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釈埴新三

釈埴愛良(しゃくじきあいら)の夫、釈埴新三(しゃくじきしんざ)について調べ始めた戸野上(とのがみ)は、すぐにおかしなことに気が付いた。この夫、不自然なくらいに周囲の人間から記憶されていないのだ。


半年ほど前まで勤めていたらしいというカラオケ店でも、釈埴新三のことを殆ど覚えられていなかったのである。


それらしい人間はいたと記録にはある。なのに、一緒に働いていたはずの人間達は皆一様に、


「こんな人いたっけ…?」


と首をひねるばかりなのだ。


しかし探偵として様々な人間を見てきた戸野上は、そのような事例がたまにあるということを知っていた。他人の意識に残らない、まるで天性の忍者のような人間は稀に存在するのだ。


意図してのことなのかそれともたまたまなのかは、それぞれの事例によって違うのかもしれないが、釈埴新三もそういう人間の一人だということなのだろう。


『こいつも、何のために生まれてきたのか分からないタイプだな……』


辛うじて手に入れた顔写真を見ながら、戸野上はそんなことを思った。


これまでの事例でのこういうタイプは、人畜無害でとにかく本人は大人しく穏やかに暮らしたいと望んでいる人間が殆どだった。釈埴新三もそうなのかもしれない。実際、ごく僅かに得られた本人に対する人物像は、それを裏付けするものだった。


『大人しい』、『目立たない』、『真面目』。判で押したように通り一辺倒な証言が返ってくる。おそらく答える方もそうとしか表現しようがないのだろう。あまりに印象が薄くて。


今回のこれは仕事ではない。だからあまり集中しすぎる訳にもいかない。他の仕事に差し障るからだ。だが、釈埴愛良と息子を放っておいてあのような状態にした責任は釈埴新三にもある。多くの場合、この種の事例で責任を取らせることは難しいことも知っているものの、少なくとも『自分には関係ない』で済まされるものではないことも事実なので、とにかく女房と子供の現状を本人に突き付けてやらねばならない。でなければ本当に<逃げ得>になってしまう。


とは言え、ものの見事に自らが生きてきた痕跡を薄めているのが、釈埴新三という人間だった。


『まったく……骨が折れそうだ』


走り梅雨のようにしとしとと降り続く雨の中、釈埴新三の微かな足跡を辿りながら戸野上は思う。


『釈埴……お前はただ平穏に暮らしたいだけかもしれないが、この世で生きるには<責任>ってものがつきまとうんだよ……


お前にもそれはあるんだ。


もし、あの子がお前の実の子でないとしてもな……』


そういう予感が、彼の中で湧き上がっていたのだった。



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