尊敬
朝五時。園児達がまだ寝静まっている時間、<もえぎ園>の園舎と一体になっている自宅から、宿角蓮華は園の方にやってきて、まずトイレの掃除を始める。これは歴代の園長が代々行ってきたものだ。しかし、それを強要されたことは一度もない。ただ熱心にトイレを掃除する姿を見続けるうちに、自然と自分もという気になるだけだ。
尊敬しているが故に。
いや、尊敬できる人であるが故にと言うべきか。
宿角蓮華は、『目上の人間は敬うべき』とは敢えて言わない。それを目上の立場から言うのは<甘え>だと思っているからである。それを許していては、目上の人間として相応しくない振る舞いをしていても目上というだけで敬ってもらえるいう甘えが生じるからだった。
目上を敬うべきだと言うのなら、自らが敬われるほどの振る舞いを心掛けるべきだ。
彼女はそう思っていた。
それでも、敢えて上から目線で厳しいことを言う場合もある。ただそれは、殆どの場合が<演出>に過ぎない。伝えたいことを強調し印象付ける為の。
しかし基本的には、他人に対して『そうしろ』と言うことはまず自分がやってみせるようにしていた。トイレ掃除もその一環だ。『トイレを綺麗に使いましょう』と言うのなら、まず自分が綺麗にする。素手で便器をピカピカに磨き上げる。
けれど、それを他人に求めたりはしない。自分はあくまで自分の意志でそこまでやっているだけなのだから、他人に同じことをしろとは言わない。
また、園児がつい紙を使いすぎてトイレを詰まらせた時などは、それこそ自分で手を突っ込んで直したりもする。その上で、『紙は一度に流さないようにね』と注意する。
そういう蓮華の姿を見ているから、園児達も無闇に彼女には突っかからない。また職員も、園長自らがそこまでするから、指示に従う。
守縫久人も、『園のトイレは男女共用』と言われた時には「え!?」と声を上げてしまったりもしたが、正直『嫌だなあ…』と思いつつ従っていたが、たまたま朝早くトイレに起きた時に素手で便器を磨き上げている蓮華の姿を見て、
『素手で触れるくらいに綺麗にしてるんだ…』
と思って、それからはあまり気にならなくなっていた。
それどころか、一時入園ということでトイレ掃除を免除(ローテーションを組むのが大変なので)されていたにも拘らず自ら希望し、他の園児達と一緒にトイレ掃除をするようにもなっていた。
ちなみに、トイレ掃除を任されるのは基本的には十歳以上なのだが、園児自身が『やりたい』と言えば、それ以下でもお手伝いという形でやってもらったりもする。
『お手伝いしたい』と子供が言い出した時には、二度手間になるからとかいう理由でやらせないということもないのだった。




