ep.6 ステップ・イン・ステラ
何を救えば正解なんだ?
波の音が聞こえる。
「……――ッ!」
飛び起きる。呼吸をする。砂を噛んでせき込んだ。寄せては返すさざ波の音、水の冷たさ。網膜を焼く陽光は穏やかに、体を温めるには赤外光が足りていない。肌寒さに身震いし、視界に映る景色に目を疑う。
「どこだここ……」
青と白のコントラストには遠く及ばない灰色の空。濁って暗い海の色。白い砂浜とあいまって、どこまでもモノクロの世界が続いている。
ふと後ろを振り向いた。切り立った崖と生い茂る緑。鮮やかさには欠けるものの、それには見覚えがあった。最初に浜辺に打ち上げられたときに見たそれだ。ならここは同じ場所なのか。
「同じ場所――って」
思わず失笑してしまう。
「死んだのに?」
ほんの数分前のことのように思い出せる。青金石の瞳の少女。白銀の拳銃。発砲音。それはセージの額に衝撃を穿ち、意識と、きっと命を奪ったはずだ。
では、ここにいる自分は?
「おれは」
どう自問したらいいのかも、知れたもんじゃないな。
「白石は死んだ。おれも死んだ。死んだはずなのに、死なせてもらえない、とか。白石もどこかでまだ生きてる? それは――嫌かなあ。それで、おれは死ぬまで殺されるとか、いや、それもちょっと……」
波打ち際から離れて数歩、不意に視界を横切るものがあった。また急に現れやがって。この世界の登場人物はいつも不意打ちで現れる。もっとも、今回は人物ですらないようだが。
「にゃあん」
猫である。
「……おまえもおれのこと殺しにきたりしてる?」
冗談めかして訊ねれば、猫は行儀よく前足をそろえてこちらを向いて座った。ベルベッドの毛並みの黒猫。金と銀の双眸がじいっとこちらを見つめている。何の変哲もない猫――というわけでもない。変哲のある猫だ。尻尾が二又に分かれている。猫又とかいうのだっけ。妖怪の分類。驚くべきところなのかもしらんが、今のセージは二、三、死んで生き返ってを繰り返したばかりである。今さら妖魔のたぐいが出てきたところで何でもない。
セージはかがんで黒猫に視線を近付けた。首輪がついている。銀のプレートに文字らしきものが刻印されていた。違和感を覚えつつも読み上げる。
「世紀の天才魔女、ルーニー様の最高傑作……? いや、ほかに書くことあるだろ……名前とか――」
読んでから気付いた。
こんな文字、いったいどこで覚えたのだろう?
わいた疑問を頭の隅に除け、無心で猫を撫でた。毛並みが心地いい。猫は癒しだ。どんな世界だってそれは変わらない。知らない文字が読めるようになったとか、猫又が出たとか、現状大した問題ではない。繰り返す被殺と蘇生で荒廃した精神を落ち着かせることが最優先だ。なんだって、今までリンチに遭ったり義理の父親に犯されかけたことはあっても、殺されたことはなかった。当然だ。これまでなら。
「ルールはひとつだけ、救えばいい。だとさ。何を救えばいいんだろうな。――自分を救うだけなら、ちゃんと死ねればそれでクリアなんだけど」
自嘲気味にそう言って、ひとしきり黒猫を撫でる。黒猫は二又の尾を揺らしながらどこか切なげに鳴いていた。それは何かを伝えようとしているようでもあったけれど、猫の気持ちに明るいかと言われれば否である。すげえ鳴いてるなあおなか空いてるのかなあ何も持ってなくてごめんな、とか、そんなことをぼんやり考えていた。
ぼんやりしていた。
だから、またしても不意打ちを食らったのだ。
「――?」
不自然な風を感じて上を見上げた。切り立った崖。茂る緑。その頂上から。
「えっ、やッ――どっ――どいてえええええええええええええ!」
女の子が降ってきた。
「……へ?」
おかしら! 空から女の子が! なんて言ってる余裕はない。落下速度は不自然に減速したりしない。秘宝が光って奇跡を起こしたりはしない。スカートの中が見えてちょっと得した気分にだってならない。重力加速度に従い指数関数的に落下速度を増す少女は、赤毛をなびかせ一直線に。
「――ッ」!?
セージに激突した。
なにが、どう、ぶつかったのかわからない。
ただ、視界が真っ暗になる直前の刹那。硬いものが砕ける音がやけにくぐもって聞こえた。一瞬にして失われた平衡感覚のせいで、今の自分がどんな格好をしているかなんて知れたものではない。
「――え、うそ、やだ、どうしよう――なんでこんな曲がり方――……んで――ていうか、だれ……? なんで? 外の人? うそだ、オピ……の人、な――か? ……だ、待って、……いで――」
少女の声はひどく遠く、遠く、やがては音も匂いも触れる彼女の手の温かさも、そうして思考ですら、そっぽを向いて立ち去ってしまう。
☆
どうか、救っておくれよ。
微睡みが、次の夢へと、落ちる前に。
☆
波の音が聞こえる。
ぼんやり目を開ける。今度はまたよく晴れているものだ。青と白のコントラスト。後方に切り立つ崖。さあ。どうしたらいい? 笑えばいい? 泣けばいい? 呆然自失にこのまま半身を水に浸していればこれは終わるのか?
「最初からやり直し――……」
また同じ場所で、同じ水の冷たさに目を覚ます。
三度目ともなれば、認めざるを得ない。
ループしている。
「ちょっと、難易度高すぎるんじゃないかなあ……スタート地点から全然動けてねえよ……」
白い陽光に目を細めてぼんやりと呟けば、猫の鳴き声が聞こえた。
お早いお出ましじゃないか?
「おまえ、ヒントくれるNPC的なポジションなの? もしかして……」
二又の尾の黒猫は金銀の目をゆっくり瞬かせ、水にも怯むことなく波打ち際のセージのそばに座っている。しかし、ループか。こういうのは、自分以外は繰り返している記憶を持っていない、というケースが多々ある。孤独との戦いだ。いっそ猫でもいい、話の通じる相手が欲しかった。さっさと死んで来世に期待するつもりだったのに、どうしてこんなことになったのだろう。
「なんかしゃべってくれればいいんだけど……ダメかぁ」
「うん。しゃべってはくれないよ。ニナ、賢いけど」
「そっか。猫だもんな。ニナ。……」
ニナ?
「――んなッ」
跳ね起きた。
右を見て、左を見て、くすくすと聞こえる笑い声はすぐ後ろから。
まだあどけない顔立ちの赤毛の少女。瑠璃の星空を閉じ込めた青金石の瞳が三日月形に笑っている。片肘で頬杖をついた彼女は、もう片腕で白銀の銃を持ち、
「答えて」
セージの額に押し当てた。
「――え」
「余計なことは言わないで。余計な動きも取らないで。あなたができるのは『はい』か『いいえ』を答えるだけ」
少女は笑みを崩さない。けれども額には汗がにじんでいるし、拳銃を持つ手は小刻みに震えている。汗がにじむのはこの気候に反して厚着しすぎているからかもしれないが。いずれにせよ、そんな物騒なものを持つにはまだまだ子供だ。この世界にそんな概念があるかは知らないが、中学生くらい。声もどこか上擦っていた。
「あなたは、オピウムの兵士?」
「いやだからちがっ――ヒッ――いいえ!」
「軍刀は持っていない?」
「は? は――はい……」
「ほかにエレシドは、持ってる?」
「エレ……? あっ、いいえ」
「目的があってここに来たの?」
「――いいえ」
「……――そう。じゃあ、これが最後」
緊張した面持ち。唾を飲み込む音さえ聞こえた。小さな息継ぎを経て、彼女を問いかけた。
「――あなたは、この場所で、あたしと、会ったこと、ある?」
その問いに、セージはたまゆらのあいだ言葉を詰まらせた。
可能性が兆した。
「――はい」
それは、この繰り返しから抜け出すための可能性だ。
白銀の銃が白妙の砂へ滑り落ちる。わずかに見開かれた少女の目はすぐに細くなり、瞬きは雫をこぼした。
「あたしのこと、覚えてる?」
セージはゆっくりと頷く。
「痛かった?」
「そこは、あんまり覚えてないかな。すぐに死んじゃったみた――」
少女はぽろぽろ涙をこぼして、やがてわっと泣き出してセージに飛びついた。わんわん泣きながら、ほかに縋るものがないのだとでも言うように、セージにしがみついて、嗚咽混じりに言葉を紡ぐ。
「――おねがい」
その言葉は。
「あたしたちを、たすけて」
セージがとっくに口にするのを放棄した。痛切な、心の深く根差した底より発される、救いを求める純粋だ。
瑠璃の星空、青金石の瞳、彼女の名は、




