手助けを
『子供のために生きる』
ということを馬鹿にする人間がいる。だが、それは明らかにおかしい話だ。今はアニメやアイドルのために生きているような人間もいるというのに、その対象が子供というだけでなぜ馬鹿にしなければいけないのか?
自分に理解できないから馬鹿にするというのであれば、あまりに浅慮が過ぎないか?
アニメやアイドルのために二十年三十年という時間を費やす者もいる。それと同じことを宿角蓮華はしているに過ぎない。
しかも、<人間>を育てているのだ。ゲームよりも圧倒的に複雑で難解で自身の思い通りにならないそれは、何度やっても飽きるということがない。経験する度に新しい発見がある。
何より、しっかりとリターンがある。自分に対して屈託のない笑顔を向けてくれた時の喜びなど、それこそ他の何物にも代えがたい。
こんな楽しいものが他にあるだろうか?
蓮華はそう思っているだけなのだ。
楽しいから苦労があっても苦にならない。自分の思い通りにならないのなど当たり前だ。が、それを超えて立派に園から巣立っていった子供達がいることを思えば、苦労は苦労にならない。
むしろ苦労そのものが楽しいとさえ言える。
それで言うと、こうやって子供達から引き離されて一人でレトルトのチャーハンを食べているなど、味気ないことこの上ない。子供達の歓声を聞きながら食べ残したものを食べている方がよっぽど美味い。
自宅は園と接しているので声は聞こえるのだが、やはり距離を感じてしまう。近所の保育園の子供達の声が聞こえているような、余所余所しさがあるのだ。
「やれやれ、やっと一日も終わりね。実に虚しい一日だったわ」
レトルトチャーハンの容器をゴミ箱に捨てながら呟き、蓮華は風呂場へと入っていった。
なお、蓮華の両親は現在、別のところで別の施設を管理している。そちらももえぎ園とほぼ同じ活動をしている施設だった。
彼女達の支援を必要としている子供達は数多い。施設も人手もいくらあっても足りない。
施設で保護した子供達を、施設を支える人員に育てている形になっていることについては忸怩たる思いもあるものの、現状ではどうしても必要なことだった。
『もっと自由に生きてほしいんだけどね……』
一人で風呂に入りながら、そんなことも思う。決して園の手伝いをしてくれと言っている訳ではないのに、元園児達は帰ってきてしまうのだ。
ここが彼ら彼女らにとっては<自分の家>であるが故に。
自分の母親にも等しい蓮華の手助けをしたいと思うが故に。
『……ありがとう……』
声には出さずにそう言った蓮華の表情は、とても穏やかなものになっていたのだった。




