逆に困って
世の中には、とかく犯罪を矮小化しようとする者も少なくない。
窃盗を<万引き>と称したり、暴行・脅迫・強要を<イジメ>と称したり、そして脅迫の手紙を送りつけたりするのを<悪戯>と称したりという形で。
その一方で、犯罪者に対する私刑を推奨する者もいる。
それどころか、ただ『気に入らない』『好きじゃない』というだけの理由で相手を社会的に抹殺しようとする者さえいる。
それらは結局、
『他人に厳しくて自分に甘い』
ということではないだろうか?
自身の行為が不法行為に当たると言われればそれを矮小化しようとし、同時に自分には当てはまらない不法行為に対しては、いや、本当に不幸行為にも当たらないものですら、ただ『気に入らない』『好きじゃない』というだけの理由で抹殺しようとする。
こういうのを<ダブルスタンダード>と言うのではないのか?
宿角蓮華はそう考えている。
だから単に犯罪は犯罪として対処することを心掛けているだけである。
しかし同時に、弁護を受ける権利についてはやはり保証されているのだから、それについては口出ししない。
脅迫者を獅子倉が弁護しようともだ。
それどころか、弁護士として自身の務めを果たそうとする獅子倉を労いさえするだろう。
さらには、園出身の刑事や検事が、もえぎ園の<裏の活動>を摘発しようとするなら、それすら褒めるに違いない。
ただ、それをすると、命の危険に曝される子供達に対する救いの手の一つが失われてしまうことも分かっているので、社会の方できちんとした対応ができるように地道な活動もしているところである。
が、<赤ちゃんポスト>のような制度が浸透しない現状では、なかなか厳しいとも言えるだろうが。
「<赤ちゃんポスト>のような制度が普及したら子捨てが増えるみたいなことを言うのがいるけど、そんな制度があるからって捨てようとする親に子供を任せておくのがそもそも間違ってるのよ。まともに育てられる親ならそんな制度があっても捨てたりしないでしょうね。
育てられないから捨てるんだから。
私としてはむしろ、虐待するくらいならさっさと捨てて私達に預けてほしいと言いたいところね。代わりに立派に育ててあげるから」
そう言う蓮華の言葉に嘘はない。実際にもえぎ園は子供達を立派に育て上げている。児童保護施設は決して親の代わりに子供を育てる機関ではないものの、現実問題として子供を育てられない実の親の代わりに子供を育ててくれる養親を確保するのが難しいという状況がある以上、あくまで臨時の措置としてもえぎ園が親の代わりに子供達を育てるということもする。
蓮華は子供を生むことはできないが、育てることは何より楽しいのだ。
なので、『休め』と言われると逆に困ってしまうのである。




