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ep.3 ウェルカム・トゥ・サニフェルミア

「……は? なんだよ、それ」


 白石は比喩でなく輝いている。満月夜の月代岬で、天界の使者のように、あるいは妖者(あやかしもの)の頭領のように。

 白石はやはり慈母の微笑みを浮かべ、蜂蜜の声でささやいた。


「選ばれたから、だよ」


 意味がわからない。

 理解の及ばぬ超常現象になってしまったクラスメイトは、しかしこんな夜中にセーラーの姿服だった。ね、呉井。わたし、どうしてここにいるかわかる? 続く理由は誓慈を蒼褪めさせるには十分だ。


「今日だと思ったの。町議からの接待で遅くなるから、お父さんはきっと呉井を呼ばないでしょ? 呉井が考えることは当然わたしも考えるよね」


 白く輝く手が誓慈の肩を掴んだ。まるで幽霊にでも触れられたかのような実体のなさが気味が悪い。


「昨日のさあ、お父さんと約束(・・)してたの――ふふっ。わたしが聞いてないと思った? 呉井、律儀だからあんなこと言ったら本気で悩んじゃうんだろうなあ――って。わたしねぇ……」


「は? ――な……? なにいっ……おまえ――」


 甘い、甘い、吐き気を催すほどの甘い声は容易に三年間の悪夢を呼び起こしていく。都会からやって来た父娘二人。父親は確かな手腕(・・)を持つ立派な人間なのだという。娘は見目麗しい才女で、父親の教育の賜物なのだと噂しされ。そんな二人がなぜわざわざこんな田舎に越してきたのか、疑いを感じさせないほどの人当たりの良い父娘。

 れきとした「人格者」である部外者が、町で最も憐れまれるべき母子を見初めたのは自然ななりゆきだった。


「呉井、いつもここに来るよね? あははっ。自殺なんてどこでもできるのに、ねえ。ここに。ロマンチストだよね。信じてるんだよね。月代岬の迷信」


 唇をぎこちなく動かすばかりで、上手く言葉が出てこなかった。この女には何もかも筒抜けだったということが情けなくて、ぐっと奥歯を噛みしめた。


 月代岬の迷信。絶えず自殺者の集まる本当の理由。


「どう? 浅瀬に満月は映った?」


 浅瀬に映る満月に飛び込めば、こことは違う別の世界で逆さ映しの人生を送ることができるという、誰が作ったかも定かでない迷信。不幸であるほどすがりたくなる悪魔の甘言。ここで自殺を図れば、今生で巡り会えなかった幸福にありつけるかもしれない。蜘蛛の糸のような希望を伝い、人は黄泉へ続く浅瀬に飛び込むのだ。だれも心の底から信じているわけではない。最期の数秒間、この迷信によって、生きあぐねた彼らは幸せな夢を見ることができる。


 ――どうか次こそは幸せでありますように。


 魔女はそんなささやかな願いを嘲笑った。


「救われたいよね、呉井。でも、無理。ほかの誰が救われたって、呉井は救われないの」


 細い指が肩に食い込む。白石は笑っているのに、天使よりも般若の顔に見えた。


「呉井を救うのはわたしだけだよ。わたしだけが呉井を救えるの。お母さんに見捨てられるのは苦しいよね。親戚の誰からも疎まれているのはつらいでしょ? 学校で無視されるのもいじめられるのも痛むよね? お父さんに愛されるのは身に堪えるよね――」


 ああ。

 この女は何を言っているのだろう。


「――全部、おまえのせいだろ」


 声が震える。

 どれだけわざとらしく同情ぶろうと、そう仕向けたのはすべてこいつじゃないか。理解できない。とても理解できなくて気持ちが悪い。おぞましい。


「きっとこの先も、呉井はわたしなしには幸せにはなれないから」


 肩を掴む手の力に方向が加わった。


 せりだした岬の先へ。


 はじめから仕込まれていたかのように、(さく)は軽い音を立ててその機能をなくした。

 誓慈を地上にとどめておく(しがらみ)は、もう、何も、ない。


「だから、最後にわたしの手で殺し(たすけ)てあげるね!」


 ふわり、と。

 ほんの刹那の浮遊に見た白石の表情は、やっぱり般若の面に見えた。


「な……、はぁ? やめっ――やめろ! なんで――おい! ふざけんな! ふざけんなよ白石――!」


 ひっくり返る自分の声に笑ってしまった。おれは死にに来たんじゃなかったのか。それがどうして今生にすがり付くような叫びを上げるのだろう。命が惜しいか。生が惜しいか。今さら明日に未練が湧いたか。ちがう。んなわけねえだろ。そうだ。そんなんじゃねえよ!


「――この世界で最後に呉井を救えてよかったよ。わたしは別の世界を救いに行かなきゃいけないから」


 こんな意味のわからない女に終止符を打たれること。

 最期まで他者の意思の介在下を強いられること。

 決定権を持ち得なかったこと。

 それが、たまらなく悔しかった。


「あはっ。さようなら、呉井! わたし、呉井を救えてサイッコーに幸せだよ!」


 ああ、そうかよ。

 自棄っぱちに上げた声は届いただろうか。もう聞こえないところにいたんじゃないだろうか。なぜって、肩から手を放した白石の姿は未確認飛行物体みたいに発光しまくっていて、とてもこの世の存在とは思えなかったからだ。


 ホント、人生ってさ。

 不平等極まりないし、初手がダメなら全部ダメって。

 そりゃないんじゃないかなあ。

 神様?


 *


『きみを待っていた』


 ここは昏くて、ひどく(まぶ)しい。


『どうか、救ってくおくれよ』


 ――誰だ?


『私が為しえなかったことを、きみに託そう』


 目蓋を押し上げ、声の主を視認しようとする。できなかった。目蓋なんてどこにもない。視るための眼球も持たず、肉も骨も塵と散ってしまった。


『たとえ私が滅んでも、希望の残滓はここにある』


 ――希望なんて、どこにもないよ。


『神など殺してしまえ』


 ――そんなやつが、どこにいるっていうんだ。


『さあ、あとは任せたぞ』


 ――任せるって、なにを。


『サニフェルミアへようこそ、異界の少年よ』


 曖昧な意識が融けてゆく。


 あなたの声は、とても、遠い。




『――これから世界を救う話をしよう』


 *


 波の音が聞こえる。

 波は母なる海の心音だ。悠久に長らえる生命の音。恒常の鼓動。

 瞼の裏に光を、じんわりとした温かさを体表に感じる。白い光は目蓋を透過して視界を赤く塗り潰した。身体には血が通っていた。息をしていた。水の冷たさを感じていた。水を吸って張り付く衣服の感触が煩わしかった。

 うっすらと目を開けた。どんな色を感じるよりも照りつける陽光が網膜を焼いた。反射的に目を瞑って、再び目を開ければ、夏らしい入道雲を浮かべた深い群青が視界に飛び込んだ。


「――ど」


 どこだここは、とあてもなく言おうとした矢先にひどく咳き込む。口の中が砂だらけだし、ずいぶん水を飲んでしまったらしい。砂。砂? 砂浜だ。真っ白な。海水も透き通って綺麗すぎる。

 水を吸って重たい制服を身体に張り付けたまま立ち上がり、水平線を遠く眺めた。彼方で蒼穹と融けあう海は旅行パンフレットの写真のごとく、冴え冴えとして鮮やかな青だった。

 未だかつて見たことのない、美しい景色。

 爽やかな潮風に吹かれて思うことといえば、「ここが天国かな?」といったところだ。


「死んだんだよなあ、おれ」


 死んだはずだ。

 まっ逆さまに浅瀬に頭蓋を打ち付けて。

 ならばここは死後の世界に相違ない。それにしては天使も餓鬼も迎えに来る気配がないが。

 後ろを振り返れば、やはり見たことのない風景だ。切り立った崖の上に生い茂る緑。月代岬のようには整備されない原生林。繁茂しすぎて溢れた緑の蔦は崖の上部を覆っている。

 生まれ育った町は海に面してはいたものの、こんな鮮やかな(いろ)はなかった。コンクリートで固められた波止場、波消しブロック。灰色の目立つ海岸と滅多に晴れない空。陰気臭い港町だった。


「それに比べりゃ、気分のいい場所だけどさ」


 こんなひとけのない砂浜で、一体なにをしろというのだろう。チュートリアルもなく冥界へようこそ、なんて、死んでもイージーにはいかせてくれないってか。

 ちぇ、と砂を蹴り上げたそのときだった。


「――人間、なのです?」


 震える鈴の音の声が波音に混ざった。

 おかしい。さっきまで四方八方どこにも人影なんてなかったのに。

 小さな体躯を固くして、驚愕に色を失って、その幼女はすぐとなりでこちらを見上げている。


「……人間、ですが」


 おまえも人間じゃん、と返そうとした言葉を逡巡した。

 ぽっこり湧いた疑問が声を奪う。


 はたして、ピンク髪にピンク目の幼女を人間として良いのだろうか?

次回、「ファースト・キスからはじまる、二人の×××」


Ⅱ章ep.1冒頭に表紙絵らしきものを追加しました。Twitterに上げたものです。

不穏Phaseが落ち着いたので更新頻度を週1程度に落とします。

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