子は親の鏡
「好羽、ネットとかに限らず他人を口汚く罵る人っているでしょう?。そういう人はね、ほぼ限りなく百パーセントに近い確率で親に問題があるのよ」
再度の陣痛が来てそれがまた治まった時、幸恵がそんなことを言い出した。好羽はいつの間にか幸恵が自分の名を呼び捨てにして、しかもいかにもメイド風に遜った言葉遣いだったものが親しげなそれに変わっていたことに気付いた。しかし、決して嫌じゃなかった。むしろなんだか心地好い感じさえした。
まるで、自分が理想として思い描いていた<姉>や<母>のような……。
だが、『限りなく百パーセントに近い確率で親に問題がある』という部分については何となく納得がいかなかった。アニメとかでは、親はすごくいい人なのに子供が聞き分けなかったりする描写があったから。けれど、そんな好羽の思考を見抜いたかのように幸恵が言った。
「アニメとかドラマとかでは、とても素晴らしい両親の下に問題のある子供がいたりするわよね。でもあれは、<作り話>だからそう見えるだけ。両親が持ってる<問題>の部分を敢えて描かないからそう見えるだけよ。そして、現実にも<他人からは良さそうに見える親>というのも存在するわ。私の両親もそう。
私の両親は、教育熱心でとても子供のことを大切にしてる親のように、他人からは見えてたみたい。でもね、本当はそうじゃなかった。あの人たちが大切にしてたのは、<自分が他人から良い親に見られる>ってことなのよ。だから自分達の思い通りにいかなかったりした時には、私を失敗作でも見るような目で蔑んでたのが今なら分かる。
だからね、他人からは<良い親に見える>ことと、本当に<子供にとって良い親>であることは一致しないのよ。
親に本当に大切にされたことのない子供は、どうすることが他人を大切にすることなのかが学べない。だから他人とのコミュニケーションがうまく取れなかったりする。親に傷付けられたり精神的に蔑ろにされた子供は、それを学び取って他人を平然と罵ることができてしまう。
だってそうでしょう?。<子は親の鏡>という言葉があるように、他人を口汚く罵るような浅ましい行為をすれば、その人の親がどんな人間だったか分かってしまうというのは確かにあるのよ?。それなのに他人を口汚く罵るような浅ましい行為をするということは、<自分の親はこういうことを子供に学ばせるようなロクでもない親でした>って公言してるようなものよね。
親を尊敬して大切に想ってる人なら、自身の親を貶めるようなことをする訳ないじゃない」




