生まれきたる者
生きるということは厳しい。決して容易なことではない。時に絶望し、死んで楽になりたいと思うこともあるだろう。
死が安らぎであるなら、生きることこそが地獄の責め苦だとも言えるのかもしれない。しかし、それでも命というものは存在する。
生きているからこそ、生まれてきたからこそ味わえる<幸せ>というものはある筈なのだ。現に、その幸せを感じている者もたくさんいる。
幸せを感じることがないという人間は、それは単に自身がそういう状況にないというだけのことだ。自分がそうじゃないからといって、誰もが生きていることに対して苦痛しか感じていない訳じゃないという事実を知ろうともしないから『生きてても仕方ない』『生まれてきたことが不幸』とか思うのではないのか?
自分が知っていることだけがこの世の全てではないと知るべきだろう。
<もえぎ園>の園児達は、その両方を知った。<死んだ方がマシ>という境遇も、<生まれてきて良かった>と感じられる幸せも。だから、彼ら彼女らは言う。
「生まれてきちゃ駄目な命なんてなかった」
と。
故に宿角蓮華は言う。
「生きてちゃいけない人間なんていないのよ」
と。
役童強馬や、宿角健剛といった人間達を知るからこそ、彼らのような人間がなぜ生まれたかを彼女は知っていた。
たとえ親に愛されなかったとしても、子を愛することができない人間の下に生まれついてしまったのだとしても、それが全てを決める訳ではない。
「要らない赤ちゃんがいるのなら、私達が育てるわ。だから殺すな。痛めつけるな。殺して、痛めつけて、自ら不幸になるな。不幸の種を蒔くな。生きて、生かして、幸せを掴みなさい。
あなたが生まれてきたことを喜んでくれる人はこの世に必ずいる。その為には、あなたがまず、この世に命というものが存在することを認めなさい。それができれば、あなたの命を認めてくれる人が現れるのも、そんなに難しいことじゃなくなるから。
わざわざ自分から不幸になろうとしないで。他人から恨みを買おうとしないで。恨みを買えば確実に幸せになれる可能性は狭まるわ。
幸せになりなさい。<生まれきたる者>よ。
ようこそ。私達は、あなたを歓迎します……」




