ep.2 嘘つき魔女のイミテーション
ペテンな彼女の話もしなくてはならない。
巨大樹チュイレーンの木陰より、反り立つ真贋蜥蜴と二人の様子を息を潜めて垣間見る者があった。
「……なによあれ。全然、人間じゃない」
星を散りばめたような深い青の目を見開き、少女はその戦闘の行く末を見守った。
鮮やかな金色の髪を長い三つ編みにして、それを隠すように栗色の外套ですっぽり体を覆った十代半ばほどの少女。低位の認識撹乱魔法を掛けた外套のおかげで人間相手ならばまず見つからないように仕込んである。人間相手ならば。
――さて。
身体能力を飛躍的に上昇させる祝福兵装魔法は軍事魔術として存在する。
風を操り空を駆る機動増幅魔法は触媒式精霊術に、確かに、ある。
しかしながら彼女の判断はこうだ。
「魔法じゃないわ」
サニフェルミア北方、リコリス公国軍属魔術師を称する金髪碧眼の少女――エティはそう自称するだけあってれっきとした精霊魔女である。その身に固有の精霊を宿す魔女の魔法感知能力は高い。軍事魔術の違法使用取締りだって、今の時代では精霊魔女が一役買っているくらいだ。
目前に広がる光景は魔法なしには実現しえない。
それなのに、エティは魔法発動の気配すら感知することができなかった。
「触媒を使うそぶりも見せなかった……まさか、トレリチア式? でも……あれは魔方陣も詠唱も複雑でノータイムじゃ使えないわ」
乾いた唇を舐める。目の前で起こっている未知の現象を考察する。セージとライラ。あの二人は紛れもなく人間だったはずだ。旧オピウム帝国将校の出で立ちをした貧弱そうな少年と、臨界魔女の呪いで大部分の色素が抜けてしまったという特異な色合いの幼女。合縁奇縁でたまたま同じ宿に泊まっていた。討伐依頼を受けるというからなんとなく心配でこっそりついてきたら、あろうことか反り立つ真贋蜥蜴の討伐依頼を受けたではないか。千差万別の異種族の中では低級に分類されているが、それはただ知能がないというだけだ。平時は大柄な男を横にしたくらいの図体のトカゲであるが、危険を感知するとその頭と尾は天へ向かって数万倍、あるいはそれ以上にも膨れ上がる。反り立つ真贋蜥蜴。ひょこひょこと地を這う平時の見てくれは偽物だ。真の姿は獰猛な化物蜥蜴で、軍属魔術師なしの討伐には複数人の獣型異種族討伐士が必須である。
見つめる視線の先の真贋蜥蜴が爆発した。大爆発だ。身を屈めて爆風をしのぐ。肥大化して頑健な真贋蜥蜴の顎を砕く勢いで幼女が、もといライラが弾丸のごとく上方から蹴り下ろしたのだ。ブレスもどきを吐こうとしていた蜥蜴はあわれにも自らの異端魔力を暴発させて爆発四散した。
「異種族でもない、魔法も使ってない……」
うわごとのように呟く。
こんなことはありえない。
知らない。
見たことがない。
最初から最後まで、この場を支配していた魔力は反り立つ真贋蜥蜴の異端魔力だけだ。
「人間じゃ、ない……」
だったら何だっていうのか。
この世界は神話の時代に分かたれた。その時点より、ともに超常の力を行使する人間と異種族は互いを仇敵として今日までわかりあえずにいる。
超常の力は崇高なる意思の力を持つ人間か、神より異形に堕された異種族しか持ちえない。
人類の叡知たる魔術を使用せず、異種族の異端魔力も発せずにこの世の理に反する彼らは何者だというのだろう。
エティは頬を蒼ざめさせて頭を抱えた。未知への恐怖は往々にして想像を駆り立てる。知識があるほどに鮮明に恐怖は像を結ぶ。
エティが脳裏に描く恐怖の虚像は最近五十年間否定されてきたある可能性だ。
「――ありえない。そんなの、いまさら……」
複雑な胸中に奥歯を噛みしめてうずくまる。
もしも虚像が真実であり、エティ自身が恐怖を飲み下すことができるのであれば、かねてよりの宿願が現実味を帯びる。それは祝福すべきことだ。もろ手をあげて喜ぶべきことだ。
……そうやって自分の内側ばかり覗きこんでいたせいで彼女の接近に気付けなかった。
地面の砂利が擦れる音。
焦点の定まらない視界に映る小さな靴。
「お宿のお隣さんではないですか。こんなところでなにをしているのです?」
臓物が浮き上がるような悪寒に身が震えた。
本能的な恐怖が薄膜となってからだを覆いつくしている。顔を上げられない。鈴を転がすような幼い声は飄々として冷然、年相応の子供らしさなど微塵も感じられない。
「ライラ……ちゃん……」
かろうじて出た声で名前を呼んだ。とある可能性がチラつく今となっては呪いの言葉のような名前だ。
「いつからいたのです?」
「…………」
「どうして隠れていたのですか」
「…………」
「ああ! もしかして、心配して見に来てくれたのですかぁ? エティはやっぱり優しいお姉さんなのです」
わざとらしい明るい声が心臓に悪い。
「……そう。ちょっと心配に、なって」
「ふふ。そうですか」
鈴の音の声はそれ以上は続かなかった。沈黙はエティの言葉を待っているようだった。そしてきっとこの沈黙の先には正解がある。間違えてはいけない。
「今、ここに着いたばかりなの」
「まあ。今ですか?」
そろりと視線を上げた。
きょとんとしたつぶらな瞳がエティを見下ろしている。薄桃色の瞳。奴とは違う。 エティの探し求めるあの女の瞳ではない。大丈夫。こんな小さな愛らしい女の子があいつなわけがない。異端の魔力は感じない。たまたま名前が同じというだけだ。否定しろ。死体に群がる蛆のように沸いて溢れる可能性の妄想を棄却しろ。
エティはにっこりと微笑んでしとやかに立ち上がった。
「そうよ。ちょうど今。遅くなってごめんなさい。すッごい音が聞こえてびっくりしちゃった。でも、もう倒せたみたいね? さすがは旧オピウムの軍人、実力は折り紙つきってところかしら」
嘘をつくのは、得意だ。
「――そうですか。でも、折り紙つきだなんて……セージさまったら、あんな低級異種族に手間取っていたので、見られていたらみっともないと思っていたのです。見られていなくてよかったのです。ほっとしたのです」
花咲くようにライラが顔をほころばせた。年相応の子どもらしい無邪気な笑顔。やがて夏の朝日に咲く睡蓮色のスカートを揺らしてライラはエティにきびすを返す。エティは追わない。追えない。ライラと同様に反転し、来た道を戻る。悠然と歩いた。それがだんだん速く、ついには駆け足になった。日が落ちて暗い森の中を逃げるように進んでゆく。
「『星屑』ーー来て」
ぽつりとつぶやいた。
それはエティに宿る精霊を呼び出す呪文だ。
エティの周囲に蛍のような光が点々と漂い始める。それはやがて色とりどりに輝度を増し、エティを照らす星屑の灯りとなる。すわっ、と頭のてっぺんから何かが抜けていくような感覚。精霊に自分自身を消費される感覚だ。
明るさを確保するとエティは走るのをやめた。ゆっくりと、とぼとぼ歩いた。
「本当に、見てくれだけは星屑そのものなのに」
エティ・オルコットは嘘つきだ。
名前も出生も身分もすべて偽物だ。本当なのは魔女である自分という存在だけで、あまりにも嘘をつきすぎて本当の自分を忘れそうになる。エティという架空の少女に埋没して目的を見失いそうだ 。目的。かないっこないのに追い求め続けている。もう五十年以上も姿を見せていないあの女を探し続けている。御用学者が「消滅した」と断言した、夜に嗤う破滅の女王たる異種族。不死のひとり。
やろうとしていることは馬鹿げているのだろうか。間違っているのだろうか。もうなにもわからない。嘘をつきすぎたせいなのか。自分の中の真実すらあやふやだ。
エティの何もかもは偽物だ。
エティを囲って瞬く星屑の光が贋物であるように、すべては嘘の修飾だ。
「……魔女やめて、詐欺師にでも転職しようかなあ」
あながち良い選択かもしれないな――と自虐的な笑いがこみあげてきた。まあ、笑っとこうか。嘘の有効期限内、娑婆の光が浴びられるうちに。あるいは、精霊に喰われて己をなくす前に。
偽物の星の命はそう長くないのだから。
次回、「青碧の都の子どもたちは伝承を謳う」
10/7までに更新できればと思います。