幸せになりたい!
宿角健雅をこの世に送り出した張本人である両親は、健雅が逮捕される以前にすでに亡くなっていた。
父親は不摂生が祟ったのか肝硬変を、母親は膵臓がんを患って、共に病院で息を引き取っている。
しかし健雅は、当時、生活保護を受けている状態だった両親の下に何度か金の無心に訪れただけで、弱った二人に対しては徹底的に強圧的に振る舞ったという。
かつて自分がされたことを、返すかのように。
そして今のままでは、今度は、自分の息子である健侍と健臣にも同じ様にされるだろう。さすがに健雅が両親にやったことほどは露骨ではなくても、健侍も健臣も、
「自分には父親はいない」
と公言しており、<親子の情>は欠片ほども見て取れない。
これが、力で子供を支配しようとした行いが招いたものであるのは間違いないだろう。
にも拘らず、健雅自身、親権を失ったことはむしろ喜んでいたようである。
両親もおらず、子供からも見限られていることを悲観するどころか自ら『清々した』と言って憚らない。
誰のことも信用せず、誰からも信用されていない。辛うじて打算で繋がっていた仲間もかつてはいたものの、それさえ疎遠になってしまった。
本人は気にもしていないかもしれないが、健雅は自ら人との繋がりを疎かにして、断ち切ってしまったのだ。
もっとも、最初からそんなものはなく、自分以外の人間は都合よく利用するものとしか考えていなかったのだろうが。
こうなればもう本当に、誰の言葉も届かない。本人に誰かの言葉に耳を傾けようとする気持ちがまったくないのだから、どうすることもできない。
としか、今の蓮華には思えなかった。
せめて、多少なりとも誰かに対して情を残していれば……
情を感じている相手の言葉なら、そこが手掛かり足掛かりになる可能性もあったものを、健雅は自ら完全に捨ててしまったのだ。
なまじ、自力で生きられる<大人>であるが故に。
幼い子供のうちであったならまだ、
『誰かに頼らなければ生きていけない』
という部分でどうにかできたものを……
実際、灯安良と阿礼、健侍、健臣はそれで対処できた。
<彼女らにとって利用する価値のある大人>であることで多少なりとも聞く耳を持ってもらえた。
なのに健雅にはもはやそれすらない。
それすらないのだ。
何という不幸。
そして健雅自身は、そんな自分を不幸とも思っていない。
せめて、
『幸せになりたい!』
と願い、誰かに依存しようとしてくれるなら、依存している相手の言葉なら多少は耳を傾けるかもしれないというのに……
その気持ちさえ、健雅は失ってしまっているのだった。




