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目が覚めたら小学生2

 うん、夢だな。こんな非現実的なこと、夢に違いない。

 やあね、私ったら。子供がほしい! って思いつめすぎて、こんな夢を見てるんだわ。


 そう自分に言い聞かせて、もう一度布団にもぐり、目をつぶった。夢の中で寝れば、現実で目が覚めるんじゃないかと期待して。


 結果、眠ることはできたけど、起きたら元に戻っているなんてことはなくて、世界は2000年4月のまま、6時に母に起こされ、学校へ行く支度をするよう言われただけだった。



 仕方がないので、とりあえず小学生として過ごすことにする。


 そのうち目が覚めるだろう。

 いやお願い、覚めてくれ。

 でもこのまま目が覚めないほうが、子供がほしくてたまらなくなったり、子供を望まない夫に不満を抱いたりしなくてすむのかな。

 そんなことを思いながら。


 朝食をすませ、歯を磨き、顔を洗う。

「今日」が何日かわからなくて、ちょっと不安だったのが、テレビのニュースと家族との会話で、4月17日の月曜日とわかり、ほっとする。


「お姉ちゃん、早く早くーっ」

「急いでっ、遅れちゃうよっ、お姉ちゃんっ」

小学1年生の妹と、小学3年生の弟にせかされ、私も懐かしのランドセルを背負い、家を出た。


 おい、とか、ねえ、ではなく、ちゃんと「お姉ちゃん」と呼ばれるのが嬉しい。途中で妹が、近所のワンちゃんに話しかけて足止めをくらったり、弟がかけっこをしようなんて言い出して、3人で走ったり、かなり自由すぎる登校だ。まあ、信号は守ってたけど。



 そんなこんなで、小学校にたどり着いた。教室に入るなり、

香耶(かや)ーっ、おはよっ」

「おはよう、香耶(かや)ちゃん」

関根紗月(せきねさつき)、さっちゃんと、中野朋子(なかのともこ)(とも)ちゃんが飛びついてきた。


 ああそうだ、この頃はこの2人といつも一緒にいたんだっけ。ま、さっちゃんとも(とも)ちゃんとも、中学卒業以来会ってないけど。


「ねえ香耶(かや)っ、あたし、続き書いてきたんだけど、読んでみてよっ」

「あ、わたしも持ってきたの。わたしのも読んで」

2人が私にそれぞれノートを差し出してきた。


 何のノートか、すぐにピンと来た。そして、あまりの懐かしさにテンションが上がってしまう。


 ノートの中身は、各々の自作の小説だ。当時、私は小説を書くことにハマっていて、もっと言うと、小説家になることを夢見ていて、仲良しのさっちゃんと(とも)ちゃんには、書いた小説を見せていた。


 すると、私の影響を受けた2人も、それぞれ小説を書くようになり、3人で見せ合いっこするようになったのだ。


 1ページでも書けば見せるルールだったが、時には途中で飽きちゃって、完結せずに打ち切り、なんてこともあった。でも楽しかったなあ。


 キーン、コーン、カーン、コーン! 鐘が鳴った。

 あ、ヤバい、私まだランドセル背負ったまま! てか、私の席どこ!?


 焦っていると、さっちゃんが

香耶(かや)ってば何ぼやぼやしてんのっ。早く席つかないとっ」

と手を引いてくれた。助かった! ありがとう、親友(当時)よ。


 急いで席について、ランドセルから教科書やらノートやらを引っ張り出しているところに、

「おはようございま~す。朝の会、始めますよー」

担任の国府田(こうだ)先生が入ってきた。


 国府田(こうだ)先生は、とっても穏やかな女の先生で、確かこの頃、定年間近だったはず。


 私は当時、勉強ができるわけでもなく、かと言って特技もなく、明るく活発なわけでもなく、ないない尽くしで、非常に自分に自信のない生徒だった。けれど、私の「本が好き」で「お話を書くのが好き」なところに、先生が価値を見出してくれたおかげで、当時の私は自分にちょっぴり自信を持つことができたのだ。


 それまでさっちゃん、(とも)ちゃんにしか見せていなかった小説をたまたま読んだ先生が、面白いから皆にも読んでもらったら? と言ってくれて、教室の本棚の一角に、私の書いた小説を置かせてくれたこともあった。


 本当にお世話になりました、先生。


「じゃあ、1時間目の授業を始めます。日直さん、号令お願いします」

あ、懐かしんでいる間に、朝の会が終わっていたらしい。周囲に合わせて、起立、礼、着席、お願いしまーす。


 小学5年生でどんな授業やってたかなんて、覚えてないけど、ま、何とかなるでしょ。小学生の私は、真面目だったはずだから、宿題とか持ち物とか、ちゃんとしてるって信じてるよ!


 こうして私は1日、小学生として過ごした。

 今日の授業は、国語、音楽、算数、社会、学活。習ったことなんか、全然覚えてなかったから、すごく新鮮な気持ちで授業を受けた。当時よりは、勉強することの重要性もありがたみもわかるので、そんなに苦にならない。算数は、昔も今も嫌いだけど。あ、体育もやりたくないわ、運動音痴だし。



 休み時間は、常にさっちゃんと(とも)ちゃんと行動した。トイレも、移動教室も、いつも一緒。女の子の集団行動、ほんとめんど……コホン、何でもないです。教室の場所とか覚えてないので、助かります。


 とにかく何をするにもいちいち懐かしくて、結構楽しく過ごした。

 日直とか、朝の会とか。連絡帳とか、自由帳とか。給食とか、掃除とか。図書館の本を借りる時に、バーコードで読み取るのではなく、貸出カードにいちいち名前を書くのとか。


 ちょいちょい、焦ることもあった。


 例えば、名前。「武田」は夫である幸翔(ゆきと)の苗字で、私の旧姓は「志村」という。


 小学生時代にタイムトリップしたわけだから、当然私は「志村」と呼ばれるわけだ。結婚してから約1年 4ヶ月、やっと「武田」に慣れたというのに、また「志村」に戻ってしまい、ややこしくて仕方がない。


 しかもうちのクラスには、武田という苗字の子がいるので(ただし、夫とは全く関係がない)、間違って「武田」に返事をしないようにも、気をつけなくてはならなかった。たまに間違えて返事しちゃってた。


 それに筆跡。小学生の頃とは、だいぶ変わってしまっているから、どのノートも今日書いたページには、それ以前のページと比べて別人が書いたように見える。あ、これ母が連絡帳を見た時とか、先生が宿題チェックした時、不審に思うかも。


 とまあ、色々不安もあるが、無事に1日を終えることができた。



 家に帰ると、母が洗濯物をたたんでいるところだった。

「おかえり、香耶(かや)

「ただいまぁ」

ランドセルを子供部屋に置き、手洗いうがいをする。


 ちなみにうちは、母が風邪予防に効果的と知って以来ずっと、水ではなくお茶でうがいだ。私達きょうだいが帰る時間に合わせて、母が急須でマグカップにお茶をいれて、洗面所に置いておいてくれる。私が子供の頃から実家を出るまで、ずっと続いた習慣。


 それが当たり前だったから、結婚したばかりの時、当然のように幸翔(ゆきと)にお茶うがいを強要したら、めんどくさいって拒否されて、喧嘩になったっけ。


 手洗いうがいをすませると、私も母の隣に座り、一緒に洗濯物をたたむ。7人家族だし、バスタオルとかパジャマとか、ほぼ毎日洗濯するので、とにかく量が多い。

「え、頼んでないのに手伝ってくれるの? 珍しいね」

娘がお手伝いすることに驚く母。普段いかにお手伝いをしていないかがわかるというものだ。ごめんよ、お母さん。


 洗濯物を全てたたみ終えたら、子供部屋へ行く。当時は3人で1部屋を使っていたので、部屋には学習机が3つ、タンスもあるので、部屋はかなり狭い。


 ああそうか、部屋に布団敷くスペースがないから、客間に布団敷いて雑魚寝してたんだっけ。と、どうでも良いことを思い出しつつ、宿題をすませる。あ、国語の教科書の音読もあるんだった。当時は気にしてなかったけど、コレ地味に親が大変だよね。


 アイロンがけをする母の隣で音読をしながら、改めて思う。大変だっただろうなあ、お母さん。


 家事や育児はもちろんだけど、当時は、同居していた父方の祖父母が自営業をやっていて、父も母もそこで働いていた。あ、有限会社だったから正しくは自営業ではなくて会社経営って言うんだけど、ほとんど家族経営だし、自営業の方がイメージしやすいかも?

 ちなみに、うちは祖父母が建てた一軒家なんだけど、居住スペースは2階のみで、1階は会社事務所兼駐車場スペースだ。


 私が帰ってくる時間に、母が1階(会社)で仕事してるか2階(家)で家事をしてるかは、日によって違ったけど、とにかくそういう状況だったので、母は忙しかったはずなのだ。

 祖父母が同居してなかったら、母も忙しい時は家事の手を抜いたりできるけど、うちの祖母は「ザ・姑」な人だったから、そんなこと許されなかっただろうし。


 父は庇ってくれることもなく、我関せだずだし。


 私も結婚はしたけど、義実家とは別居だし、義母はフルタイムで会社員として仕事をしていて、私に干渉してくることもないので、母と比べたらかなり恵まれていると思う。


 音読もすんだので、明日の時間割を確認して、持ち物確認。よし、オーケー。

 時計を見ると、まだ16時半。じゃ、お風呂掃除でもしますかね。


 お風呂掃除を終え、リビングに戻ってくると、母は電話を終えて夕食作りの続きをしていた。よし、手伝いに行くか。

「お母さーん」

「なあに? もうお腹空いた?」

子供の頃は、手伝いに行くといつも、お腹が空いて我慢できないのかと思われてしまうので、繰り返すうちに何も言えなくなってしまったのだ。でも、今の私は違う。

「ううん、何か手伝うことある?」

「ええ~? 宿題は?」

「終わったよ」

「明日の準備は?」

「終わった」

「ええ~……。じゃあ、お風呂掃除して」

「掃除した」

「あら、ありがとう。じゃあ遊んでてよ、もうすぐできるから」

ちぇーっ、ダメか。「えー」なんて何度も言われていると、嫌になってくるけど、頑張って食い下がったのに。いつもこうだったのだ。


 うちは、祖父母の早寝早起きの生活に合わせているせいか、夕食は早めで、18時頃のことが多かった。


 7人家族で人数が多い上、好みもバラバラ、しかも父と祖母はよく食べる。そのせいか、いつも量も品数も多かった。


 色々な料理をたくさん作らなくてはいけなくて、急いでいる母は、子供に手伝わせると時間のロスになるので、あまり手伝わせたがらなかったのだ。

 

 まあ、私自身、料理に関心がなく、積極的に手伝ってはこなかった、というのも大きな理由だけど。でも、子供なんて、本人が興味を持っている時にやらせなきゃ、やらないのが普通じゃない? 私だけ?


 だって、私が小学1年生の時、クラスで「干し柿を作る」という授業があって、「柿の皮むきを1人でできるようになりましょう」という宿題が出たのだが、柿の皮むきを母に教わっている時、私があまりに不器用過ぎて、母も焦ってイライラするし、私もそれがわかるだけに悲しくなってきてしまい、包丁を持つのが嫌になってしまったことがあったのだ。


 あまりにも長時間だったのか、下手過ぎるせいかわからないが、手も痛くなってしまったことも、嫌になった理由の1つだ。


 それでもその時は何とかむけるようにはなったが、それ以降、柿を見るたびに思い出してしまい、私の中で苦い記憶となっている。

 ちなみに、大人になったはずなのに今はもうむけない。


 あの経験が、私が料理嫌いになった、最初のきっかけじゃないかと思うよ。


 そうして私は、ほとんど料理をしないまま大人になった。そのせいで、結婚してからとても苦労するハメになったのだ。


 今日は諦めることにして、子供部屋に戻ったが、忙しい母のためにも、将来の自分のためにも、どうにかしてご飯作りの手伝いをさせてもらわなければ。


 そんなこんなで、夕食の時間。父はまだ帰ってきていないけど、父以外のメンバーで先にいただいてしまう。


 今日のメニューは、春巻き、ブリの照り焼き、ポテトサラダ、ほうれん草の胡麻和え、にんじんとごぼうのきんぴら、ひじきの煮物、豚汁、デザートのいちご。


 なぜ1回の食事で主食が2つもあるのか、肉も魚もあってどんだけタンパク質取る気なんだ、品数多すぎだろ、などと考えてはいけない。こういう家なのである。


 母のご飯はとてもおいしかった。娘の、しかも料理の苦手な私が言っても、説得力のかけらもないと思うが、母は料理が上手なのだ。


 特に春巻き。私、母の作る春巻きよりおいしい春巻き、食べたことないんだよね。



 ご飯がすんで、私が当然のように食器を下げて洗い始めたら、これまたたいそう驚かれた。いかに手伝いをしてこなかったかがわかるってものよね。すみませんね、こんな娘で。でも当時だって、ちょっとはお手伝い、やってたと思うんだけど。何か傷つく。


 片づけ終えると、お風呂に入るように言われる。忙しないけど、7人家族、人数多いから仕方がない。


 結婚したばかりの頃、お風呂が沸いているのに、幸翔(ゆきと)がなかなかお風呂に入ろうとしなくて、いつまでもダラダラしているものだから、私、よくイライラしてたなあ。お風呂に入れと言われるのは嫌がるくせに、自分からは決して入ろうとしない夫を、思い出す。


 弟も妹も一緒に、3人でお風呂に入るように言われて、ちょっと恥ずかしかったけど、この頃はまだ2人共、何でもお姉ちゃんに話してくれる年頃だったらしく、仲良く入った。というか、盛り上がりすぎて、最終的に母から「早く出なさい!」なんて怒られる始末だった。


 お風呂を出て、髪の毛を乾かしたりしていると、時刻は21時。子供は21時就寝と決まっている。きょうだい3人、並んで布団に入る。おやすみなさい。明日、目が覚めたら、元の世界に戻っていますように……。

読んでいただきありがとうございました。

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