友達
少し日があいてしまいました。
料理スキルを上げる。
そう決めてから、私の心はかなり穏やかになっていた。
幸翔に子供は要らない宣言されて以降、どうして幸翔は私の気持ちをわかってくれないの、どうしたら幸翔が私の言う通りになるだろう、どうして、どうして、とそればかり思っていた。
子供がほしい、この願いは、私ひとりで叶えることなど不可能なのに、どうして協力してくれないの、と。
ずっと、出口の見えないトンネルの中にいるみたいだった。
それが、「無事に子供を妊娠、出産できるように」料理の腕を上げるという目的ができたことで、間接的にせよ、自分の希望を叶えるために行動していると感じられるようになり、精神的にかなり落ち着いたのだ。
あと、自分のことを棚に上げて人(というか幸翔)のことを悪く言いすぎてたなと反省した。
今日も帰ったら、母と一緒に洗濯物をたたんで、お風呂掃除して、夕飯を一緒に作ろう。
「かーやっ、かーえろーっ」
「香耶ちゃん、どうしたの? 何かぼーっとしてない?」
さっちゃんと朋ちゃんに話しかけられて、はっとした。
いけない、まだ学校、それも教室だった。
「うん、帰ろう。ありがと朋ちゃん、大丈夫、何でもないよ」
笑顔で答えて、3人連なって歩く。
さっちゃんは、元気で明るくて、活発な女の子。スポーツ、特にバスケが好きで、おしゃれも大好き。小学1、2年で一緒のクラスになって、3、4年は別で、5年でまた一緒になったから、そこそこつき合いは長い。
朋ちゃんは、普段はおとなしめだけれど、言う時ははっきり言う女の子。音楽が好き。5年の4月に転入してきた子で、転入初日にさっちゃんが彼女にいっぱい話しかけたことがきっかけで、仲良くなった。
大人になるにつれて、多少は改善されたと思うけれど、私は当時、内向的な性格だったし、スポーツも嫌いだし、音楽もテレビをあまり観ないから興味なかったし、自分に自信がなかったから自分を着飾ることに抵抗があって、おしゃれも興味なかった。好きなのは、本を読むことと物語を書くことだけ。
何で友達やってんだ、と不思議になるくらい、バラバラな性格の私達。でも、自分の知らない世界を知っている彼女達を、当時の私は尊敬していた。
でも結局、6年のクラス替えでは別になってしまうし、それ以降、この3人で遊ぶことも、なくなってしまうのだけど。
と、さっちゃんが提案した。
「ねえ香耶、朋子。今日、家に遊びに来ないっ?」
「行きた~い。香耶ちゃんは? 予定空いてる?」
遊びに、かぁ。タイムスリップ直後は、混乱していてそれどころじゃなかったし、身体は小学生とは言え、中身は28歳だから何となく話を合わせるのしんどくて、学校では一緒にいても、放課後は遊ぼうと誘われても、断ってきた。
でも、自分の学生時代を振り返ってみると、小学校、中学校、高校いずれも、友達は少なかったし、交友関係で苦労することも多かった。
学生時代は、何かと行事や班活動が多い。クラス替えの度に、同じクラスに友達がいるか心配してたし、中学、高校の時なんか、せっかくの遠足や修学旅行で、ひとりあぶれてしまって、無理やり人数の少ない班に入れてもらって、気まずい思いをしたこともある。仲良しメンバーで楽しそうにしているクラスメイト達の後を、ちょっと離れてついていく時のやりきれなさと言ったら!
いくら28歳でも、いくら二度目の学生生活でも、ぼっちは勘弁したい。多少無理をして周りに合わせてでも、孤立化は断固阻止!
だから、多少面倒くさくても、さっちゃんと朋ちゃんとの仲は大切にしたい。
そうと決まれば、予定変更。今日はお手伝いをお休みして、さっちゃん達と遊ぶことに決定。
「うん、行きたい」
と答えると、2人とも手を叩いて喜んでくれる。
「じゃ、15時45分に家に集合ね」
「うん!」
「わかった」
これを機に、幸翔と亡くした弥生ちゃんのことばかりではなくて、どのように人生をやり直していくか考えよう。
さっちゃんや朋ちゃんや、クラスメイト達を、お子ちゃまと思って距離を置くんじゃなくて、きちんと向き合おう。
ただ、2人とばかり仲良くしていると、どうしても他のクラスメイト達と仲良くする機会がないのが、心配ではあるかな。
小学校でも中学校でも、毎年クラス替えがあった。小学校は3クラス、中学校は4クラスあり、友達の少なかった私は、一緒に過ごす友達がいなくて、毎年友達作りに苦労した。
中学の時は、うちの小学校ともうひとつ別の小学校からも生徒が集まるため、人数が増えた分、さらにクラス替えが恐怖となった。
今のうちからなるべくたくさん友達を作って、クラス替えのたびにアワアワする生活からおさらばする。そのために、さっちゃん、朋ちゃんとの時間を大切にしつつも、なるべく多くのクラスメイトとたくさん関わりを持たなければ。
でも、休み時間も移動教室もトイレも下校も、2人と一緒の私。さっちゃんと朋ちゃん以外のクラスメイトとの関わりを増やすには、どうしたら良いんだろう……。
と、私は数十メートル先に、クラスメイトの吉岡さんがいることに気づいた。うつむき加減で、ひとりで横断歩道を渡っている。
吉岡美桜花さんは、茶髪で目が大きい、スレンダーな女の子。4年生の時、うちの学校に転入してきた。髪を染めている子なんかいなかったうちの小学校で唯一の栗色の髪は、当時すごく悪目立ちしていた。今じゃ小学生でも染髪は珍しくないみたいだけどね。彼女とは、5年で初めて同じクラスになったのだけど、ろくに関わりを持たないうちに夏には転校してしまったから、性格はよく知らない。
これは、話しかけるチャンスなのでは……?
そう思って、さっちゃんと朋ちゃんに
「ねえ、あそこにいるの、吉岡さんじゃない?」
と言ったら、2人は
「あ、ヤだほんと、不良の吉岡じゃんっ」
「関わらない方が良いよ、香耶ちゃん」
と、露骨に顔をしかめたので、私はびっくりしてしまった。
「えっ、さっちゃんも朋ちゃんも、吉岡さんと話したことあるの? いつの間に! 何で不良だって思うの?」
私が訊くと、
「だって、あんな明るい茶色の髪、染めてるにきまってるじゃんっ」
「そうそう。話したことないけど、あの人遅刻と早退もしょっちゅうだし、不良に決まってるよ」
と2人共当然のように言う。
私が通っていたのは、地元の公立の小学校だ。ちなみに、中学も高校もだけど。
お坊ちゃま、お嬢様学校でもないし、上流階級の住む地域でもない。
中学生になると皆当然のようにスカートを折って短くし、パーマや矯正をかけたり。高校生になると、髪を茶色や金色に染めたり。もちろん、校則で禁止されていたけれど、大多数の生徒が隠れてそういうことをしていた。
そういう地域なのに、小学生だと茶髪ではクラスから距離を置かれてしまう立場らしい。
吉岡さんは、確かに明るめの茶色い髪をしているけれど、服装もおとなしめだし、不良ではないと思うんだけどな。
あわよくば吉岡さんも誘って4人で遊ぼうと思っていたのだが、あまりの2人の拒否感に、断念する。
そうこうしているうちに、いつの間にか吉岡さんの姿は見当たらなくなってしまった。
よし、今度教室で、声をかけてみよう。
「香耶ちゃん、いらっしゃい。朋子ちゃんも、もう来てるよ」
さっちゃんちに着くと、さっちゃんママが出迎えてくれた。
「お邪魔します」
さっちゃんママにリビングに通される。と、1歳くらいの赤ちゃんが遊んでいるのが目に飛び込んできて、私は固まってしまった。
ソファに座って、手渡されるおもちゃを、つかんでは落っことし、つかんでは投げて、たまに口に入れて、ご機嫌な赤ちゃん。
この赤ちゃんは誰か。わかっている。さっちゃんの弟だ。過去にも何度か会ったことがある。
「陽太だよ。9ヶ月。かわいいでしょ?」
と、自慢げに言うさっちゃん。
「ほんと、かわいいよねえ」
と朋ちゃんも言う。
どうやら、さっちゃんママが私を出迎えている間、さっちゃんと朋ちゃんで、陽太くんの遊び相手をしていたらしい。
「う、うん、かわいいねえ」
ようやく我に返った私は、陽太くんに近づいた。
「だーあっ、うりゅう!」
笑顔で私におもちゃを差し出してくる、陽太くん。何これもう超かわいい。
流産以来、赤ちゃんや幼児を見るのが辛くて引きこもった。
3ヶ月くらいで、いつまでも引きこもっているわけにもいかなくなって、近所に出かけるようになった。
タイムスリップした頃は、流産してから9ヶ月も経っていたので、子供を見ても辛いとは思わなくなっていた。
子供を持つお母さんが羨ましいし、子供はかわいいので、つい見てはしまうけれど、あんまり見ていると変質者みたいなので、自重できるようにもなっていた。
それが、タイムスリップしておよそ1ヶ月。
ほんの1ヶ月、赤ちゃんを見る機会がなかっただけで、私は赤ちゃんを見たら固まってしまう身体に戻ってしまったらしい。
自分にほとほと呆れながらも、洗面所で手を洗わせてもらってから、陽太くんと遊ぶ。
陽太くんはまだ歩けないけれど、ハイハイはすっごく速いので、キッチンやお風呂場に行かないよう、よーく見ていないといけない。
初めて会う私や朋ちゃんにも、人見知りせず笑顔をふりまく陽太くんに、私達はすっかりめろめろになっていた。
結局、帰る時間になるまで、私とさっちゃんと朋ちゃんは、陽太くんと遊び続けたのだった。
読んでいただきありがとうございました。