ep.7 純真無垢のマーダー・リクエスト
ここはね、と彼女はあどけない声で語り始めた。言葉の節々に哀切と、ほんのわずかな希望を見え隠れさせて、青金石の瞳はまだ涙に揺れている。
「サニフェルミア最南端。エベラ王国領。臨海都市ラズワルドの面する南の海、人の立ち入らざる聖海の果て。はるか深海に碧い竜の棲む、秘された領域。その、孤島」
自棄になって快晴の笑顔は、さよならを告げて二度と会えなくなりそうな儚さをはらんで静かだった。
「世界の果ての円環機構へようこそ」
☆
「――あの、ステラ? どこまで行くの? ずいぶん歩いた気がするけど」
「いいからちゃっちゃと歩く! 文句言わないでよ男の子なんだから!」
前を行く少女――ステラと名乗った赤毛の彼女は一息に言うと不安そうな顔で振り返り、
「男の子……だよね?」と不安げに言った。
髪切っても疑われるのはなんだかなあ、と複雑な気持ちである。同年代の同性に比べれば華奢だし、向こうにいた頃はそういう格好もさせられていたからあきらめがついたが。
「そうだよ。そうだけど、何の説明もなしに日が傾くまで歩くっていうのは……」
「しょうがないでしょ、セージ、魔法使えないんだもん! 森の外なら初歩の軍事魔術でひとっとびなのにぃ」
「はあ……ミリタリースペル、ね……」
「せっかく憲兵の目の届かなくて使い放題なんだよ!? もったいない! セージのばか」
「そういわれましても」
こんな調子でずっと砂に足を取られながらも歩き続けている。何の罰ゲームだろう。というかですね。孤島のくせに広すぎやしませんでしょうか。
いわゆる剣と魔法の世界なのだそうだ。
この世界はある時点からサニフェルミアと呼ばれていて、火を吐くドラゴンが空を飛び、岩は意思を持ち巨人となり、夜には屍体が練り歩き、馬には羽が生えペガサスと呼ばれ、人語を操る人外が跳梁跋扈し、まあ、とにかくそんな具合らしい。そんな世界ならば防衛策に人類皆魔術師になるのもやむをえまい。そういう世界なら詮方ない。セージはあらゆる疑問と感情を飲み込み納得した。
「ほんと、変なの。魔法がない世界ってあるの? 神話のなかだけだと思ってたわ」
「おれの感覚としては魔法が神話っぽい感じなんだけど」
「……あたし、セージが別の世界から来たって話、頭のてっぺんからつま先まで信じてるけど……魔法がないって話だけは信じられない。だって、どうやって火をおこすの? お洗濯は? 陸の上も海の上も、長い距離をどうやって移動するの? ユニコーン・キャラバンってとっても高いのに」
「火は都市ガス洗濯は洗濯機陸は新幹線海は船だよ。……船の動力ってなんだろ、石油……? あとユニコーンはいない」
みゃおう、と足下を縫い歩く黒猫が鳴く。どうもこの島の集落で面倒を見られている猫らしく、やたら人馴れしている。発光しているような金銀の双眸も、二又に分かれた尾も、この世界じゃ驚くようなことではないのだろうか。ステラが言及することはなかった。
「ふぅん……ほんとに、変てこな世界。都市ガス? とかシンカンセン? なにそれ」
左手に海、右手に切り立つ崖壁。行けども変わらない景色を歩き続け、ようやくステラが歩を止める。西日の朱に染む岸壁に向かい、白銀の杭らしきものを打ち込みはじめる。
「たしか、ここ。セージも危なくなったらここに逃げてきてね」
ぴきぱきん、と時折ひび割れるような音が聞こえるのは、打ち込む杭のためだろうか?
「ここ? 危なくなったらってなに――ていうか何してるの?」
「爆破するわ」
「爆破」
ステラはだぶついた手袋でポケット背負い袋をまさぐり、☆型の輪を引っ張り出した。しゃらしゃらと音がする。杭と同じ銀色のそれは、タンバリンのように見えなくもない。セージを手で制して、離れて、と彼女は告げた。
「金華の珠。銀葉の玉。浸す鈴蘭、心の臓へ一滴。死なずの王の目蓋を開く。左の燭台、劣等――……アリアレスト。ユーネ、ドゥー、トライ」
声に合わせて三度☆を振る。素直に魔法少女っぽくてかわいいな、とか思っていた。
崖壁に突き刺さった五本の杭がキラリと光を放つのを見た。本能的に身構えた。可愛らしくないことが起こりそうだった。
「――うわッ!」
上がる爆炎は深海の藍色。爆風は砂を巻き上げて視界を覆う。派手な爆発じゃないか。
「ちょっ――えっ、これ……えっ、っと」
「ここだけは、干渉されないところなの。あたしがルールを無視できるのは、きっと、ここだけ」
ステラは砂ぼこりも構わず突き進んでいく。爆破した先にぽっかり暗闇が口を開けていた。洞窟? 相変わらず説明は足りていないが、着いていくしかない。
空洞にあどけない声がこだまする。
「金華の珠、銀葉の――……あっ、まちがえた」
しゃん、と金属の涼やかな音色。少し遅れて閃光。目が眩むほどのそれは刹那の間に収束する。昏い洞穴に充満していた闇は駆逐され、太陽のような温かい、優しい色の灯りが空間を照らしていた。光源は何だろう。ステラの手からぞんざいに放り投げられた何か。懐中電灯ではないことは確かだ。
「ごめんね、あんまり質がいいものじゃないの。あ、もちろんあたしのエレシドじゃないよ。燐灯石。――なあにその顔、もしかして燐灯石も見たことないの? じゃあ夜の灯りは蛍蛾の触角の青燐灯? 毒あるのに」
蛍蛾の触角は光らないと思うけどなあ。
もともとあった空洞なのだろうが、妙な空間だ。爆破して開けた入り口が極端に狭いわけでもないのに、波の音が一切聞こえない。潮の匂いがしない。風が吹き込むこともない。奇怪に隔絶された空間だった。
ステラは息をついて地べたに座り込んだ。しゃらしゃらと☆が鳴る。目が合って、座ったら、と促された。
「そこに転がってるのが燐灯石。エレシド鋼を通じた魔力で光る石。よっぽどの田舎じゃない限り灯りは燐灯石だよ。魔素の純度が高いとさっきみたいな、ぴかっ! って粗発光もないんだけど、ちょろまかした三等品だから」
「その……さっきから言ってるエレシドっていうのは」
隣に腰を下ろして問えば、ステラは星空の瞳で微笑んだ。
「――エレシドはね、意思と事象の媒介金属なの。この現実の世界とね、あたしたちの精神世界を繋げてしまうんだって。だから魔法が使えるの。少しの手順で、あたしたちの随に。――ってあたしもよくわかんないんだけどね! 先生が言ってた。……あ、ニナ! おいで、一緒に作戦会議、しましょ」
ととと、と歩み寄る黒猫を抱き上げ、ステラは無邪気に頬ずりをした。先刻銃を向け尋問してきた少女と同じは思えない、年相応の自然な様子だった。……いや、自然ではない、かも? この気候でその厚着はどうかと思う。
「本当は、こんなに遅くなったらパパに叱られちゃうからいけないんだけど……ここから抜け出せるなら、あたし、かまいやしないわ。何もかもが終わってくれるのなら、それがいちばん幸せだもん」
「……終わる、って」
「セージは知っているのでしょ! だって、あたしのことを知ってるんだもんね。あたしには間違いなく、オピウム帝国軍人らしき少年を砂浜で見つけて、その死体をおじいちゃんに報告して弔った記憶がある。セージには死んだ記憶がある。でもここでは生きていて、会うのは二回目だって、そうでしょ?」
「――きみに会うのは、」
三回目だ。
しかしその言葉を待たずしてステラは次の言葉を紡ぐ。
「この島は悪夢の一週間を繰り返し続けるの」
金銀眼の黒猫をぎゅっとだきしめて、怯えた様子で外の景色を一瞥した。紅から紫へと遷移する波打ち際、漂い始めた闇に何者かが現れること恐れているようだった。
「知っているのは、あたしだけ。あたし一人が気が狂いそうで、――もう狂っているのかもね。そうでなければセージを『別の世界の人』だなんてこんな簡単に信じないし……こんなお願い事なんてしないよね」
噛みしめた口元が再び開いたとき。
あどけない声が告げたのは、つい最近聞き覚えのある名前だった。
「この島の森に隠れている『ライラ・ハルフィリア・エス・マリカ』を、殺して」
あなたは純真無垢の少女の殺人依頼を、
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