お前じゃなくちゃ
『きちんと結婚して子供を作って日本を支え守るべきだ』
牧内不動も、基本的にはそう考えるほどに保守的な人間ではあったが、同時に現実主義者でもあった。だからこそ、妻の早苗よりも自分に子供の面倒をみる適性があるという現実を受け入れているのだとも言えるだろう。
『女性には必ず母性があり、子供の面倒をみる能力がすべからく備わっている』
そんなものは、科学的にも医学的にも実は根拠のない迷信であろう。確かに男性に比べれば有意な差異が認められるほどにその傾向はあるかもしれないが、決して『女性なら誰でも』という訳ではない。
なので、『きちんと結婚して子供を作って日本を支え守るべきだ』とは考えつつも、実はそれをすべての人間に押し付ける気もなかった。その点も、宿角蓮華と同じである。
保守とか革新とか中道とか、そんな稚拙なカテゴライズなど、現実の前では何の意味もないことを彼は知っているだけなのだ。それを理解せず妄想にも等しい概念に固執するからこそトラブルが起こるということを知っているに過ぎない。
常識など、前提条件が変わるだけでひっくり返ってしまう。だから彼は、同性愛さえ『そういうものだ』と受け入れていた。自らにはそういう形質がないというだけで、そのような形質に生まれついた人間の存在も否定はしなかった。
彼は、自分や早苗がこの世で生きていることを他人に否定させない為に、自らも他人の存在を否定しないというだけだった。
他人が自分達の存在を否定することを許さない。だから、自分が他人の存在を否定することも許さない。
<意見>は言う。だがそれは決して他人の存在そのものを否定する為に発せられることはなかった。他人の存在を否定するということは、その命そのものを否定するのと同義だからである。
これは、早苗の養父を<殺す>為に包丁を突き立てたことから学んだことだった。他人の存在を否定するというのは、つまりはそれと同じことなのだと。
『妻に育児をやらせるべきだ』と考えるのなら、その適性を持つ女性を探し出して結婚すればいい。もっとも、そういう女性から選んでもらえるかどうかは別の話だが。彼はそう考えていた。
また、早苗が養父からどのようなことをされてきたかを不動は知っていた。それを知った上で彼女を選んだ。同情などではない。不動にとっては『彼女でなければ駄目』だったからだ。彼にとっては、彼女以外の女性は、選択の対象ですらなかった。
「俺は、お前じゃなくちゃ駄目なんだ!!」
それが、不動のプロポーズの言葉であった。
彼女の境遇を知った上でそれでもなお彼女でなければ駄目だと自分が感じているという現実を認めたが故の言葉ということである。




