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小柄なお婆さん

そして健雅の出所日当日。


蓮華はほとんど寝ることもできずに朝を迎えた。何一つ手立てを見付けることができずに。


『幸せになりたい!』


健雅がそう思わないのは、自分が不幸だとは思っていないからである。


そして自分を不幸だと思わないのはそれを認めてしまうと負けだと思っているからである。


何より面子を重んじるが故に。


プライドを守ることこそが至上と教わってきたが故に。


いるではないか。


『誇りを失って生きるよりは誇りを守って死んだ方がマシ』


と言うのが。


健雅もそう思っているのである。


『自分が不幸だということを認めるのは負けを認めることであり、負けを認めるのは誇りを失うのと同じ』


と。


酷いこじ付けだと言ってしまえばそこまでだが、それでも当人はいたって本気なのだ。本気でそう思っている。


他人から見れば、客観的に見れば、まったく合理性のないことでも当人は大真面目に信じきっているということはよくある。


結局、弱いのだ。弱いから客観的事実と向き合うことができない。自分にとって都合の悪い現実を受け入れることができない。それを<プライド>だの<誇り>だのという美辞麗句で現実逃避しようとする自分を正当化しているに過ぎない。他人には自分より下の立場に甘んじ隷従を求めながら、自分は他人より下の立場に甘んじ隷従することを嫌がるのである。


『撃っていいのは撃たれる覚悟がある者だけだ』


みたいなことを言う者がいるが、だとすれば、他人に隷従を求めるのは、隷従する覚悟がある者だけとも言えないか?


にも拘らず自分は<プライド>やら<誇り>やらを持ち出して逃げる。


これが甘えでなくて何なのだ? 


他人に対して隷従したくないのなら、他人に対しても隷従を求めるのはおかしいのではないのか?


とは言え、事実と向き合うことができない人間などこの世には珍しくもない。それができる人間の方がむしろ少数派であるとさえ言える。


そういう意味では、健雅はまさしく人間らしい人間とも言えるだろう。


弱いが故に現実から目を背けて虚勢を張っていないと自我が維持できないのだ。




蓮華は、簡単に身支度を済ませ、それからどこかに電話を入れて、事務所兼住居を後にした。そこは丁寧に整理整頓されて、机の上には何通もの封書が置かれていた。誰かが訪れた時、すぐに分かるようにするかのごとくに。


ほとんど寝られなかったからか、目の下にクマを浮かせた酷い姿で電車を乗り継ぎ、移動する。


そんな彼女は、年齢以上に老けて見えた。


以前は十歳くらいの少女にしか見えなかったものが、今では、


<小柄なお婆さん>


にしか見えなかったのだった。



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