小噺「紅月の記憶」
大剣が一度降り下ろされる毎に、ぐちゃぐちゃの肉と布の塊になったそれを、更に刻んでいく巨大な影。
その凄惨な光景を見て、恐れおののき逃げ惑う人達。
「こ……この、化物め……!」
神官か、はたまた司祭とおぼしき姿の男が叫び、魔法をその存在に向けて放つ。
しかし_____全く効いた様子の無いそれは攻撃してきた司祭に振り向き、その紅い両眼から血のような涙を流しながら手にした黒い大剣を振りかぶって_____。
『……これは』
「はぁ、はぁ……くそ、間に合わなかった……か」
ガルナディール神聖帝国は、強固な白竜石の石材を城や城壁に使っている為に、他の国からはその壮麗さから『月光の具現化』とも言われている。
しかし_____彼の前にそびえたつのは、そんな様子など跡形も無い惨状だった。
城壁は全体の80%が崩れてしまっているのだろう、酷い有り様だ。
そして、その崩れた場所から見える城下街。
_____原型を留めない死体があちこちに転がり、夥しい量の血で石畳は紅く染まっている。
狂った民は互いに殺し合い、凌辱し、呆然と立ち止まり、そして自ら命を絶ってゆく。
『相応の罰、と言った所か』
黒の長ズボンと同色の神官のローブを上半身裸で羽織り、巨大な十字架を斜めに背負う彼の横で、口を開く上半身のみの人影。
「神官達にとっては、な。ダハーカさんよ」
『違いない。奴等が払うべき敬意を払えば、こうはならなかったろうに』
ダハーカ、と呼ばれた竜人の人影は溜め息を吐くと、瞬間的に後ろを振り向き、突き出した手から黒い雷撃を放つ。
血の匂いで集まって来ていたらしい、彼等に襲いかかろうとしていた狼の群れは、瞬く間に黒塵と化した。
「ダハーカさんも手加減しないねえ」
彼もまた、自らが手にした巨大な十字架を上空から来た鳥の魔獣に向けて思いきり良く放り投げた。
その十字架に少しでも触れた瞬間、魔獣達がズタズタの肉塊となってボタボタと落下していく。
それでも尚残った個体は、その嘴で彼の鱗を抉る前に大量の十字架に串刺しになった。
手で持つのに丁度良い程度の大きさに、十字の太さが2センチ程度、厚さ4ミリのその大量の十字架は変形もせず易々と魔獣の皮を貫いていき、十数秒後には死骸と十字架の山が彼らの前に積み上がっていた。
『これでも殺戮は好まぬ。……それに、お前の方が残虐ではないか、ナハト』
「生憎、襲って来た敵にかける情けなんて殆ど持ち合わせちゃいないんでね」
そう言ってその山に右手を掲げ、ものの半秒で全ての十字架を亜空間に収納する。
そして回収する直前に戻ってきた巨大な十字架を易々とキャッチすると、背中に背負ってまた歩き始めた。
「……なので……であるから……」
何かを呟き、ぐるぐると同じ場所を回る一人の司祭。
それに、不意に声が掛けられた。
「よう、やっぱり復職してたんだなお前」
「……!!!」
その司祭は先程まで無表情だった顔に明らかに驚愕の色を、次いで凶悪な憎悪の色を浮かべた
「……貴様ぁぁぁぁァァッ!!?」
「……へえ、狂ってても分かるんだ。俺のこと」
奇声を発しながら突き刺して来た短剣を亜空間から出した小さな十字架で受け止めつつ、ニヤリと笑いながら呟く。
「まあ、こんな状態ならもう容赦しなくて済む_____」
瞬間。
危険を感じ、咄嗟に跳び退ったナハトが直前までいた場所に、轟音と共に黒い大剣が叩きつけられていた。
「……ったく、待たんか……!」
それとほぼ同時に聞こえて来る、人の声。_____ナハトには随分馴染みのある声だった。
「ラディウスよ、そやつに手を出すな!」
その声に引き留められ、黒い燐光を纏う影がピクッと反応する。
「……エストレモール、何故止めるのだ」
「そやつはナハトじゃ、お主がそやつを殺めれば、主の人格を壊してしまうぞ!!」
「……『私』が知った事では無い」
“それ”はそう言うと、黒い大剣を無造作に降りかざす。
「『私』の願いだ、貴様に罪は無いが……悪いな」
そして呆然としているナハトに回避不能な速度で無慈悲に剣は降り下ろされ、
「その台詞、そのまま返すぜ」
不敵に笑うナハトが手にした巨大な十字架に、いとも容易く止められていた。
「漆黒の獣神さんよ」
目も眩む程の純白に染まるナハトが、問い掛ける。
「おいたをするなら……容赦しねえぜ」
「……ほう、唯の竜人の子が神の力を持つか……面白い」
「おっと、舐めない方が良いぜ?こちとら命が懸かってるんだからな」
その瞬間十字架が跳ね上がって大剣を弾き、体勢を崩しかけたラディウスにナハトが十字架の鉄槌を叩き込んだ。
しかしその切っ先が当たる前に後方に回避され、お返しとばかりに大剣が黒い魔力を宿し巨大化してナハトの首をすっ飛ばそうと迫る。
しかし、完全にナハトの体を捉えたように見えた大剣は空を切り、ナハト自身はいつの間にか間合いの外に移動していた。_____幻影だ。
「そんな攻撃当たんねえよ」
急に脚に痛みを感じたラディウスが下を見ると、50cm程の十字架が足の甲に見事に突き刺さっていた。
「くっ……!!」
「おやぁ?さっきまでの威勢はどうしたのかなあ?」
「ぬかせ!!」
全方位に魔力の爆発を起こしナハトを吹き飛ばそうとするが、体がぶれて見え、すぐに戻るだけで何も起こらない。
彼の体は揺らめき、全ての攻撃を回避し続け、そして着実にラディウスの体に傷を増やして行く。___その姿は、正に閃光の如く。
「くそっ、こんな馬鹿げた奴にこの私が遅れを取るなど……!!」
「有り得ない、か?」
その直後、ラディウスの額に黒い、小さな宝玉が当たった。
それはラディウスの眼前に浮かぶと、彼から『何か』を吸い取り、吸収し終えるとそのまま地面に落ちて転がった。
同時にラディウスの体が光に包まれ、純白に___両腕の肘から先は黒く肥大したままだが___変化して、その場に倒れてしまった。
「悪いけどな、今のラディウスにお前は必要無ぇんだよ」
黒い宝玉を拾い上げ、彼はそう呟いた。
「……もう行ってしまうのか?薄情な奴じゃの」
「今の彼奴には俺は会わない方が良いだろうね、あれのせいで記憶が暫く消えてるだろうし」
「ふん、臆病な奴じゃ」
そう言って睨み付けてくるエストレモール。
しかし、ナハトはその台詞に若干の同情が含まれている事に気が付いた。
(エストレの爺さん……悪いな)
「生憎、臆病じゃないと生きてけないんでね。体脆いし」
『それを承知の上で契約を結んだのだろう、ナハト』
ダハーカが実体化し、ナハトに指摘する。
「お主……邪神と契約しておるのか」
「ダハーカだけじゃ無いぜ?……セレネさん?」
『……』
彼の呼び掛けに済まなさそうな顔で実体化すると、エストレは驚いた表情を見せた。
『……彼は、私と……相反する属性を持つ彼、ダハーカの加護を受けているのです。
なので、その体は非常に脆い……ナハトが竜人の中でも特に鱗の堅い種族とは言え、並の獣人程度にまで落ちているのは事実ですね……』
的確な説明をするセレネ。
『……そういう事だ、容赦してやってくれないだろうか』
「……ふん、邪神なぞに頼まれる筋合いなど無いわい」
『私からもお願い出来ませんか?元はと言えば、私の信者、それも司祭を良く戒めていなかったのが原因ですから』
「あの追放の件、セレネさんは悪くないって言ったじゃん……」
「……まさか、お主……」
ここでエストレは理解した。
否、納得した。
何故、人気も高く実績も伴う、やましい事の一つも無いナハトが『素行の悪さ』だけで追放処分を受けてしまったのか。
___エストレも良く知る、『彼ら=司祭』の陰謀だったのだ。
聖女を虐待している彼等にとって、そういう輩は邪魔者以外の何者でも無い。
だとすれば、殺すか追放するか幽閉するかの3択だろう。
ナハトは類稀な実力者だ。殺すのはもっての他、幽閉も余り効果が無い。だとすれば___。
「……止してくれよ、そんな目で見るの」
ここでハッと我に返り、自分がナハトを憐れみの視線で見ていた事に気が付き、後悔の念が押し寄せて来た。
「……すまぬ」
「良いって、爺さんなら仕方ないさ。優しいからな」
「……ふん、減らず口を」
ナハトやラディウスはこれからも、もしかすると永久に、自身に課せられた楔に耐え、生きて行くのだろう。
___本当はとても優しいエストレはそう考えると、彼の心が少し痛んだ。
「ん……」
目を開けると、沈み行く太陽が空を赤く染め、地平に輝いていた。___どうやら寝てしまっていたようだ。体を起こし、軽く伸びをする。
「ナハト叔父上」
「ラディウスか。どしたの?」
後ろに振り向くと、美しい翠の瞳にこれ以上無いほど白い鱗、そして細身でプロポーションの良い体を持つラディウスが立って居た。___尚、ラディウスは男である。
「探してたんだぞ、色々な場所も見たのに居なかったから大変だったし」
「本当か?そりゃすまんな」
そう言ってラディウスの頭を撫でるナハト。
「……晩御飯奢ってくれるなら許す」
「御安い御用さ」
多分、もう暫くはラディウスの成長を見る事が出来るだろう。
それだけで、ナハトは嬉しかった。