もえぎ園
<もえぎ園>。
そう看板が掲げられたそこは、民間の児童養護施設だった。開設は戦後すぐ。元々は戦災孤児を保護する為にある人物が私費を投じてつくったものであった。
その人物の名は宿角隆三。創業三百年を誇る造り酒屋の当主で、敗戦に打ちひしがれる日本を立て直すのは子供達であると、親を亡くし野垂れ死ぬのを待つばかりだった子供達に家と食事と教育を与え、未来を創る人材を生み出そうという志の下、十三人の子供達から始まった施設であった。
それから既に七十年。数百人の孤児や捨て子を保護し続けたその園に、新しい子供がやってきた。乾池初美が生み捨てた赤ん坊であった。
「へえ、この子が新しい子?。ふふん、こんな状態でも寝てられるとは、大したタマね。気に入ったわ」
ベビーベッドに寝かされた赤ん坊を見下ろしながらニヤリと笑ったのは、癖の強い短めの髪を跳ねまくらせ青いワンピースを身に付けた十歳くらいの少女だった。いや、身長や体格から見るとそのように見えるのだが、しかしその少女(?)の表情は、とても十歳くらいの子供とは思えない、老成したものでもあった。表情だけを見ていれば、成人でも何もおかしくないと思われた。
少女(?)の名は宿角蓮華。この<もえぎ園>の現在の<園長>であった。年齢は三十八。そう、外見こそ子供のようだが、れっきとした成人女性だった。もえぎ園を創った宿角隆三の曾孫にあたる人物でもある。
そんな宿角蓮華の脇に、困惑したような表情を浮かべながら、一人の女性がやはり赤ん坊を見下ろしていた。こちらは二十代前半くらいの、まだ完全には体に馴染んでいないスーツを纏い、やや赤みがかったショートボブがどこかあどけなさも醸し出す若い女性だった。
彼女の名は千堂京香。幼い頃にはこの施設にいたこともあり、最近、蓮華の秘書として雇われたばかりであった。
「さ~て、取り敢えずこの子に名前を付けなきゃいけないわね。京香、なんて付ければいい?」
蓮華に突然そう振られて、京香は「あ…、えと……」と戸惑うばかりだった。
それでもじーっと睨まれて思わず、
「いしだ…あおい……?」
と、どこかで聞いたような本当に何となく頭をよぎった言葉を口にしてしまった。
「OK、石田葵ね。はい、採用」
などと言われて焦ってしまう。
「あ、いや、それは……!」
しかし後の祭りだった。戸籍を作る為の書類に名前が記される。実際の提出は赤ん坊の親の判明が長引きそうと判断されてからのことになるが、蓮華はもうそのつもりだった。
「名前なんてよっぽど突拍子もないモノでなければなんでもいいのよ。むしろ平凡で地味なのがいいの。この子には地に足の着いた生き方をしてもらいたいからね」