ep.7 ヒナギク亭へようこそ(2/2)
あなたにとっての幸福は私にとっての不幸だ。
で、やってきたわけだ。
小洒落た料理屋のような内装のヒナギク亭の一階はしんとしてひとけはないものの、温かい光に満たされている。見れば壁にいくつか設置された灯りがあって、それが白熱電球のような光を放っているのだ。もちろんそれが電球ではないことはすでに了承済みである。
「部屋は二階の赤ヒナギク。ドアに描いてあるからすぐわかるよ。ちなみに隣の黄色のヒナギクの部屋にエティが泊まってる。――そういえば、一緒じゃないんだね?」
「あー……薬の材料を切らしたとかそんなこと言ってたけど」
「へえ。エティが材料を切らす? めずらしいな」
レオはくすくす笑ってカウンターの奥――厨房へ入ってキッチンの前に立つ。キャスケット帽はかぶったまま、エプロン姿だった。人差し指をぴんと立ててくるくる回す。
「じゃ、ぼくはこれからお客のみなさんの夕食の支度をします。できたら呼びに行きますのでしばらくお待ちください。……といっても、ここで食べる人あんまりいないんだけどね。お酒がないもんで。あ、セージ、もしかして飲む人だった?」
「いや、おれは――」
未成年だし、と言うより早くライラが口を挟む。
「セージさまは一滴でもお酒を飲むと卒倒するので心配いらないのです」
ね、セージさま? と愛らしく首を傾げるピンク幼女。これは設定だ。この世界で化物が人間としてやりすごすための策略である。わかってはいてもなんだかぞわっとする。
セージは身をかがめてライラに耳打ちした。
「……ライラ、やっぱりやめない? そのキャラ」
「いまさらなにを言っているのですか」
一瞬で氷点下まで下がる声のトーン。やっぱりこっちがライラらしい。
「私だって好きでやっているわけではありません。ですが私にとってはこれがいちばん優しく都合が良いのです。人間は可愛いくて可哀そうな生き物に好んで気を許すでしょう?」
目を細めて妖しく薄笑いを浮かべるライラから苦笑いで視線をそらし、セージはレオに向き直った。既に作業に取り掛かり始めているようで、邪魔をしないように二階の客室へ向かう。階段に足を掛けたところで後ろから声が飛んできた。
「セージ!」
振り向けばレオがカウンターから身を乗り出して手を振っている。
「おいしいの作るから! 待っててね!」
「あ、ありがとう……」
キュンとときめく胸を黙らせ、息を整え客室へ。
レオがたったひとりで経営する小さな宿だ。客室は二階の四部屋と、万が一のときのためだという屋根裏の一部屋。二階の四部屋のドアにはそれぞれ赤、白、黄色、青のヒナギクの模様が描かれている。
「赤ヒナギクです」と、ライラ。
「覚えてるよ。そのくらい」
客室にはベッドが一台、寝ころべそうなソファがひとつと小さなテーブルと椅子のセット。壁際の棚の上によく磨かれた銀色の水差し。ひとりで切り盛りしているにしてはずいぶんと手入れが行き届いているのを感じた。
「ふう。久しぶりにこんなに長いこと歩いたのです」
早速ライラがベッドに飛び込んだ。転がって仰向けに寝そべっては文句を垂れ始める。
「この私が徒歩とかありえないのです。しかもこんなごみごみした街中を……ひとっとびで移動できる距離をわざわざ歩く不便さがこんなに煩わしいとは思わなかったのです。セージ、おまえ明日からなにか対策を考えなさい……」
「ないです」
即答してソファに身を沈める。二人の持つたったひとつの荷物を隣に置いて深く息を吐いた。疲れてはいない。人間でなくなったこの身体はピンピンしているが、見知らぬ土地での気疲れに加えてライラから得たこの世界の情勢についてのインプット、さらに足すことには慣れない役割演技にかかる消耗。精神が限界だった。脳がブドウ糖を欲していた。ブドウ糖を。たぶん。おそらくは。
ライラが仰向けに転がったまま口を開いた。
「一泊二食付き二人で五十リニーとは破格なのです。無能なおまえに代わって私が正攻法で集めた路銀が三百リニーなので、一週間以内には安定した資金供給源を見つけなくてはなりません。……このライラが下僕に施しを与えるとは。私も優しくなったものです」
「下僕っておまえなあ……。ていうかおまえのどこが正攻法なんだよ。完全にあたり屋やってたんじゃねえか」
「正攻法です。持てる武器はなんでも使うのです。私の可愛さは私の武器ですよ?」
自分に目を付けた誘拐犯を路地裏に引っ張り込んでボコボコにして財布盗るのは絶対に正攻法ではない。武器は可愛さではなくその凶暴性だ。
「あの金髪が来るのがもう少し遅ければもっと稼げたと思うのですが……まったく、人間とは厄介ですね。金と時間に縛られて。……思ったのですがセージ、世界征服してしまえばこの仕組みも変えられるのではないですが? もっと生きやすい世界に変えてみませんか?」
「怪しい宗教団体みたいなこと言うなよ。おれは……」
セージは口ごもった。
「世界を救う英雄になるんだ」
「それこそ妄言ですね。この世界はすでに平和であることは話したでしょう」
「そっ――その平和がひずみだらけだってことも話してただろ」
セージは隣に置いた背負い袋をそっとなでた。冷たい。大事な荷物であり、大切な仲間でもある。
「ですから」
ライラが勢いよく身体を起こした。苛立たしげに夜空色のケープをはぎとりセージに向かってぶん投げる。
「おまえがそのひずみを解消したいならばこそ、世界征服しかないではないですか。おまえの持つ力は我ら吸血鬼真祖の力。圧倒的な力であらゆるひずみを均せばそれが平和です。そう! 力こそパワーなのです」
「なにを言ってんだおまえは」
「パワーこそジャスティス!」
「そうじゃねえよ……」
――きみも、この世界の平和を疑っているのかな。歪を抱えていると思っている?
ライラが金髪魔女っ子、エティから聞いたという現在の世界情勢を又聞きして、レオが問いかけた意味を理解してしまった。
この世界は歪んでいる。
俯瞰して見れば、おおよそ平和には程遠い。
サニフェルミアに生きる人間からすれば、今の状況は過去最高に好ましく望まれたものなのだろう。終戦を契機として、人間は戦火に追い立てられる日々から解放された。死は隣人としてすり寄ってくるには遠い存在となった。望まない限り、人間は自らを危険にさらすことはない。安全で快適で豊かな営みが約束されている。
なお、それらはおびただしい犠牲の上に成り立つ。
「世界は支配するものと支配されるもの。搾取するものと搾取されるもので成り立ちます。必ず二分されるのが自然な世界の仕組みです。この世に公平などありえません」
「それはわかってるよ」
ライラの言うことはわかる。かつてこの身に刻みつくほどに思い知らされた、きっとあらゆる世界に共通する不変の法だ。
「おれのいた世界だってそうだったよ。そうだけど、これはあんまりだろ。いくらなんでも狂ってるって思うぜ」
キャンディ屋の店主の言った「ご主人」という単語。逃げるように駆け抜けたいただけない雰囲気の市場。市井にすら蔓延る異種族奴隷制度はこの世界の人間至上主義の一角だ。
先の大戦を通じてサニフェルミアの魔法技術は大きく発展した。それに比例するように異種族の攻勢は衰退した。「バベルの神話」の時代より数千年間、人間という一つの種族を滅ぼさんばかりにいたぶり虐げ続けてきた異種族。神話の時代のはるか過去から連綿と続く進化の系譜より外れた理外の徒。彼らは帝政オピウムの侵略戦争を境に息を潜めはじめた。それこそ、人間が同士争いに熱中できるほどには。
オピウムの自壊を機に終戦した頃には、人間の技術は大半の異種族を圧倒するようになっていた。戦争は技術進歩の促進剤だ。セージのいた世界でもそうだった。あの世界の彼らは終戦後、それぞれ腹に一物抱えながらも反省したふりをした。仲良くしましょう、と公言した。おかげさまで彼らは一丸となって平和と平等を掲げるようになったし、他方で利権に愛護をまぶして生物の種の多様性を守っている。
しかしながら、この世界はそうなるには憎悪を溜めこみすぎた。
「おかしいだろ。異種族ならどんなやり方でも『利用』していいなんてのは……」
利用、と口にした言葉に吐き気がする。
そう、利用だ。
人間は向上した技術力と積み重ねた知識で千差万別な異種族を、人間のさらなる発展のために「利用」することにした。たとえ目を背けるほどに醜かろうと、崇めるほどに神々しかろうと、人間と似たような姿をして、同じ言葉を口にしようとも。
「我ら神隷は奇跡の可能性を秘めた神の使徒です。私が大陸にいた頃からそれに目を付け利用する者はいました。しかし、ここまで拡大しているとは思わなかったのです」
薄く笑みを浮かべたライラの瞳が妖しく光った気がした。煉獄の炎を灯したような刹那の橙。それとは対称的に、氷のように冷たいライラの声がセージの心臓を肺を凍り付かせていく。
「ねえ、セージ。こんな世界なのです。あまねくすべてを破壊して、均して、この世界を人間から取り戻したいと思って何が悪いのですか? 同胞をボロ雑巾のごとく使われているのを知っていて、どうして仲良くなんてできるのですか。 ――ねえ、セージ?」
ライラの小さな体躯からドロドロあふれる殺気に息が詰まりそうになる。
彼女は人間ではない。
正真正銘の異種族。彼らの言葉でいう高位神隷。吸血鬼だ。
「私、とぉー……ってもこらえているのです……。おまえの言う『救世』の中身によっては、今すぐこの街を、ひいては世界を消し炭に変えてやってもいいのです」
セージは凍りつく横隔膜をかろうじて動かして息を吸った。背負い袋に添えた手に願いを込める。
どうか、どこか見ているなら力を貸してくれ。
あなたが思い描いた理想を、もう一度あいつに伝えるための力を。
セージはその目にぐっと力をこめてライラを見た。
さあ、これから世界を救う話をしよう。
☆
「えっ。ライラちゃん食べないの? なにか苦手なものでもあったかな」
ヒナギク亭の一階。テーブルにつくはセージ、ライラ、レオ、エティの四人。卓上に並ぶのは湯気のたちのぼるスープとバゲット、中央の大皿に盛られた卵とじにされたなにかには黒くつややかな実が乗っている。数日ぶりのまともな食事に垂涎のセージの隣で、ライラが子どもっぽくぐずっていた。
「……いらないのです」
レオがうろたえて理由を聞くも、ライラは「いらない」の一点張りである。レオはキャスケットを被った頭を困り顔でおさえてセージに視線をやった。
「……えっ。なに? どうかした?」
「どうかしたじゃないよ。きいてなかったの」
そんなやり取りを横目にエティが「ダメなご主人さまねー」とあきれたように言う。仕方ないじゃないか。腹が減っては人間の全感覚は食い物のみに向けられるのだ。
「セージさま……」
ライラがいじらしく上目遣いでセージを見る。もちろん演技だ。意図はおそらく「テメェこの状況さっさとなんとかしろよボケ」とかそんなんだ。
そう言われても。
「ええっと……」
ライラは吸血鬼だ。
人間の食べ物は口にしない。
「偏食はダメよ、ライラちゃん。臨界魔女の呪いだって、ちゃんとご飯食べて栄養とれば治ることあるんだから」
よく通るすっきりした声がライラをたしなめた。
違うんです。この幼女のピンクは全然、そんなんじゃないんです。
魔女は魔女でもこれは臨界魔女の呪いなんかではない。ましてや飯食って寝れば治るような単純なものでもない。
エティに嘘をついていることに申しわけなくなりながらも、セージはライラに無声音で耳打ちした。正面二人の視線が痛い。
「食わなきゃ怪しまれるだろうが」
「そこをうまい言いわけ考えろと言っているのです」
「なんでおれが」
「黙れ下僕」
話にならない。いぶかしむような視線が刺さる。セージは焦った。
「スープ飲むくらいしとけって! ちょうどトマトスープっぽいし似たようなもんだろ」
「ほう? 言いましたね? では明日からおまえの吸血鬼としての食育を開始しても差し支えありませんね」
差し支え大アリだが、ひとまず了承しておいた。やむを得まい緊急措置だ。心配そうな、やっぱり怪しむような二対の視線にぎこちない会釈をかえしてセージは姿勢を正した。隣でライラがそろそろと銀色に光る匙を取り上げる。無言。緊張の面持ち。つられてその場にいる全員が静まり返り、ピンクの幼女の一挙手一投足を注視した。
小さな手が推定トマトスープをひとさじすくい、口へ運ぶ。桜色の唇をわずかに赤く染め、口に含んだスープを細い喉が飲み下すまでをじっと見つめた。
沈黙を破ったのは安堵のため息ではなかった。
「ら、ライラちゃん――!? どうしたの?」
料理の作り手であるレオの動揺の声。
動揺したのはレオだけではなかった。エティはもちろん、セージだってそうだ。
「ライラ……?」
ぽたり、ぽたりとクロスに落ちる透明な雫。
それはきっと演技なんかではなかった。
ライラは泣いていた。
「もしかして辛かった? ごめん、ぼく、いつもと変わらない味付けで――」
「違います」
ライラはうわずった声でレオを遮り、袖で涙のあふれる目をこすった。
「違います。違うのです。ぜんぜん――まったく、そうではないのです。ただ、私、すごく、とってもおいしくて、ちゃんと味がして、すごくおいしくて――」
その日、ヒナギク亭の夕餉はきれいさっぱり完食された。
次回、「少年よ、仕事を探せ」
10/25までに更新できればと思います。




