ep.18 終わる都に過去は紡がれる
時間切れだよ。もう、もどれないね。
ピンクの幼女とベッドの上で向き合い正座をしている。
明らかに洋風寄りのこの世界に正座という概念があるのも不思議なものだが、正座しろ明言されたのだから仕方があるまい。
ちょっと異常な状況だ。ちょっと、どころじゃないかもしれない。異常、というよりむしろ非常事態である。こんなことをしている場合ではない。
「おまえが今朝がた――つまり、女湯の時間帯に湯船の中に沈んでいて、婦女暴行を企んでいたことは不問とします」
「企んでないです」
「不問とします」
ライラは有無を言わせない口調で繰り返した。
「不問とする代わりに、私がこれからおまえに申し付けることを拒絶することは認めないのです」
「それより先に提案があります」
「認めないのです」
食い気味に宣言するライラの表情は心なしか焦っているようにも見えた。曇天から弱々しく注ぐ朝陽はすでに昼のそれに移ろいつつある。時間の経過とともに進行する事象について、ライラも悠然と構えていられるわけではないようだ。
セージは頻繁にぶれるライラに向かって言った。
「早く逃げない?」
窓の外に聞こえる、町の中心部からの阿鼻叫喚。
室内にいても耳障りな地鳴り。
起震車でしか体験したことのないような激しい地震。倒れる調度品。割れた燐灯石のランプ。時間の経過とともにひび入る壁。天井。
今にも崩れ落ちそうなヒナギク亭の部屋の中で、セージはライラに正座で説教を受けている。
異常だ。
「話を聞くのです」
「聞いてるだろ! さっきから! それよりも――」
「逃げてどうするのです?」
「どう――って」
「どこへ行くつもりですか」
ぎくり。
セージは肩を強張らせた。ライラの目が暗い光を宿してセージを見据えている。何もかもを見通されているみたいだ。その上で拒絶されている。
瞳に暗い光を湛えたまま、ライラはふっと笑った。嫌な予感がした。セージは背負い袋を抱きしめる。こいつはきっと、また。
「ねえ、セージ。世界を救うために。おまえに頼みがあるのです」
ライラがセージに差し出したのはエレシド鋼の軍刀だ。柄に、黒い紋様。呪いのような不穏を纏った骨董品。
「難しいことではないのです。おまえのことを信じているから、包み隠さず頼むことができます。私はおまえに感謝しているのです」
感謝しているのなら、そんな呪いと絶望を煮詰めたような目をしないでくれ。
「ね、セージ。これは絶対です。私とおまえは同じさだめをともにする化生。だから――」
選んでくださいね、とライラは前置きして次のように言った。
碧い竜の継承者であるエレオノール・バルデラスを、セージ・ハルフィリア・クレイが殺してください。
「――な」
なに言ってるんだ。冗談はやめろ。
おれはこの都も、レオも、全部救おうと思ってるんだ。
言葉は舌先で渋滞を起こして伝わらなかった。
ふわり、と不自然な浮遊感でライラが立ちあがる。右手を一閃。その先にあった窓ガラスが粉々に吹き飛んで散開した。刹那の後にライラはセージを一瞥し、吹き込む海風に向かって跳躍して窓枠の向こうへ姿を消してしまう。
なにも言えなかった。
言わせてもらえなかった。
セージは俯いて軍刀の柄を握る。これで殺せって? 冗談じゃない!
「おれは、おれのやりたいようにやるよ」
虚空に呟くと、はるか南の島できいた黒猫の鳴き声が聞こえた気がした。
それでいいんだ、と言われているみたいだった。
☆
石造りの宿屋は激しい縦揺れによく耐えていた。この世界の建築技法に一部の異種族を使用したものがあるらしいが、そのためなのか。セージは外套を羽織り、帽子を被り、少し逡巡して帯刀した。恐らく必要になる。だって、街から風に乗って聞こえるこの声は。鳴き声は――
「まだいたの!?」
部屋のドアを押し開けたところで、旅行鞄を手にしたエティと鉢合わせた。
こっちの台詞だ、と言うより前にエティはセージの腕を掴む。安堵、というよりか、してやったり、と舌なめずりしかねない顔だった。
「ライラちゃんは? ――いない? どうして――まあいいわ、はやく、出て――!」
「ちょっとエティ!? 腕、痛いんだけど……!」
「逃げられたら困るのよ!」
「は――逃げ――?」
ヒナギク亭をあとにする。だれもいないヒナギク亭を。客人も主人もいない。客とはすなわち旅人であり、早々に不穏なラズワルドを立ち去った。
主人は今朝から行方を眩ませていた。
「ちょっ――エティ!」
屋内から出たところでセージはエティを振りほどいた。エティが長い三つ編みを揺らして振り返る。青金石の瞳がセージを睨みつけた。
「なによ。早く逃げないと手遅れになるわ。理由はわからないけれど、南の中心部で異種族が暴れてる。チュイレーンの森からわざわざ移動してくるわけないし、数百年前から観測されていない聖海の異種族ね。特性も討伐法もとっくに忘れ去られた奴らよ。都が加護を授かる以前の主役。この地がかつて荒廃していた原因そのものだわ。王国軍の到着を待つか、あてにならない義勇軍屯所を頼るしかない」
「そ、そんなヤバいの? 聖海のって」
エティは答えなかった。舌打ち一つ鳴らして、セージの腕を引いて連れて行こうとする。ラズワルドの外へ。混乱の遠くへ。
「――もうっ! なんで動かないのよ!」
「なんでって」
「手遅れになるって! 言ってんの!」
「だから残るんだよ」
「なッ――はぁ? バッカじゃない――」
「ちょっと世界救ってくるから」
冗談めかしたつもりも、エティには伝わっていないようだった。
「――どうしてよ、もしかしたらって、やっと見つけた手がかりなのよ、四の五の言わずついてきなさいよ!」
「……――何の手掛かりか知らないけどっ」
「あっ」
今一度セージはエティを振り払う。よろけてバランスを崩すエティにセージは笑いかけた。心配するなよ。そういうつもりだった。本当におれを心配してくれてるのかはわからないけどさ。
「たすけてくれって、言われてるんだ。おれが。ほかの誰でもなくて、おれにたすけてくれって。びっくりだよな。でも、頼られてるの、おれだから。行かなきゃ。ごめん。ありがとう」
身を翻して走り出す。バカじゃないの、とエティの声を背中越しに聞いた。心配してくれているのなら、ごめん。でも、やらないといけないことがあるんだ。ハイメと約束したんだ。都を救うこと。自分に誓ったんだ。
望まずに受け継いだ力で、この世界を救うこと。
意図せず背負った意志を実現すること。
おれが決めたんだ。誰かに強制されるでもなく、仕方なくそうしたのでもない。
そうしたいと思ったから。
「――レオ」
これは勝手なおれのエゴなんだけどさ。こんなに優しくしてくれたのはきみが初めてだったから。そんな優しいきみに。かなしい顔をさせたくないんだ。たった一週間と少しばかりの付きあいで、こんな感情を持つのはおかしいのかもしれない。でも、恥ずかしながら、これが初めてのことだ。
きみが好きだ。
都の中心部は真っ赤に燃えていた。――というのは形容表現で、白い石造りの建物に飛び散った血が。臓物が。そんなふうに見えているのだった。昨日までは存在しなかった侵略者たちに食い荒らされた人々の残骸が折り重なって倒れている。そこかしこから悲鳴と、咆哮が聞こえた。足元を埋め尽くすのは蛇なのか、巨大な芋虫なのか。屍に群がっては骨すら食い散らかしている。
実際に火の手が上がっているところもあった。
あの方角は。位置は。
間違いない。
「アヒル亭の――……」
店長は? 一緒にはたらいていたみんなは。ネリオは?
「――ッ!」
考えている暇なんてない。
右も左も異種族でいっぱいだ。それらが、まだ動く人間を察知してこちらに狙いを定めた。赤黒い残骸を踏み荒らして一直線に突っ込んでくる。反射的に抜刀した。鞘走る音を他人事のようにきいた。どうする? どうするって。
「おれは!」
巨大な爪を持つものを水平に切り倒した。
「こんなことを!」
返す刀で足の生えた魚の禍々しい頭を切り飛ばす。
「してる場合じゃ――!」
羽のようなえらの生えたものを。粘液に塗れた灰色の巨躯を。口蓋ばかりが発達した異形の獣を。しめ上げた人間の血で真っ赤に染まった触腕を。斬って、屠って、蹴り飛ばして、目についた異形の徒を片っ端から手にかけて、真っ二つにして、自分の手で命を奪う感触に肌が粟立って、心が浮きだって、違和感が摩耗して、その手にためらいがなくなっていく。体は軽く、思う通りに操ることができた。
魔法みたいだった。
救いたいと思うほど、憤るほどに。
『――エレシドは意思と事象の媒介金属よ。この現実の世界とね、あたしたちの精神世界を繋げてしまうの。だから魔法が使えるの。少しの手順で、あたしたちの随に』
脳裏をかすめた声は、誰のものだったか。
すぐに掻き消された。
薄荷のような、透き通る彼女の声。
「セージ!」
彼女は七色の光を纏って疾風のごとく空から下りてきた。光は強く、激しく、波動となって辺り一帯を吹き飛ばす。断続的な地震で脆弱化した建物が倒壊して瓦礫となる。それすらも吹き飛ばされる。セージはそれになんとか踏みこたえてまばゆさに薄目を開けた。
青金石の瞳が目と鼻の先にあった。
なんだ、やっぱ心配して――
「私のことわかる!?」
勢いよく両肩をつかまれた。すごい勢いで揺さぶられる。
「わかっ――わかるに決まってるだろ! なに言ってんだよってかどうしてここに」
「あんたが廃人になって口もきけないようになったら! 困るから! 私が! あんたのためじゃないわよバカ! バカじゃないの!? エレシドで殺しなんてきょうびするヤツがある!? どうしてエレシド軍刀が廃れたか忘れたの!?」
ほとんど絶叫のような叱咤にセージは顔をしかめる。ただでさえ、まだ五感のコントロールがきいていないってのに。
「――知らないって。きいたことないし。ていうか、こんなとこ来てエティは危ないんじゃ」
と、言えば、また激昂されると思った。何で知らないんだ、と。
だから、予想外だった。
「――よかった」
エティが返したのは、安堵だった。
紺碧の瞳に満天の星を瞬かせ、エティは居丈高に言い放った。
「あんたに協力してあげる。私があんたを死なせないし、あんたも私を死なせないように立ち回りなさい。その代わり、あんたの目的を達成したら私に協力して。いいわね」
答えを考える余裕なんてなかった。ラズワルドの岬の方角。きっと、セージが目指さなくてはいけないそこから、轟音と地響き伴って現れた異形があった。建物の屋根をこえて逆巻く藍色の炎は頭髪のつもりか。そいつは海から上がってきているらしかった。やがて全身を視界に捉えた。待て待て。さすがに大きすぎるというか。
なんとか形容するならば、鎖で縛られた巨大な妊婦の合成獣だ。
「……神格が出てきたけれど。あれは相手にしないとダメなの?」
「神格?」
エティはセージの答えなど期待していないようだった。前に構えた手に光が凝集する。七色の、星の光。続く詠唱。通常、精霊魔女の持ちえないはずの呪文。
それは名前だ。
厳かに。慎重に。しかし躊躇なく魔女は精霊の名を呼ぶ。
「――紺碧より生まれ燃えさかる虚栄の道化師」
『――でも、ひとつ注意しなくちゃいけないの。エレシドが双方向に媒介するということ。呪えば呪われるし、殺せばきっと、あたしたち、自分自身に殺されてしまうのだわ』
ヒロイン交代ではないです
クリーチャーのイメージ作るの難しいですね




