エンドロールは流れない
蓮華がようやく健雅の下に駆けつけた一週間後、ただ不幸をばら撒き続けた男は、多くの人間から疎まれ、ただ一人、蓮華だけが見守る中、その虚しい生涯を終えた。
享年。八十三。
家族葬と呼ばれる小さなものではあったものの蓮華は葬儀を出し、遺骨は永代供養を頼み寺に預けることとなった。
健雅の息子である健侍も健臣も現れなかった。一応、蓮華の方から連絡は入れたものの、
「無理に来なくてもいいから」
と告げると、本当に来なかった。健侍も健臣も共に幸せな家庭を築いており、家族には『両親はいない』と告げていたからというのもある。
それでも、蓮華が見送ってくれただけでも健雅はまだ幸せだったのかもしれない。世の中には本当に、血の繋がった肉親がいるにも拘らず誰にも見送られることなく眠りにつく者もいるのだから。
「生まれ変わりなんてものは私は信じてないけど、もし、万が一、そんなものがあるとしたら、今度こそ幸せになりにおいで。私はもうあんたの面倒を見るのは無理だとしても、私の子供達とその子供達なら、あんたのことも大切にしてくれるから。私の子供達とその子供達のところにおいで……」
火葬の後で小さな箱に収まった健雅に向かい、蓮華はそう語り掛けたのだった。
この数年後、蓮華もようやく肩の荷が下りたとして、守縫久人に見守られながら、穏やかな表情で眠りについた。
享年、八十六。
なお、生涯独身を貫いた蓮華には、もえぎ園の園児達という形の<子供>はいても、直近の血縁者をはじめとした法律上の家族はおらず、まだ数千万残っていた遺産については国庫に納められることとなった。
そんな蓮華を見送った守縫久人も結婚はしておらず、蓮華の介助を終えた後も、もえぎ園内に設立されたフリースクールの教員として勤め上げ、定年退職後も補助教員として復帰、生涯現役を貫いた。
そして、蓮華が作り上げた<子供達の命を守る活動>は、何度か事件化し何人もの逮捕者を出しながらも、それぞれが<個人的な協力者>であると徹底していたことで、組織立って行われているものであることについては表に出ず、いずれも個人の犯行として対処されている。その上で、いつかそれが不必要になることを目指しつつ続けられていた。
こうして命を救われた子供達は、その中でも道を誤る者を出したりもしつつ、多くは幸せを掴んだという。道を誤った者も、決して望んでそうなったわけではなく、当人なりに人のためになろうとした結果だったそうだ。
とは言え、罪は罪として裁かれる。それを受け入れなければならない。その点については皆、宿角健雅とは違っていたのだろう。
現実では、エンドロールは流れない。蓮華がこの世を去った後も、人の営みは続いていく。
その中でまた、苛酷な境遇にあったことを窺わせる暗い眼をした子供に対し、誰かが穏やかに語り掛けたのだった。
「生まれきたる者よ。私達はあなたを歓迎します。だから私達に対しては甘えてください。我儘を言ってください。そのすべてを私達は受け止めます。そして幸せになってください……」




