死は常に自分のすぐそばに
資料を読み耽っている間に夜も更けて、宿角蓮華は就寝の準備に入った。万が一、就寝中に緊急事態が生じても咄嗟に駆けつけられるよう、部屋着であっても外出できるものを着るようにしている。この日も着古したTシャツとジャージ生地のハーフパンツという格好だった。
彼女自身は、自らの格好に拘りは特にない。あるとすれば<動きやすく汚れても構わない格好>というだけだろうか。
男性と付き合うということにも興味がなく、結婚願望もない。けれど<人間を育てる>ということには強い関心がある。
そんな彼女に共感できる人間は少ないだろう。だから共感してもらいたいとも思っていない。理解してもらえるとも思っていない。他人が自分のすべてを分かってくれるなどという夢物語も信じてはいない。彼女は自分の責任において自分自身の気持ちに素直に従っているだけだ。
彼女が子供達に語ることの多くは、彼女にとっては子供達に宛てた<遺言>でもある。
別に彼女に死期が迫っているというわけではない。現時点では健康そのもので、どこにも異常らしい異常はない。その幼すぎる体以外は。
しかし同時に、人間というものはいつどうなるか分からないというのも事実だ。事故や病気、あるいは事件に巻き込まれて命を落とすことだってあるかもしれない。実際、彼女はかつて誘拐されて何人もに暴行を受けて命を落としかけたこともある。その時の傷は今も体に残っている。
そういう意味で死は常に自分のすぐそばに存在するということを自覚しているだけだ。だから出し惜しみすることなく自らのすべてを賭ける。出し惜しみをしていて伝えるべきことを伝えられずに潰えてしまっては悔やむに悔やみきれない。
『このまま目が覚めることなく死ぬことだって絶対にないとは言えないからね……』
寝る時にはいつもそんなことを思う。
きっと多くの人間が『気にし過ぎだ』と笑うだろう。だがそうやって笑った人間が翌朝目覚めなかったということだってこの世には起こりえるのだ。心筋梗塞や大動脈瘤破裂、脳梗塞で死んだ人間全員がそれを予測していただろうか? 交通事故で死んだ者がそれを予期していただろうか?
その事実から目を逸らすことを彼女は良しとしない。
『昔の武将達が心掛けていたという<常在戦場の心得>というのも、こういうものだったのかもしれないわね』
生きるというのは、その一瞬一瞬が死に近付いていくということであるのは事実だ。だからこそ命は愛おしい。
辛く苦しく悲しいことに溢れたこの世界に生まれてきたことを後悔して欲しくないのだ。




