仮面の裏
釈埴新三について皴ベていた戸野上は、彼の人となりをさらに確認するべく、生い立ちそのものを調べることにした。知人の探偵に頼んで取り寄せてもらった資料を基に、彼の人生を辿る。
彼、釈埴新三は、一九八七年の七月に、中部地方の某県、現在では限界集落となっている山間の村で生まれたと記録にはある。父親の名は釈埴譲司、母親の名は一心。共に、彼が生まれた村にあった小学校の教師をしていた。
両親の評判としては概ね、『真面目ないい先生』というものであったらしいが、同時に、一部の生徒からは『生徒の好き嫌いが激しくて依怙贔屓するクズ教師』と、思い出したくもない過去を仕方なく思い出しながらその記憶に唾棄するかのように吐き捨てる元生徒もいた。
まあ、その手の人物評で表裏があるような話が出てくるのもよくあることなので、それだけで戸野上が二人の人間性を断じてしまうことはない。ただ、嫌っている人間にはとことん嫌われるタイプなのだということは伝わってきた。
そういう部分が、二人の長男である新三にどのような影響を与えたのかは、いろいろ想像できる部分ではあるだろう。
児童養護施設<もえぎ園>の出身者として、外部協力者として、数多くの家庭や親子関係を見てきた戸野上には、この両親の下で暮らしていた頃の新三の姿がおぼろげながら想像できた。
深く知らない人間からは<良い人>に見えつつ、濃密に関わった一部の人間からは<クズ>とまで評される二面性のある両親の姿を、新三はどんな思いで見ていたのだろうか。
そんな彼の心の深奥までは窺い知ることはできないものの、子供心に複雑な心境であっただろうことは想像に難くない。<良い教師>の仮面の裏に隠された、一部の元生徒をして<クズ>とまで言わしめる一面。新三にはどちらがより強く印象に残っているのだろう。
他人に対しては当たり障りなく、ほとんど記憶にも残らないレベルで人畜無害さを貫き、それでいて、仮にも妻として一時期はいくらか心も通わせあったであろう釈埴愛良とその子供をここまで完璧に見捨てられるその性根は、しっかりと両親の二面性を受け継いでいるのだと思われた。
むろん、その手の二面性は人間なら誰でも持っているものとも言える。だから他の両親の下で育ったとしてもそういう人間になっていた可能性は否定はできない。しかし、だからこそとも言えるのだ。
親こそが、子供の人間性を作るのだということが。そしてそれは、生涯にわたって本人の人間性に影響する。
『大人になったからもう関係ない』では済まされない。
己を律する為の価値観そのものが、親の下で育まれ、形を成すものなのだから。




