料理スキル
でも、今日幸翔の実家に行ってみて、気づいたことがある。
まず、やっぱり私は、幸翔のことが好きだということ。
幸翔との結婚も、幸翔との子供も、どっちも諦められない。幸翔が子供がほしいと言い出すように、彼を変えてみせる。
もうひとつは、幸翔が子供を望まない理由のひとつとして、単純に、まだ産まれてなかったとはいえ、初めての子を亡くして、ショックが大きかったから、というのがあるんじゃないかということ。
流産したばかりの頃、私の前では明るくふるまっていたけれど、幸翔が隠れてひとりで涙を流していたのを、私は知っている。
私だって辛かったが、流産という出来事は幸翔にだって辛いことだっただろう。
私は仕事を辞めていたので、好きなだけ泣き暮らしていれば良かったが、幸翔は仕事に行かなくてはいけなかったわけだし。
また、流産より前の話だが、私達が結婚する数ヶ月前に、幸翔の実家で飼っていた愛犬クロちゃんが老衰で亡くなり、幸翔はひどく嘆き悲しんでいたのだが、その後私達が結婚してしばらく経った頃、幸翔の実家では新たに子犬を飼い始めた。そのことは、クロちゃんのことをさっさと忘れて、次の犬を飼うなんて! と幸翔にとってはショックだったようだ。
クロちゃんの時の幸翔の両親と同じように、私が、弥生ちゃんを亡くしたのにすぐまた次の子供がほしいと言ったことで、ショックを受けたのかもしれない。
初めて幸翔に、子供がほしくないと言われたときは、正直ショックが大きすぎて頭が真っ白になっていたし、「自分の遺伝子を残したくない」とか「香耶がそんなに子供がほしい理由って何?」という言葉が強烈すぎて、他の理由なんて考えられなかった。
でも、よく考えたら、理由なんてひとつとは限らないのだ。
弥生ちゃんへの愛情から、喪に服すという意味で、子供を拒否している可能性はあると思えた。
最後に、大学生の時までなんて悠長なことを言ってないで、なるべく早く、少なくとも高校生の頃までには幸翔と出会う必要がある、ということだ。
幸翔に子供を望んでもらうためであり、子供を無事に産むためでもあり、何より、幸翔自身の健康のためでもある。
というのも、私は結婚してから知ったのだが、幸翔は子供の頃から、ものすごく身体に悪い生活をしていたことを思い出したのだ。
幸翔はとにかく寝ない。
結婚後に義母から聞いた話だが、小学生の頃から、親から何度注意されても、夜中の1時、2時まで起きていることがしょっちゅうだったらしい。
子供は21時就寝! が絶対だったうちの実家からは、とてもとても考えられないことだ。
中学生になっても、高校生になっても、大学生になっても、社会人になっても、睡眠時間の短さは変わらなかったらしく、結婚してからも、終電ギリギリで仕事から帰ってきて、疲れ切っているはずなのに、ご飯も食べずお風呂も入らず眠りもせず、だらだらとパソコンをいじっていることが、よくあった。
それでも、本人がぐっすり眠れていて睡眠時間が足りているなら、私も何も言わないが、次の日に全然起きれないことも多々あり、とても休養が足りているとは思えなかった。
また、幸翔は栄養への関心が薄い。
高校生くらいの頃から、ポテチでお腹いっぱいにするとか、お金がもったいないから毎日バナナしか食べないとか、作るのが面倒くさいから食事を抜くとか、そういうことを平気でやっていたらしい。
私とつき合っていた頃は、デートでも普通に食べていたし、結婚してからは私が作ったご飯を食べてはいた。それでも、幸翔は朝ご飯は食べないし、夕飯も帰りがあまりに遅いと食べないことが多い。
だからと言って、会社でたらふく食べているのかと言うと、そんなこともなく、昼ご飯を抜くのはしょっちゅうで、コーヒーを飲んだりチョコレートをつまんだりして空腹を紛らわせて仕事、なんてこともよくあるらしい。
そんな生活をしているからか、幸翔はしょっちゅう、肩が痛いだの首が痛いだの、立ちくらみがひどいだの、脚が重いだの、手先足先が冷えるだの言っていた。冷え性だなんてまるで女子!
義母が貧血なので、幸翔は遺伝だと言っていたけれど、ぜっっっっっったいに、幸翔本人の生活習慣に因るものも大きいと思う。
私から見たら、幸翔は立派な貧血だし低血圧でもあるし、自律神経が乱れに乱れまくっていると思う。女子か!
体質が改善されれば、幸翔の健康のためにも良い。それに、父となる幸翔と母となる私の2人共の身体が健康になれば、より子供を授かりやすく、流産しにくくもなるだろう。
冷えとか貧血とか、幸翔の症状って、不妊に悩む女性の持つ悩みとして、よく見るものだし。
体調が良い方が、前向きな気持ちになって、幸翔が子供を望みやすくなる気がするし。
幸翔と出会うには、私が大学2年生、幸翔が大学1年生の時に、過去と同じコンビニでアルバイトするしか、今のところ方法がない。
でも、幸翔を健康にするためには、それでは遅い。
幸翔があまり家でご飯を食べなくなったのは、高校生の頃。16歳から不摂生な生活を始めたとして、結婚した時幸翔は 26歳だから、およそ10年間、不健康な身体を維持していたことになる。
結婚してからは、私がご飯を作っていたから、幸翔も夕飯は家で食べていたけど、だからと言って、10年かけて作り上げた不健康な身体を、たかだか1年くらいで健康にできるとは思えないし。
朝ご飯はどれだけ私が言っても食べなかったし、睡眠時間の短さは仕事の都合もあってどうにもならなかったし。
でも、子供のうちからなら、頑固な幸翔も大人の時より素直かもしれない。だから、どうにかして自然に、少年時代の幸翔と知り合いたい。
幸翔と知り合うまでに、私の料理スキルを今よりも爆上げしておく必要があるけれど。
何しろ、28歳のくせして、それも一応1年以上主婦をしていたくせに、私の料理スキルは散々たるものだ。
包丁を持つ手は、見ている人をハラハラさせるほど危なっかしい。レシピを見ないで作れる料理の数も両手で数えられるくらい。野菜が充分に煮えてないとか、肉を焼き過ぎて焦がすとか、その手の失敗は1度や2度じゃすまない。味付けが濃すぎたり薄すぎたりするのなんか、日常茶飯事。当然、魚をさばくことなんかできないから、買う魚は切り身ばかりだ。
自身の料理スキルを振り返ると、いたたまれない。幸翔には、本当に申し訳なくなってくる。
……でも、もっと幸翔が家でご飯を食べてくれてれば、私だってもっと料理に対してやる気が出たと思うのだ。
失敗した時に限って、証拠隠滅する暇もないくらい早く帰って来たりするし。頑張って作って、「やった、成功だ!」って時に限って、「夕飯いらない」とか言われるし。
だから、私の料理へのモチベーションが低くなってしまうのも、致し方ないと思うのだ。
だって私、料理の作業そのものは何にも面白いと思わないし。なぜ料理をするかって、食べてくれる人が喜んでくれる顔を見たいから、ただそれだけだし。あ、食費節約もあるか。
はっ、もしかして、あまりに私の料理がまずいから、幸翔はそんな態度取るのかな。
ありえる!
自分の料理の下手さに恐怖を感じ、また、自分が幸翔を選んでも、幸翔が今度も私を選ぶとは限らないことに今更気づいた私は、次の日から、熱心に母の手伝いをするようにした。
忙しい母を手伝うため。
幸翔に捨てられないようにするため。
結婚後、あまりに家事ができなくて苦労するのをふせぐため。
私と幸翔の身体を健康にし、無事に妊娠、出産をするため。
何にも考えていなかった過去の自分と違って、料理スキル向上へのモチベーションを上げる理由が、こんなにある。
動機づけ、大切である。
幸翔が子供を望まない理由のひとつである、「自分の遺伝子を残したくない」については、正直お手上げ、どうしたら良いかわからないけれど、料理力アップが、間接的にせよ、「幸翔と結婚、そして子供!」という目的に貢献してくれることを願う。
母は、私に手伝いをさせるのはあまり気が進まなかったようだけど、毎日のように料理以外のお手伝いをやり、料理もお手伝いしたいとアピールしまくった結果、やっと認められた。
まあ、小学5年生と言えば、夏休みに林間学校があるので、皆で野外活動(カレー作り)をする時に、あまりにも娘が使い物にならなかったら大変、と母も思ったのかもしれない。
そう言えば、28歳主婦だったくせして、未だにピーラーを使わないとジャガイモの皮をむけない私だけれど、包丁しかない林間学校、過去の自分はどうしてたんだろう?
というわけで、さっそく私は、夕飯を作る母を手伝ってキッチンに立っていた。
「香耶、レタスちぎってくれた?」
「うん、終わったよ」
「ありがとう。じゃあ、次はきゅうりを輪切りね」
「はーい」
今日のメニューは、ハンバーグ、サラダ、大学芋、ナスの煮びたし、大根の味噌汁、冷ややっこ、デザートのキウイ。
私は母の指示に従い、ひたすら切る係だ。ちぎり終えたレタスの水気を切って冷蔵庫に入れた後、きゅうりを薄い輪切りに、キャベツを包丁で千切りにする。
最初は、結婚後やっていたように、キャベツもきゅうりもピーラーでやろうと思ったのだけれど、
「包丁も使わないと上手にならないよ」
と母に言われて、料理上達という自分の目標を思い出したので、包丁でトライ。
案の定、キャベツも千切りというより太切りだし、きゅうりもサラダに使うにしては妙に分厚すぎる輪切りになってしまって、母にも微妙な顔をされてしまったけれど、とにかく切り終える。
続いて、れんこんをピーラーで皮をむいて薄切りにし、酢水につける。酢水の量はよくわからんので、適当。ごめんなさい、でも結婚してからもずっとこうやっていたけど、ちゃんと変色を防げていたから、多分大丈夫。
これは素揚げしてサラダにするので、母に渡す。
続いて、これまたサラダ用のかぼちゃを薄切り。丸ごとではなく、4分の1サイズに切られたかぼちゃとは言え、生のままでは硬くて手を切りそうなので、切る前にレンジでチンをすることにする。
今回は薄切りだから、加熱時間は煮物の時より短い時間にしなくてはいけないのはわかるけど、何分やれば良いのかわからないので、レンジの扉をしょっちゅう開けては閉め開けては閉めしていたら、母に笑われてしまった。
母はいつもかぼちゃを生のまま切っているから、切る前に娘がレンジでチンするなどとは、思いもしなかったのだろう。
さて、トマトもサラダ用だけど、直前に切った方が汁気が出なくてすむので、とりあえず放置。冷蔵庫で、冷えていて下さい。
ブロッコリーは小房に分けて、母にパス。ゆでてもらうためだ。
続いて、大学芋用のさつまいもを乱切りにし、煮びたし用のナスを縦に4つ切りにし、味噌汁用の大根を細切りにし、冷ややっこの薬味用のネギを刻む。
「終わったよ」
「じゃあ、次はこれね」
母は大きめのボウルに、みじん切りの炒めた玉ねぎとひき肉、卵、牛乳、パン粉を入れ、塩こしょうを振ると、私にそのボウルを渡した。
「この玉ねぎはね、お母さんが前もって、炒めておいたものなの。冷たいひき肉とあったかい玉ねぎを一緒にしちゃうと、玉ねぎの熱でひき肉の脂が溶けちゃっておいしくなくなるし、ひき肉が傷みやすくなるのよ」
と教えてくれる母。姿は小学生だけど中身は28歳の私はすでに知っていたけど、当時の私が知っていたかは怪しいし、せっかく母が教えてくれているので、
「そうなんだぁ」
とうなずいておく。
「よーくこねて。粘り気が出るまでね。こねたら、ハンバーグの形にしてね」
「はーい」
ボウルの中身を粘り気が出るまでよくこねてから、楕円形にしていく。
「丸くしたら、右手から左手、左手から右手って、キャッチボールみたいにして」
「こんな感じ?」
「そうそう。そうやって空気を抜いておくと、焼いたときにハンバーグが割れたり、肉汁が出るのを防ぐから、おいしいハンバーグになるんだよ」
「へぇ~」
すでに知っているけど、初めて知ったような相槌をうちながら、はたと思った。
そう言えばタイムスリップ前にも、子供の頃にこうしてハンバーグの作り方を教わったような気がする。
母が教えてくれないって文句たれてたけど、当時だって、母はこうやって教えてくれていたんだなあ。
反省。
私がこねこねしている間に、大学芋とナスの煮びたしを完成させていた母は、フライパンに油を入れると、私が全てのたねを楕円形に成形するのを待たずに、できたものからどんどん焼き始めた。
何しろ、成人の握りこぶしくらいのサイズのハンバーグが14個。
うちは7人家族だし、父や祖母、私や弟はハンバーグなら2個食べたりするから、そのぐらいの数がないと足りない。
ぎちぎちでフライパンに並べても、最大で5個しか焼けないから、全てのハンバーグを焼くのに結構時間がかかってしまうのだ。
全てのたねを成形し終えて手を洗っていると、母から
「次は香耶が焼いてくれる? お母さんは、洗い物するから」
と言われたので、母と代わる。
「焼く前に、たねの真ん中にくぼみを作ってね」
「うん」
「中火で焼いて、焼けてきたなあって思ったら、ひっくり返してね。両面焼けたら弱火にして、フライパンに蓋をして」
「わかった」
母の作るハンバーグが大好きだったので、実家を出てからも同じものが食べたくて、結婚後よく作っていた。料理は苦手な私だけれど、ハンバーグは数少ないまともに作れる料理のひとつだ。
だから、焦がすこともなく、フライ返しでひっくり返す時に形を崩してしまうこともなく、残りのハンバーグを全て無事に焼くことができた。
「すごいじゃない、香耶、上手よ」
母が喜んでくれたので嬉しいけれど、まあ、実は28歳ですからねえ。ちょっと、罪悪感。
洗い物を終えた母がハンバーグ用ソースと大根の味噌汁を作り始めたので、私はサラダを完成させることにする。
トマトをくし形切り。本当は6つか8つに切りたかったのだけれど、手を切りそうで怖いので、大きめになっちゃうけど4つ切りに。レタスにキャベツ、きゅうり、ブロッコリー、揚げれんこん、揚げかぼちゃと一緒に盛りつけ。中央に缶詰のシーチキンを乗せて完成。と、母が
「これも使って!」
とゆで卵を渡してきたので、輪切りにして散らす。本当はオシャレな飾り切りができたら良いのだろうけど、そんな技術はないので、挑戦する前から諦めた。輪切りも良いものだよ。黄身なし部分ができちゃったけど。
サラダは冷蔵庫で冷やしておくことにして、デザートのキウイを横半分に切っていく。
うちはキウイはこうしてスプーンですくって食べるのが普通だったけど、幸翔の家では皮をむいて輪切りにして食べていたらしい。
結婚してから初めてキウイを出した時、幸翔に「何それ手抜き!」と言われたことを思いだす。
果物の切り方ひとつだって、家庭によってそれぞれよね。
そうこうしているうちに、ハンバーグと味噌汁が完成したようだ。
料理の大皿を並べ始めた母を手伝って、私も人数分のコップにペットボトルのお茶を注いだり、ご飯をよそったり。
全ての準備が整った。母の「ご飯ですよ」の声に、集まる家族達。
では、いただきます。
母はよく言っていた。
「作るのに疲れちゃって、食べる気なくなっちゃうのよ」
と。
昔から、他の家族と比べて明らかに食が細かった母。祖母や父は大食いだから、比べるのはおかしいけど、下手をすると小学生だった私達よりも食べない母。
当時は、どうして食べる気がなくなってしまうのかわからなかったけど、今ならわかる。
これは疲れるわ。
父や祖父母が、毎日同じメニューが続くのなんてあり得ないし、外食や店屋物やインスタントも好きじゃないという人達だったし、7人家族で年寄りも子供もいるから食の好みがバラバラな上に量も多いし、子供達は偏食だし、家が自営業だから朝昼晩三食欠かさずご飯を作らなければいけない日がほとんどだった。
だから、献立決定や買い物、後片づけも含めたら、1日の大半を食事の支度のために費やすことになる。
そりゃあ、食欲もなくなるってもんだ。
だいたい、ハンバーグ14個とか、毎日のようにやってたら、嫌にもなるよね。
幸翔どうこうを抜きにしても、母を手伝わなければ、と固く誓った1日だった。
読んでいただきありがとうございました。