『生きる』ということ自体が
子供は純粋でも清らかでも無垢でもない。子供とて生きているのだから、生きるための強かさはそれなりに備えている。
『子供は純粋で無垢だ』
などと言うのは、おそらく、子供の一面しか見ていないからそう感じるだけだろう。
そもそも『生きる』ということ自体がすでに綺麗事ではない。生きるためにはたくさんの命を糧としなければならない。もうその時点で血に塗れているのだ。
『子供だから大人の言いなりになるのは当然』
など、生きるということを理解していない人間の戯言かもしれない。子供でさえ生きるために必要なものを見る。判断する。信用できない大人を信用などしない。
言いなりになる価値のない大人の言いなりになったりはしない。
子供に言うことを聞いてもらいたいのなら、言うことを聞く価値のある大人になるべきだ。
阿礼や久人にとっては、すでにその価値のある大人がいる場所だと思ってもらえている。
しかし、だからといって全員が同じように感じ取るわけでもないこともまた事実。灯安良は本質的に臆病で疑り深い少女だった。簡単に他人を信用はしない。血の繋がった両親でさえ信用に値しない人間だった事実が、彼女の人間不信を悪化させた。
その一方でネット上の情報を鵜呑みにしたりというのがあったのは、おそらくそこに人間が介在しているという実感が乏しかったのだろう。人間は信じないが<情報>は鵜呑みにしてしまう。そういう歪さも彼女の特徴だった。
むしろ、人間が信用できないからこそどこかにそれを求めてしまっていたのかもしれない。
そんな彼女と接するのは容易ではない。だから今は阿礼を通じて接する。
実は阿礼も、今はまだもえぎ園の大人達を全面的に信用しているわけではない。
『利用する価値があるから言うことを聞いている』
と思っている段階だ。
『利用する価値さえない』と思われるよりはまだマシという段階でしかない。
大変だ。
ものすごく大変だ。
とは言え、もえぎ園出身の職員の場合は特に、自分もかつてそうやって他人を振り回してきたのだから、今度は自分が振り回される番が来たという風に捉えている。
だから対処の仕方も分かる。
自分は散々他人を振り回しておいて、なのに他人が自分を振り回すことを拒むような人間には、これはできないだろうが。
「あ~、無理~、もう無理~……!」
まともに寝られず、お腹の中の赤ん坊は頻繁にポコポコと腹を蹴ってくる。そんな状況に灯安良が泣き言を並べる。
が、どんなに泣き言を並べても出産が終わるまで彼女はそれから解放されることはない。
「灯安良。ごめんね。代わってあげられなくて…」
阿礼がそう言うと、灯安良もバツが悪そうに、
「あ……うん…ありがと……」
と応えたのだった。




