ep.8 生殺与奪の救済ゲーム
彼女は今日もひとりぼっちで膝を抱えている。
しばらくすればまた迎えが来るのだろう。
それはどこに連れ去ってくれるわけでもない、廻る星屑の呪われた迎えだ。
「――だから、こんなこと、望んで、ない」
☆
最果ての孤島で繰り返される物語は、人の恐怖と狂気による産物らしかった。
温かいオレンジ色が灯る隔絶された空間。少女の澄んだ声がいやに反響して聞こえた。
「ハルフィリアは殺せない。死なない。吸血鬼の真祖。炎獄の夜。でも、殺さなきゃ。倒さなきゃ。人類の敵だから。だけどあたしたちじゃダメなの。ここはサニフェルミアだから、そういうふうに定められてるのね。で、繰り返しちゃうの。何回だってやり直し。そういう呪い。最果てでくるくる、廻り続けるの」
少女の腕の中の黒猫が弱弱しくにゃあ、と鳴いた。
悲しそうな鳴声だと思った。
「でも、セージなら殺せるよね。ハルフィリアの偽物を」
「――偽物?」
「そうだよ。偽物。でも、ここではハルフィリアはあいつ。この島の森の奥で、小さな女の子との格好で、本物なわけないでしょ? でも、気付いたのはあたしだけ。何回も、何ッ回も顔を突き合わせて殺されたあたしだけ!」
「へ? 殺され――?」
ステラは勢いに任せて立ち上がり地団駄を踏んだ。放り出された黒猫は、ニナは、セージの腕の中に逃げ込んでくる。
「誰も気づかないんだもん! あたしひとりなの! あたしだけがひとりぼっち。あたしだけ何回も殺されて、痛くて、怖くて、またかって思って、終わらせたいのにどうしたらいいかわかんなくて、何百回も結末を変えられなくて、それなのにあたしにはわかるんだもん。時間の操作はこの世の禁忌。あたしたち、きっと耐えられない! もう時間がないの。この繰り返しの中であたしたちは死んじゃうんだ。やだ。やだよセージ! あいつのせいだよ。あいつがあたしたちを殺す結末を迎えなかったら、変わるの。変わるもん。だから――」
「ちょ……ちょっと待ってステラ、おれ、全然わかんないって!」
「どこから!?」
「最初からだよ!」
「最初ってどこ!?」
「どこって最初――うわキレるなって! ☆で殴り掛かるのをやめ――最初! そう、この世界のこと、あと殺せないってなに? 死なない? とか真祖? とか? あ、人類の敵? とか? 吸血鬼ってまあそういう位置づけにありそうだけど――……」
ステラが泣いているのか怒っているのか、とにかく複雑な表情で語ったのは次のようなことだった。
ひとつ、この世界には人類不倶戴天の敵である異種族が存在する。
ひとつ、各異種族には真祖なる不死の個体が存在する。
ひとつ、吸血鬼真祖ことライラはひとえに災厄である。
ひとつ、種々の事項はサニフェルミアの起源とされる或る神話に由るものである。
神へと挑む塔の神話。
その昔に暇を持て余して読んだ旧約聖書を思い出した。創世記に記される巨大な塔は後世になって同じ名前で称されていたっけ。
バベルの塔。
――さあ、我々の街と塔を作ろう。塔の先が天に届くほどの。あらゆる地に散って、消え去ることのないように、我々の為に名をあげよう。
「――そんな塔が今にも完成するってときに、天上の神は自分の領域を侵されることを恐れて、人間の傲慢さに怒って、」
「言葉をばらばらにした?」
ステラはきょとんとした顔を見せ、静かに首を横に振った。
「言葉で済んだらよかったのにね。ばらばらにされたのは、種族。それに伴う人間の意思。異種族は神の怒りに触れた人間のなれのはて、なんだよ」
なかなかどうして悲劇の物語だなあ、とセージは視線を地面に落とした。見たこともない硝子質の虫が地の上を這っていた。
この世界はセージの知る世界ではない。全く別の、サニフェルミアという異世界だ。セージの常識は通用しないのだろうし、電気もガスも市井には通っちゃいないのだろう。そんな世界で、似たような神話の名称が符合する。奇怪なことだ。ただの偶然なのだろうか。改めて疑問が生じた。
ここは何なんだ?
「って言っても、神話であって歴史とかじゃないけど。そんなことどうでもいいの。異種族はとにかく敵なの! あいつらは人間を絶滅させることが使命なの。ハルフィリアだってそうでしょ。どうしてこんなところにいるのかわかんないけど、この島に命ある人間がいて、死なないあいつがいる。普通だったらあたしたちが殺されて終わり。――けど、違う世界から来たあなたなら、ライラの存在に干渉できるかもしれない」
ふとあどけない声に違和感を感じた。まるで誰かの借りものみたいな言葉だった。
ステラはかまうことなく言葉を続ける。それらは子どもらしい、無垢な少女の言葉だ。
「そういうわけだから、セージにハルフィリアを殺してほしいの。大丈夫、偽物だから! 本物はね、それはそれは綺麗な女の人の格好をしてるんだよ。人間を惑わすため、にね。あんなちっちゃい、お金持ちのお人形さんみたいな格好、うそだよ。――あいつ、自分で言ってたし」
「キュートでおしゃまに大変身……じゃなくてか」
「は?」
「なんでもない」
――さて。
脳裏に思い浮かぶのはひとの話を聞かないピンク色の主張の激しい幼女だ。目の前のステラよりさらに幼い、妖精のような。口内を満たす血の味の記憶が間違ってなければ吸血鬼なのは間違いなさそうだし、セージはおそらく吸い殺された。ここでは殺されたから殺してもいい、なんて論理は成立するのか。そもそも、殺すってどうやって。きっと躊躇する。嫌厭する。そういうものだ。どれだけ恨んだって、憎んだって、誰かの命を奪うのはあまりにハードルが高い。高かったのだ。そりゃあ助けてと言われれば助けてやりたいけど。力がない。セージはずっと無力だった。だから虐げられる。舞台を変えたところで、都合よく力を手に入れたりはしないだろう。だから。結論。
おれに人殺しなんてできるか。
ばつが悪くて、セージは下を向いたまま告げた。
「ごめんステラ、ちょっと、それ無理――かも」
「……」
「えー……というのも、実はおれもあいつに殺され済みで望み薄っていうか」
「……」
「それ以前にほら、あんなちっちゃい子殺すなんて穏やかじゃなくない? みんなこう……幸せになれるような、うん、円満解決をさ。……」
「……」
拒絶されて落ち込んでいるのだろうか。ステラの返事はない。顔を上げてステラを見遣った。彼女は真っ直ぐ一点を見つめて微動だにしなかった。洞穴の入り口の方。静かな夜の気配。目を見開いて岩壁に切り取られた景色へ、視線が向けられている。
夜闇に滲む、桃色の。
「……――うそだ」
やっと音を成したステラの声は震えていた。
夜風に煽られたスカートがふわりと広がる。
彼女に会うのは二度目だ。
ライラ・ハルフィリア・エス・マリカ。薄桃色の妖精のような見目とは裏腹に、その表情は生に飽いた老人のような虚無で満たされていた。その虚ろでライラが笑う。鈴の音の声が跳ねた。
「そう。――そう、そういうことですか。何も変わりはしないのに。おまえが何を企んだところで、私に敵うはずなどないのに」
虚ろに哂ってライラがこちらに一歩を踏み出す。声にならない悲鳴を吐き出すステラが腕に縋りついてくる。殺される、のだろうか。全然、そんな雰囲気は感じられない。やがて洞穴の入り口でライラはぴたりと動きを止めた。何かに阻まれているかのように、こちら側には踏み入らない。
そのうちやれやれと首を横に振って、はっきりとこちらを見た。
「……セージ。余計なこと、したら許さないのです。――ふふっ。ええ、そうですね。おまえに許されるのは救済だけ。もしもその目で見極められたのならば――」
なぜだろう。
鈴の音の声も、小さく傾いだ首も、夜に透ける桃色の頭髪も。
深い、深い、哀色だ。
「――どうか、救ってくださいね」
次の瞬きの後にはもう、桃色の幼いシルエットは掻き消えていた。
誰を生かし、殺すと、誰が救われる?




