ep.14 錯綜
疑念を抱えて、憂惧を背負って、さあ、解き明かそう。
この世界で、エレシド鋼を通じて現象を発生させることは、人間であることの証明なのだという。レオが疎ましそうに語っていたっけ。星屑の魔女のせいで、この世界はすっかり公平性を欠いてしまったのだと。それまでに増して、差別的で排他的な世界になってしまったのだと。
「そんなことが望みじゃなかったと思うけど」
「望み? 何のことなのです? おまえ、なんか反応が鈍いと思ったら別のことを考えていましたね」
ふくれ面でライラがセージの肩から飛び降りた。ついでに横面を蹴られた。ヒナギク亭の玄関、温かなオレンジの光を放つ燐灯石のランプがちかちかと瞬いていた。
主要な照明源である燐灯石に光をおこすのだって、エレシド鋼の魔法が必要な世界だ。裏を返せば、それだけでいい。エレシド魔法さえあれば、人間には何も不都合がない世界。エレシドと種々の魔素結晶石さえあれば、人間は数多の異種族の猛攻さえ凌駕することができる。この世界の支配権は人間という単一種族にある。
「そりゃおれだって考えるよ」
「はあ。なんにも考えてないようなアホ面で」
黙殺し、ヒナギク亭のドアを押し開けた。温かい光があふれて、美味しそうな匂いがふわりとただよって、もはや見慣れた面々が迎えてくれた。
「セージ! おかえりなさい。ライラちゃんも、無事でよかったよ。討伐に行くなんて言うからずっと心配で」
目深に被ったキャスケット帽のつばの下、安堵の笑みが咲き誇っていた。本日最高に癒された瞬間と言っていい。それはもう、最高に聖女様だった。レオは事情があって男装しているわけありの御令嬢とかなのだ。帽子の下にとんでもない秘密とかがあって、それをどうにかこうにか隠し通すためにこんな外れに住んでいる。きっとそうだ。違いない。ここ数日で、レオに対する妄想設定はすっかり組み上がっていた。
こちらをじっとり睨んでいるのはハイメだ。こんな時間までいることも珍しいが、ことさら珍しいのはセージではなくライラをガンにらみしていることだった。何かあったのだろうか。
ライラがさっとセージの後ろに隠れ、半分だけ顔を覗かせた。
「セージさまぁ、私、ハイメにとってもにらまれているのです。何も悪いことしていませんのに。同じ子どもとはいえ、殿方に敵意を向けられるのは怖いのです……」
つぶらな瞳をうるうるさせて、ライラはけなげに訴えた。
「……そうだな」
おれが見ない間になんかやらかしたんだろうなあ。
「――おいチビ」
ハイメが琥珀色の目をぎらぎらさせて言った。
「おまえ、おれが泳げないの知ってて海に突き飛ばして――え? 溺れた? おれが? いや、溺れてない、溺れてないってばレオ、おれはぜんぜん! そんなかっこわるいことになるわけないだろ!」
過敏に心配するレオと、子ども扱いされたくないハイメの複雑なやりとりに、ライラはこくりと首を傾げた。
「なんのことかさっぱりなのです。……ね、セージさま」
白々しくすっとぼけたポーズは、いつもの調子の良いお芝居だと思った。たぶん、違う。ライラが横目で見るその先に、一言も声を発しないで、椅子に座ったまま白い顔をしている人物がいる。彼女に向けられたポーズ。
彼女は青金石の瞳をことさら蒼くして、幾つかの激情を当惑で打ち消したような、穏やかでない無表情を保っていた。
「……エティ?」
はっとして身じろぎしたエティと目が合った。
彼女は愛想よくセージに微笑みかけて、控えめに手を振った。おかえりなさい。口の動きと、わずかな空気の振動はセージに言葉を伝えた。
変な感じがする。確かに、彼女とは険悪とも呼べる雰囲気で別れたけれど、彼女が許さないと言ったのは国や稀代の天才魔女であって、セージではない。
それなのに、エティが笑顔の下でセージに向けているのは敵意に酷似したそれだ。
ぴりぴりと伝わる、警戒されている感覚。何のせいだろう。とりあえず、早めに軍刀の代金を返した方がいいかもしれない。そんなことじゃないような気がするけど。
ライラ、と声を掛けようとして振り向いた。
しかし、既にセージの側にはいなかった。
「――うるッせェしらばっくれてんじゃねーぞチビ! 会っただろうが! 灯台のふもとで!」
「なぁに言ってるのかさっぱりわからないのです! 今日ハイメと会った記憶はないのです!」
「ざっけんな散々おれ、おれが、おれがよぉ、……の、ことすきとかごにょごにょ」
「ああハイメがレオのこと大好き愛してるって話ですね?」
「やぁめろおおおおおおおおおおおてかやっぱ会ってんじゃねェかあああああああああ」
取っ組み合うピンクの幼女と純朴な少年。それを見ておろおろするレオ。厨房から香る匂いに焦げ臭さが混ざる頃、セージは菩薩の如く微笑んだ。
子どもは子どもらしく、元気が一番だ。
その日のシチューはやや焦げて苦かったものの、珍しく下りてきた他の部屋の宿泊客も含め、全員が完食した。
もちろん、ライラだってそうだ。
なんだよ、ラズワルドに来る前は、人の血以外は受け付けないし、味もしないとか言ってたくせに。
☆
昼間に討伐依頼をこなしたからって、夜の修練がなくなるわけではない。二人はヒナギク亭が眠りに就いたころにいつもの通り窓から外へ出て、空が白む前に戻ってきた。修練、とはライラが使っていた言葉だ。二人は夜のチュイレーンの森へ出かけて、セージだけがぼろぼろになって帰ってくる。それも、服だけが。乱雑にはさみで切り取ったみたいな亜麻色の髪も、オピウム人らしく色素の薄い肌も、汚れてはいるが傷が残っているのは見たことがない。どうしたの、と聞いたら、大丈夫、ありがとう、とだけ言われた。心配させたくないというより、何かを隠しているような翡翠の目を、それ以上追及することはできなかった。
自分だって、隠している身だ。
「――やっぱりおまえには気概というものが感じられないのです。そんな状態で本番を迎えられては困るのです。私ではなく、おまえに制圧してもらわないと世界征服の夢が遠のくのです」
「そろそろ、その本番について教えてくれない? あと俺が目指してるのは世界征服じゃなくって世界平和」
「どっちも変わらないのです」
「変わるだろ」
「しっ。うるさいのです。ほかの御客人どもが起きてしまうではないですか」
「おまえが一番うるせえよ……」
二人が帰ってきた。夜更け前。暁の女神より早く、彼らはヒナギク亭に戻ってくる。声を立てずとも、古い宿屋の床はうまく歩かなくてはすぐに歌い始めてしまう。耳障りな軋む歌だ。
セージが新品の外套を翻らせて赤ヒナギクの客室へ入る。ライラも後に続く。きっとセージはすぐに寝入ってしまうのだろう、ライラが一人で部屋を抜け出すことに気付かない。一度は閉じた赤ヒナギクの扉が静かに開いた。ライラは擦り切れたケープをはためかせ、音もなく廊下を走り抜ける。夜間でも唯一、灯りをともしたままにしてある手洗いに駆け込んで、続く嗚咽、嘔吐、押し殺してすすり泣く声。声を掛けようともした。できるわけがなかった。声を掛けたところで、慰める言葉なんて出てきやしないのだ。
嗚咽と嗚咽の合間に聞き取れる声は、言葉は、昼間に見る可憐で快活な幼女のものとは、到底、思えない。
「――どうして、どうして?」
拒絶、狼狽、悲嘆にくれて。
光の届かない海の底の底より深く、深く、沈み込んでは黒に染む。
「私は死ねるはずだったのに――もう終わりだと思っていたのに! どうして生きているのですか? あの女に裏切られて! 神にまで、世界にまで裏切られて、まだ足りないのですか? 私は、私、ひっく、うぅ――私はもう後戻りできないのに、絶対に戻れないのに、どうしてこの体は! 中途半端に戻ろうとして、私に、思い出せというのですか。何もかも奪っておいて! これ以上、もう一度、何度でも繰り返せというのですか。いや、嫌だ、嫌、厭! 嫌だ、やだよう、もう何も覚えてないのに、何も持っていないのに、だから与えられたものに希望を感じるのに、私はその資格すら奪われたというの――」
震える鈴の音の声を聞きながら、冷たい木床に腰を下ろした。彼女の哀哭はもう少し続く。泣いて、嘆いて、そして彼女は助けを求めに行く。
水の流れる音がして、手洗いのドアが開いた。しゃくりあげながら廊下を戻って、こちらには気付かないで、あるいは、気付いているのに盗み聴きを咎める余裕もないのか。今はもう、どちらも違う。第三の理由により、ライラは真っ直ぐ部屋へ戻る。
「たすけて、セージ」
閉じ切らないドアの隙間から覗ける、夜更け前の一幕。ライラはソファベッドで寝息を立てるセージに縋りついて、怖い夢を見た子どもが母にそうするように泣きついて、空のベッドへと戻ろうとはしなかった。
「おねがいセージ、おまえが私を殺してくれなくては、唯一それができるおまえがそうしなくては、私、また繰り返してしまう。――わかっています、そう、私たち、何度だって絶望する。それがさだめ。きっとおまえだってそうなるのでしょう。私たちはけして壊れないのだから」
一通り泣いたら、朝の金色の光が差し込む前に、彼女はやっと眠りに就く。その前に必ず言う台詞がある。この小さな異種族は、きっと初めから察していたのだ。
私の正体について。
「これがおまえの未来のひとつ。抗えなかった者の結末」
それは私に向けられているようで、宛てなく返る自虐のようにも聞こえる。
そのあとに続く言葉は今日、初めて聞いたものだった。
逃れようもない、私宛ての呪詛。
「老竜が神罰に斃れるその時までに。心得ておくといい。望む結末を」
だって、名前を呼ばれた。
僕、じゃない、私の名前。
「――エレオノール・バルデラス。碧い竜の、継承者」
次回更新は12月になるかもしれません。ご了承ください。
あれもこれも伏線回収して収束させていきますよ。いぇい。




