ストラテジー・マジック専門の特殊部隊がいるんだとか」


「へ? リコリス?」


 リコリス公国だ、と不愛想に口を挟んだのはバルドだった。


「最北の魔術大国であり。――唯一、オピウムとの不可侵条約を保持している国でもある」


 戦争中の世界なのだそうだ。


 曰く、戦争のないサニフェルミアなどありえない。人間と異種族は神話の時代からいがみあっていて、ようやく人間が魔法を身に着けて異種族に優位を取りかけた。優位を取れたのかはわからない。異種族を制圧する前に、人間は魔法触媒の資源やらの争奪戦に熱を上げ始めた。


「平和になんてならないよ。サニフェルミアって、そういう世界。ずーっと、どこかで誰かが争ってんの。誰に命令されたわけでもないのにね。――ううん、命令されてるのかもね。あたしたちを、こんなふうに隔てた神様から」


 丸椅子に座るステラが足をぱたぱたさせる。


「そういう世界なの。誰も変えられなかったんだって。……でも、誰も死にたくないよね。あたしもそう。だから、話した通りに」


 ぴき、と陶器の割れるような音がした。ステラの方から。小さく砕けるような音が何を示しているのか、セージには知る由もない。

 しばらく使われていなかったらしい屋根裏部屋は埃っぽくて、月明かりが塵を星屑のように照らしている。セージはベッドに腰掛け、神妙な顔のステラをじっと見ていた。気にかかるところがある。


 変だ。


「それじゃあね、セージ。おやすみ」


「――ああ、おやす、み……」


 ぱたん、と床の跳ね上げ戸が閉まった。すぐ下はステラの部屋に繋がっている。遮音性の低い壁は彼女がベッドに入るまでの生活音を半端に伝え、やがて静まり返った。


 黒猫が金銀の眼を月明かりに光らせている。


「……セーブポイントか何かなのかな、おまえ」


 口の中で呟いて、明日からの計画に頭を巡らせる。サニフェルミアを統べるすべての法則は予定調和なのだという。神がそうあれかしと望んだ通りに進行するのだろう。それを、突き崩す。殺す。救う。あの場所でライラを見て。ステラの噛みしめて血のにじんだ唇を見て。予期しない懊悩が始まった。迷走し出した。何がこんなに心を揺さぶるのだろう。あきらめろよ。何もできないのに。何の力も持っていないのに。ああ、でも、もしかして。ヒーローになってよ。その言葉か。こんな自分でも、誰かを救う可能性を持っている。期待している?


 あと一週間で決意を固めなければならない。


「……つうか」


 鉛のようにのしかかる有毒な思考を隅に追いやりたくて、別のことを考えた。


「ステラ、なんで家の中でまであんな厚着してんだろ……」


 変なやつ。

ステラの計画による救済は正解か否か。


---


スーサイドステップは完走しようと思います。

そのあと、青い竜の都を後ろに持ってきて時系列順に並べつつ改稿しようかなと考えています。

本当はゼロからやり直そうと思ったのですが、読み返してみたらスーステ面白いんですよね。面白いと思えたということは続きが書けるということだ。なので続けます。ライラちゃんたちを忘れないで読んでくれてる方、本当にありがとうございます。新規で始めた邪法少女と並走する形にはなりますが、両方大事な創作世界なので頑張ろうと思います。

2019/11/10 朱坂ノクチルカ

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