合理的な対応
以前にも語ったが、もえぎ園には、他の一般的な児童養護施設では対応が難しい案件が持ち込まれることが多い。<普通の対応>で対処できる事例については他の施設が引き受けるので、もえぎ園まではお鉢が回ってこないのだ。
もちろん、もえぎ園でも<普通の対応>で済むのであればそれで済ますこともある。どんな状況にも対応できるということは、当然、<普通の対応>だってできるのだ。単に、それでは済まない案件を扱うことが多いだけである。
しかし、だからこそ厄介な人間と関わることになる事例も少なくない。故に脅迫なども日常茶飯事だった。
そしてそういう輩に対して宿角蓮華は容赦しない。犯罪は犯罪であるとして対処しないと、やってる方はそれを犯罪だと認識できないこともある。また、早いうちに敢えて厳しい対処をすることで、エスカレートする前に本人に気付かせるという目的もある。
自分がやっていることが犯罪であるのだと。
守縫久人の兄である守縫恵人がもえぎ園の事務所に何時間も居座り業務を妨害した件などもそうだろう。恵人に自分のやっていることを理解させるために、敢えて厳しい対処をした。
それと同時に、司法が保護観察処分に留めるというのであれば、基本的にそれに対して異議を申し立てることも滅多にない。
別に被害者として同情してほしいと思っているわけでもないからだ。あくまであれは恵人に自覚を促すことが目的だった。
とは言え、それが上手くいかないこともある。
だがたとえそれが上手くいかなくても泣き言は並べない。自分達の選択に対して責任を負うからだ。
その一方で、脅迫の手紙が届いたのならそれについては断固たる対処をする。
<ただの悪戯>では済ませない。司法で起訴猶予や不起訴処分になるのは構わないが、自分達で勝手な判断はしない。他人を傷付けるための犯罪については容赦しない。
かつての拉致監禁及び暴行の被害を受けた宿角蓮華は、その程度のことでは怯まない。
小さな犯罪を見逃すことでそれがエスカレートして取り返しのつかない犯罪に至る事例をいくつも知っているいるから。
虐待を軽く見て手をこまねいているうちに子供が命を落とす事例もそうだ。そこで容赦なく犯罪として立件し子供を確実に保護しておけば防げたのにと後悔したくはないし、するつもりもないのがもえぎ園である。
その一方で、罪を犯した人間を社会から排除することも望んではいない。
だからこそ<銀朱荘>も存在するのだ。
排除される人間が黙って排除されてくれる訳じゃないことも知っている。
『排除されるくらいならその前に思い切り』と考えるのも人間なのだから。
<人間の心理>というものを理解すればこその合理的な対応である。




