祖母
「ダメだよ、里帰りなんて! 香奈子さんがいない間、誰が家事をするんだい!?」
「ごめんなさい、お義母さん。でも、もう今回が最期かもしれないんです」
「ダメったらダメ! そんな勝手なこと、許さないからね!」
家に帰ると、祖母が母を怒鳴り散らしていた。あ、香奈子は母の名である。
怒鳴り声が苦手な私は、思わず逃げ出したくなるが、ぐっと堪えて、できるだけ能天気そうな声を出す。
「ただいまあ。おばあちゃん、お母さん、どうしたの?」
「あ、おかえり、香耶。何でもないのよ」
娘に見られたからか、気まずそうにしている母。
一方祖母は、よくぞ聞いてくれたといった調子でまくしたてる。
「香耶、聞いてちょうだいよ。お母さんがね、一週間くらい実家に帰りたいって言うのよ。香耶だって、お母さんがいないの嫌よねえ?」
「え、良いよ。だって今年も去年も一昨年も、ゴールデンウィークもお盆もお正月も、お母さんの実家、行ってないもん。行って来たら良いと思うよ」
私が母に賛成の意を示すと、祖母は気に入らなかったようで、こんなことを言ってくる。
「おや、香耶はお母さんがずーっといなくても良いの?」
「違うよ、お母さんのことは好きだからいてほしいけど。でも、めったに実家に帰らないお母さんが申し出るんだから、何かあったんでしょ?」
私が訊くと、おばあちゃんは
「ひいおばあちゃんが危篤なんだってさ!」
と吐き捨てるように言った。
「大変じゃん! お母さん、急いで帰ってあげなくちゃ!」
「ダメに決まってるよ! お母さんがいない間、誰がご飯作ったり、洗濯したりするんだい!?」
「私がお母さんの代わりにやるから! 料理も掃除も洗濯も。それで良いでしょう!?」
「ええっ、香耶に全部やれるわけないじゃないか。学校もあるんだし」
「早起きして頑張る!」
「香耶…………!」
私の決意に、母は喜んでくれたようだが、祖母はまだ納得できないようだ。
そんな祖母に対して、今度は感情論で攻めることにする。
「だって、お母さんのおばあちゃんだよ? 私も、いつかお嫁に行って、そこのお家で、おばあちゃんに会いに行ったらいけませんって言われたら嫌だよ? おばあちゃんは、香耶に会いたくない?」
祖母の目をじーっと見てそう言うと、祖母はようやく納得してくれた。
「香耶、ありがとう。おばあちゃんを説得してくれて。お母さん、しばらくいなくなるけどごめんね、よろしくね」
祖母が自室に戻った後、母に礼を言われたけれど、私の心は暗かった。
母方の曾祖母がこのまま亡くなってしまうことを思いだしたのと、なぜこのことを今まで忘れてたんだろう、と自分の冷淡さに嫌気がさしたからだ。
まあ、やり直し前だったら、お母さんは実家に帰ることができず、ひいおばあちゃんの最期に立ち会うことはできず、お通夜とお葬式に参列するためにやっと帰れたくらいだったから、それよりはマシかな。
祖母は、母が実家に帰ることを極端に嫌った。
この家が関東で、母の実家が九州なので、単純に遠いということもあるけど、お盆とかお正月とか、そういう時でさえ、母の実家には数年に一度しか行ったことがなかった。
小さい頃は疑問に思ってなかったけど、これって変だと思う。
うちは家族経営の運送屋だ。企業の引越や荷物の配送の依頼を、電話で受けるのは母や祖母、運転手が父と祖父。
サラリーマンと違って、仕事日と休日がはっきりしているわけではない。平日、祝日も関係ないし、仕事がある日が仕事の日、仕事がない日が休みの日となるので、連休もあまりない。だから職業柄、帰省や旅行はしづらいのは確かだ。
でも、母の実家の誰かが病気になったとか、そういう時でも、帰っちゃダメっていうのはどうなのよ?
祖母は、悪い人ではないのかもしれないけれど、とにかく母に対して冷たい人だった。母がどうこうというわけじゃなくて、嫁という存在が気に入らないという人だったのだ。
帰省の件以外にも、母の作った料理に毎回文句つけたり、掃除がどうだ洗濯がどうだと、そういうところがある人だった。
孫である私達のことはかわいがってはくれたけれど、私はよく弟と成績を比べられて、まあ女の子だからね、なんて言われたりしたし。
元々は左利きだったのを、将来嫁ぎ先がなくなるとか言われて、小さい頃に右利きに直されたり。
幼児の頃から、身長が平均より大き目だったのを、やっぱり嫁ぎ先がなくなると言われて、常にぴったりサイズの靴を履かされたりとか。
祖母は、そういう人だった。
その日の夕飯。
メニューは肉じゃが、焼鮭、小松菜のおひたし、野菜炒め、ミニトマト、かぼちゃの味噌汁、グレープフルーツ。
今日は珍しく、家族7人そろっていた。
母から父に、明日から一週間ほど実家に帰りたいということを伝えられる。
曾祖母が危篤であるということも聞いた上で、父がまず言ったのは、
「メシはどうなるんだ?」
だった。
なんだこんにゃろと思ったが、父はまあ昔からこういう人だし、ここで私がナマイキな口をきくと、余計に話がややこしくなるので、
「私がやるから大丈夫だよ」
と答えるだけにとどめておく。
次に父が言ったのは、
「仕事の方はどうするんだ」
だった。
途端に、母の表情が曇る。
やばい、確かに家族経営の仕事の方は私がやるってわけにはいかないし。
でも電話番は、普段は母がいつもひとりでやっていて、祖母が電話番するのは母が買い物とかで出かけている時くらいだ。
おばあちゃん、やってよ~。
祖母はそこで初めて、母が不在の間は自分が仕事を肩代わりしなくてはいけないことに気づいたらしい。慌てたように
「やっぱり里帰りなんてダメよ、香奈子さん」
とか言い出す。
ああ、どうしよう……。
と、
「ひいおばあちゃんに、かえも会いた~い」
「お母さんがいなくてお仕事大変なら、ボク手伝うよっ」
妹と弟が口々に言う。
あ、妹は香絵、弟は素晴という。
本気でひいおばあちゃんに会いたがっている妹と、本気で仕事が大変になるなら自分が手伝うから母を行かせてあげたいと願う弟の言葉に、祖母は考え直したらしく、
「まあ良いわ、香奈子さんがいない間は、私が代わりにやろうかね」
と言った。
「あ、ありがとうございます!」
喜ぶ母。
「なら大丈夫か」
納得する父。
母が無事に里帰りできそうで、ほっとすると同時に、明日から一週間、家事を完遂するために、母と打ち合わせしなくちゃ、と思うのだった。
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