宿角隆三
宿角隆三は、母違いの兄、健剛を、父の将全が宿角家から放逐してしまったことについて、本当にそれでよかったのだろうかと常々思案していた。
確かに、それによって宿角家の平穏は守られた。二百年以上続く造り酒屋としての暖簾もこれで守られるだろう。しかしそれは同時に、恐ろしい災禍を野に放ち、自分達が被る筈であった諸々の苦痛を他者に押し付けてしまっただけなのではないかと悔やみさえした。
かと言って、健剛を呼び戻してどうすればいいのかと言われればそれも分からない。だが、少なくとも自分達の家族内の因縁には何の関りもない人々が苦しめられることになるのも正しいこととは思えなかったのだ。
可能であれば、健剛の行いの証拠を集め、それを添えて警察に突き出し、投獄してもらうぐらいのことをするべきだったのかもしれないとまで考えた。それによって宿角の家名に傷が付き汚辱に塗れることになろうとも、他人に押し付けるよりはマシだったのではないかと。
だが、賽はもう振られてしまった。あの男がこれから成すことの宿業を、宿角家はこれから負わなければいけないと隆三は考えた。戦後、親を亡くした子供達を保護する施設を作ったのは、せめてもの贖罪であったのかもしれない。所詮は、気休めにしか過ぎないのだろうが。
それに対して健剛は、まるで隆三の気持ちを嘲笑うがごとく悪逆の限りを尽くした。世間は名家の名を汚すロクデナシのしでかすこととしてむしろ同情的に見てくれたりもしたが、隆三の気持ちは晴れなかった。それどころか同情を集めれば集めるほど罪の意識に苛まれさえした。
あれを野に放ってしまったのは自分達なのだと……
杜氏として家長として立派に務めを果たしながらも、隆三の眉間に深く刻まれた皴は生涯取れることがなかったという。四人の子と十一人の孫と三人の曾孫に囲まれ、彼は、他人から見れば幸せな人生を送ることができたように見えたかもしれないが、心からの安寧を得ることはついに叶わなかったのだろう。
隆三の跡は、造り酒屋の方を、長男の隆星、隆星の次男の隆昌がそれぞれ継ぎ、保護施設の方は長女のスミレ、スミレの長女の椿と引き継がれ、そして現在は、蓮華が園長兼代表としてその務めを果たしていた。
しかし、健剛の呪いは、代々、宿角の人間にとっては抜けない棘のように長年の懸案事項となっていたのである。特に、子供を守り育てるということを標榜している<もえぎ園>にしてみれば、人を人とも思わない健剛の呪いを引き継いでしまっているあちらの人間達のことは非常に苦しい問題であった。




