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プロローグ:凍てつく白銀の地、氷霧を纏う館にて

かつて彼女は希望を持っていた。

 古びた書物と骨董品で溢れかえる館の主の書斎の窓は暗幕に一切の光を拒んでいるはずなのに、不思議と幻想的に淡く煌めきに彩られていた。おおよそ現実とは程遠いその空間は、不実の今を嘆くよりも未到の理想を語るにおあつらえ向きだ。


「ね、千夜一夜物語って知ってる?」


 星屑の光を撒き散らし、はつらつと理知に澄んだ声が問いかけた。


「知らないな。人間のはやりごとには興味はないから」


 対して答える声は貴さを湛えて冷ややかだ。


「はやりごとじゃないさ。最近発掘された古書。でも、知らないか。アンタなら知ってると思ったのに。幾百年の時を生きたアンタなら」


 うら若い少女の声を不満に尖らせるも、声の主はとっくに少女の齢を超えている。しかしそれを彼女の麗らかな見た目から判断できる者はいるまい。

 主の書斎にしては狭い間取りに不釣り合いな大きすぎる机を挟んで二人は相対している。

 暗幕の張られた窓を背に、夜闇の黒を纏い深く椅子に座るあでやかな乙女こそはこの館の主だ。炎を宿したように煌々と輝く瞳を縁取る長い睫毛は、時折花の蜜を吸う蝶の翅のごとく淑やかに羽ばたいている。

 相対する館の訪問者は星屑の魔女だ。稲妻のように波打つ金色の髪は星の光を宿して神々しいほどに輝き、青金石を思わせる満天の夜空を映した深い青の瞳は叡智と希望を湛えて瞬いた。


「かつてこの世は理想郷だった」


 唐突に語りだす魔女を主は幾度認めたことか。これはもはや魔女の悪癖のようなものだ。この話をしないとこの魔女は主題に入れない。女主は鬱屈に目を伏せ、この世界を支配する神話の続きを聞いた。


「人間は神の与えし試練を乗り越え、やがてひとつに統一された。同じ言葉を話し、同じ概念を信仰し、共通の理想を掲げた。そうして幾百億の人間は発展に進歩を重ね、幾度もの特異点を突破し神へと近づきつつあった。世界を創り変えようとしていた。しかしあるとき、人間は失敗を犯した! ――そう、我々人間は自らが生み出した新たな生命を制御しきれなかったのだ。それが何かわかるかね?」


 館の主は退屈に欠伸を噛み殺しながら答えた。


「無限の灰色」


 魔女は満足そうに口の端を横に引いて深く頷いた。


「そう、無限の灰色。大地を多い尽くすほどに広がる灰色に人類は存続を脅かされることになった。新たな生命は旧き生命を食らう侵略の灰色となったんだ。そこで我ら人間は灰色の大地から逃れるべく――」


 魔女が主に片手を差し出し続きを促す。人の世で学者として認められて以来、この魔女の講義式の弁舌には辟易する。人間社会における精霊魔女復権に多大なる貢献を果たしたこの女は、昔から遠慮というものを知らなかった。


「天を刺し貫く無機の塔を建てた、だろう」


「その表現はいささか退屈がすぎるね。我々人間は神へと挑む塔を建てた! この方がぐっとこない?」


 主は鼻で笑って魔女の言葉を聞き流した。床に横たえられた黒の棺を指でなぞり今一度目を伏せる。

 魔女の声は神話を謳った。


「すべてが溶けあい混ざりあうはじまりの都市バビロン。そこに世界中の人々は結集し『バベルの塔』に安寧を求めた。灰色に怯えることのない日々を求めた。――しかしながら、神はそれを赦さなかった。一つとなり神にも届かん発展を遂げた人間を、自らの領域を侵されることを赦さなかった。……そうしてこの世界は、人は再び分かたれた」


 神話とは、創作の起源である。

 想像され、記され、編纂されたこの世界の理不尽な仕組みを説明付けるための後付けの物語にすぎない。人間の、人間による、人間のためのプロパガンダの一環でしかない。

 数千年前の史実など、どこにも記録されていないのだから。


「幾百億の人は分かたれた。分かたれた人間は天譴(てんけん)に異形へと作り替えられ、異能を与えられた。異形となった者は言葉を奪われ心を失くし残る人間へと襲いかかった。――人の世は、悠久の昔にそうであったように再び戦火に包まれた。積み上げてきた平和も平等もそれを培うすべも失われ、異形に抗うことも許されず、人間はその数を極端に減らし洞穴に息を潜める暮らしを余儀なくされた。……しかし、我々は希望を捨てなかった! 人間は不撓不屈の魂を持つ叡知の生き物だ。絶望の底に光を見出だすことのできる能力を持っている。そうして人間は()()()()()()()()のだ。神の裁きに造り変えられてしまった世界を識って新たな文明を生み出し、今日の発展に至る」


「だが、この神話の筋書きには謎が残されている」


 促される前にいつもと同じ科白(セリフ)を言った。女主の機転に魔女はたいそうご満悦だ。


「その通りだ、炎獄の夜の女王よ。無限の灰色はどこに行った? 築いた平和を打ち崩した災禍の発端は数千年の間に塵となって消えたのか? ――答えは(ノー)だ。今の我々には想像もつかない超技術を持った人間を殲滅せんほどの異種族はどこから湧いて出た? 分かたれた人間の数で辻褄が合うのか?」


 青い瞳を爛々と輝かせ、魔女は勢いよく立ち上がった。座っていた椅子が後ろにすっ飛んで壁に激突するもお構いなしだ。大げさに手振り身振りを加えて口調はさらに熱を帯びてゆく。


「バベルの塔の神話はれっきとした史実だ。神の意思の結末を記した歴史書だ。神は人間を滅ぼすために再び人間を対立させんと変容させ、人間の技術の産物に人間への敵意を宿した! それが異種族の、神隷(ヒエラル)の正体だ! 神は実在する! 我ら人間に敵意と嫌悪を剥き出しにしてこの世の理に介入し、攪拌し、天上からこの地を、サニフェルミアを見下ろしている――」


 ここからだ。

 この魔女が異端者であるゆえんは。

 身一つで異種族の真祖の館に飛び込み長広舌をかます魔女の思想。

 ()()には未だ語られない、気の触れた理想の未来。


「人間は、神から挑戦状を叩きつけられた」


 バベルの神話以来、人間は異種族に虐げられ屠られ種の存続の危機まで追い詰められていた。

 やがて人間は異種族を恨み、憎み、唾棄すべき不俱戴天の仇とした。

 それが今日まで常識として大手を振って歩く世界で、この女は。


「おまえたちはけしてひとつになることはできないのだと! 神は天上から嘲っている! 一生、終わることのない戦乱のさなかに身を沈めろと蔑みに満ちた目で! ――だから、あっと言わせてやろう。もう一度、かつてこの世界がそうであったように。すべての異なる者たちが手を取り合う世界を作り上げよう。雲の上で胡坐かいてる神に目にもの見せてやろう。この世界に平和を導いてやろうじゃないか」


 神話の時代から蔓延る憎悪や怨念を一掃して、その手握る剣を花に持ち替えさせようとしている。

 神の造り変えたこの世界を、もう一度人の手で造り変えようとしている。

 馬鹿げている。

 彼女はこの世界における異端者だ。

 ――でも、嫌いではないのだ。

 湧き上がる興味を、綻ぶ口元を悟られないように、女主はそっと暗幕に覆われた窓を向く。その視界の外で、この世界(サニフェルミア)で最も偉大な魔女と称される星屑の魔女は草原を吹く春風の声で朗々と宣言した。



「さあ――これから世界を救う話をしよう!」

次回、「最強幼女とエセ少年将校」


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