ep.19 頽れる街に、流星
走れ!
薄荷のごとく透き通る声が朗々と響き渡った。瞬間、閃光――それはやがて規模を増し、エティを中心に風景を塗り潰してゆく。それは莫大なエネルギーの発散で、神性すら秘めて畏怖を抱かせる星の光だった。
きっとそれは何よりも虚飾にまみれて、誰よりも偽物だった。
「――さあ」
指先で優雅に回転させ、舞い踊るようにそれを構えるエティの姿があった。
「片付けちゃいましょ。時間が惜しいわ」
「――エティ?」
「なぁに」
「きみ、魔女じゃなかったっけ」
「そうよ」
セージは顔をしかめて疑問に唸った。対するエティはどこ吹く風だ。
「魔女が武器を振り回してちゃ悪い?」
ザン、と音を立てて地面に柄を突き立てるエティ。それは一般的に魔女ときいてイメージするような杖や棒ではない。
身の丈ほどもある、巨大な戦斧だ。
祭祀儀礼に飾られるような豪奢な装飾が施されているものの、その刃は確実に命を断ち切る鋭さを持っていた。まるで幻影のように七色の光を揺らめかせるそれは、とても華奢なエティが振り回せるものには見えない。
「いいこと、セージ。悪いけれど、私には一人で異種族相手に立ち回れる技術はないの。でも、殺せるわ。確実にとどめを刺せる。だから共闘よ。目的地までの異種族を、あなたが足を捥いで私が殺すの」
「――きみに、そこまでしてもらう筋は」
「ないわね」
「だったら」
エティは苛立った素振りで今いちど戦斧を突き立てた。
刺々しいのは素振りだけだった。
俯いて、再び上げた顔は泣きそうで、困ったように眉尻を下げて、少しだけ恍惚を溶いてはかろうじて笑っていた。
「あなた、世界を救うって言ったでしょう。どんな無謀な夢も、私にとっては他人事じゃないんだもの」
ラズワルドの中心部を走り抜ける。角を曲がるたび目につく異形。四肢を斬り飛ばして、運動機能を失くしたそれをエティが絶命させる。ひたすらその繰り返しだ。建物にまだ人が残っていた。立てこもる人々が窓の向こうに見える。狂気に陥って建物から出てしまう人。それを引き留めようとする人。一緒くたに餌食になってしまった人。
「どうして人間ばっかり襲うんだよこいつら……!」
壁を蹴って水平に駆けて上から飛びかかる。後ろから致命傷を避けて斬り飛ばす。斬り飛ばした先にエティがいる。灰色の肌の異種族を退けた先に、白目を剥いて暴れる少女を抱える中年の男性がいた。いつかのキャンディ屋のおっさんだった。
「あんたは――」
「いいから! 建物にもどってッ」
二人まとめて二階の窓に投げ込んだ。少女の抵抗があるまじき膂力だったのはさておき、おっさんが怯えた声でぽつりとつぶやいたのが少しだけ気にかかった。まっすぐ、セージの目を見つめてたしかにこう言った。
ハルフィリア、と。
「セージ!」
戦斧を振り回すエティの声がセージを呼び戻した。
血生臭い現実へ。
「乙女人魚が歌ってる……! 時間が経てば経っただけ錯乱して街路に出てくる人が増えるわ。白人魚にダメージ受けてる人から優先的に脳を――」
「ちょっと待てよエティ、何言ってるか、」
足下に群がる深海生物みたいな面の巨大芋虫を薙ぎ払う。たぶん、何体か死んだ。すべて生かさず殺さず、なんて無理な話だ。
「わかんないんだけど」
「セイレーン! わかる!?」
「き、聞いたことは……?」
「それを叩かないと今非難してる人たちが全員外に出てくるの! 半魚人とか虹渡魚とか奇海獣とか骨喰い虫はもう後回しでいい!」
「だからわかんないって!」
死角から迫る気配に反射的に軍刀を振った。視界に入る前に足を失った異形が宙に舞う。真っ直ぐにエティの方へ向かっていくそれを見て、魔法みたいだ、と思う。
「――もうッ」
振ってくる瀕死の異種族に戦斧を下から上へ振り切り、飛び散る血を浴びてエティはセージを向いて口を開いた。声はワンテンポ遅れて聞こえてきた。そのワンテンポの間、エティが驚嘆を表して息を呑んだのを見た。エティ? 小さく呼びかけた声は届いたわけではないだろうが、エティが声を張り上げたのはそのあとだ。
「最短距離で行く! 神格をブチ抜いて岬まで――!」
「抜くって、あれ」
「時間がない! 走って!」
叫ぶや否やエティが猛然と駆け出していく。慌てて追って、セージはそいつを振り仰いだ。
のそのそ歩いている神格とやらは無造作に身体を振り回していた。頭を振って藍炎をまき散らし、身体を揺すって鎖を建物にバコバコぶつけている。度重なる地震で脆くなった建物がそのたびに崩れていく。それだけならまだいい。よくないが、まだ。その腹は何だ。だんだん大きさを増して内側から禍々しく碧い輝きを放っている。何を孕んでいて、何を産むつもりだというのだ。
「エティ!」
セージはエティの横に並んで顔を窺った。焦燥よりも疲弊の蒼が強い頬が目に入った。時間がない、と言うのはもしかするとエティ本人に活動限界があるのか。だったら取るべき手段があるだろう。どこまで制御できるかわからないが、この全能感を信じるしかない。
エティの空いた片手を掴む。何事かとセージを振り向くエティに掛け声で応じる。
「せーのッ」
大きく踏み切って宙へ踊り出る。潮風を裂いて高く、高く。エティが悲鳴を上げようとして声にならずに細い息を吐いた。次の通りの並びの屋根を通りすぎて内臓が浮き上がるような浮遊感。自ら描いた放物線の軌道はきっと市街地の壁に激突する。させるか。是が非でも回避してやる。
「なんとか――」
踏み切った足とは逆のそれに力をこめる。なんの力なんだろう。熱い。体を巡る奔流がある。それに祈って、願って、事象を引き起こす。今ならきっとそれができる。
「なれっ」
落ちかけていた体が再び上空へ放り出された。トランポリンでも踏んだみたいに見えない足場で跳躍する。いける。これなら――
「セージ!? ちょっとこれどういう――」
「魔法!」
「なわけないでしょ!?」
「あるんだよ!」
「説明して!」
「全部終わったらする!」
魔法なわけないし、どういう理屈で急に体が動いているのかもわからない。説明なんてできっこない。全部うそっぱちだ。眼前でアアアア哭いてガガガガ暴れる怪物や、ぼうぼう燃える眼下の碧い竜の都が真実で現実で、それをなんとかしないといけない。それだけわかっていれば上等だ。十分だ。伝承も机上の空論ももうたくさんだ。
この手で救世譚を作り上げてやろう。
大きく膨らんだ腹を碧く輝かせる神格が動きを止めた。腐り落ちたのか、どろどろに溶けた顔を上に向ける。直後、空気を震わせる咆哮。腹の碧が輝きを増す。胎動のように明滅する。宙を蹴って屋根を失くした時計台の上に着地した。
「セージ。右の眼球。あと、胎を避けて。それだけ、避け、ればーー」
「……エティ?」
戦斧を支えに膝をついたエティの顔色はとっくに血色をなくして真っ白だった。滴る汗が白い瓦礫に染みを作る。滴るのは汗だけではない。
鮮血。
「エティ、あの、鼻血、が」
「――〈烏は道化の冠に群がる〉」
詩うエティの声に続いて戦斧が弾けた。白い光の粒子に分解されて震える空気に散ってゆく。
青金石の瞳が強い力をもってセージを見やった。
「みっともないところ見せて悪いわね。大丈夫。まだストックはあるもの」
「ストック……って」
もしかして、きみはとんでもない無理をしているんじゃないか。
止めるべきだった。止められなかった。支えようとしたセージの手を振り払い、エティは立ち上がった。高らかに声を上げる。名を呼んだ。彼女に躊躇はない。いま燃え尽きても構わないというように。
「――〈白雪より剥がれて墜ちる追悼の奇術師〉」
炸裂する閃光。神々しく展開し、やがて収束する星の光。神格でさえも萎縮するように一切の動きを止める。
収束したエティの手元に現れたのは、銀の歩兵小銃だ。
「……模造品でも威力は変わらないはずよ。でも――、一度しか撃てないし、障壁を張りながら動く的に当て、る、技術――まではね。写せなかった。あなたが止めて。あの目をこっちに向かせて。産まれる前に」
真っ青だ。
気丈な声とは裏腹に、陶器みたいな肌はもはや生気を感じられない。紫色の唇が震えている。呼吸も不規則で、おさえた手元から鼻血が滴り続けている。すぐそこで香り立つ、濃厚な鉄の匂い。見ているこっちがクラクラする。それなのに、金色の三つ編みと青金石の瞳は色を、意思を失わない。やめろって言ったところできっと、やめることはない。本当は限界なんだろう。もう動けないんだろう。
対価を払いすぎているんだろう。
「あれ、無視することはできないの?」
できれば、これ以上ぼろぼろになっていくきみは見たくない。
見ていられない。
それなのに、きみは首を横に振る。
「時間がわからない。産まれるまでの時間。どれだけ喰ったのか」
「産まれるって、なにが」
エティはすっと細めた目で碧い胎動を見つめた。
「神に比肩する異種族。あの子宮が有象無象を生まれ変わらせるの。――不死へ」
星が輝くのはその身を燃やすから。
エティの解除呪文お気に入りです(文法的作法はさておき)




