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引き継ぎ

「さて、次の段階に進むとしましょうかね」


乾池初美いぬいちはつみを見送った後、産院の院長である高齢女性が、新生児室代わりに使っていた部屋ですやすやと眠る赤ん坊をを見下ろしながら呟いた。


その部屋に、一人の男が入ってきた。男は、四十代くらいの、きちんとスーツを着こなしたいかにも生真面目そうなサラリーマン風と言った印象があった。


「では、後は私達が引き継ぎます」


男は慣れた手つきで、しかし丁寧に、赤ん坊を起こさないようにそっと抱き上げて部屋を出て、産院の脇に駐車してあった自動車の後部座席に設置されたチャイルドシートに寝かせた。


その際に赤ん坊が少しぐずりかけたが、男が優しくとんとんと撫でるように触れると、またすうすうと穏やかな寝息を立て始めた。


「肝の据わった子だ。きっと強く生きていってくれるだろう…」


チャイルドシートで眠る赤ん坊を見下ろし、男は小さく呟いた。その目は慈愛に満ちていて、我が子を見守る父親の目そのものとも言えた。


それから男は自動車を運転して町の近くまで来て、公園の前で自動車を止めた。すると今度は、白いクーハン(赤ん坊用の籠)を手にした二十代くらいの若い女性が、後部座席へと乗り込んできた。


「この子ですね。可愛い……」


チャイルドシートの中で眠る赤ん坊を覗き込んでふわっと微笑んだ。


「では、よろしくお願いします。あなたは初めてだそうですが、手筈通りにしていただければ何も問題ありません」


「はい、頑張ります…!」


女性は、男の方に向き直って少し力がこもった感じで言った。


「そんなに気負わなくても大丈夫ですよ。と言っても、多少はおどおどとしていただいた方が自然な感じになりますから、そのままでも結構ですが」


男は自動車を運転しながら淡々と話す。


五分くらい走ったところ、今度は静かな住宅街の中で自動車を止め、後部座席の方に回ってチャイルドシートから今度は女性が持ってきたクーハンに赤ん坊を移し替えた。その慣れた手付きに、女性は「はぁ…」と感心したような溜息をもらした。


やはりすやすやと眠り続ける赤ん坊を入れたクーハンを持って、若い女性は住宅街の中を歩き出した。それから何度か道を折れて、住宅街の外れにある産婦人科の看板がかかった医院の裏口へとやってきた時には、夕方とも夜とも言い難い、いわゆる<逢魔刻>や<トワイライトゾーン>と呼ばれる、ある種の不気味さや不可思議さを感じさせる時間になっていた。


すると女性は、赤ん坊を乗せたクーハンを、医院の裏口脇にそっと置き、数瞬、それを見詰めた。女性の目からはぽろぽろと涙が溢れ、「ごめんね…」と呟きながら医院のチャイムを押し、そして赤ん坊を残して足早に立ち去ったのだった。


来る時に通った道順をそのまま引き返し、降りた時とは少し離れたところでまた自動車に乗った。しかしそれは、さっきの自動車とは別の、しかも運転しているのも今度は中年女性だった。


「お疲れさま」


中年女性はそう声を掛けながら、ティッシュを箱ごと涙ぐんでいる若い女性に渡した。


「たったあれだけの間でも、情が移っちゃうよね。そういう人も多いけど、世の中には自分で産んでもそう感じられない人もいるってことだよ。だから私達みたいなのが必要になるのさ。


大丈夫。あとは捨て子として保護されて、<あの施設>に行くことになる。私やあなたがいたあの施設にね。でもそうすることであの子は戸籍を得て、表の世界で生きられるようになる。だからもう心配ないよ」


「…うん…うん……」


中年女性の言葉に、若い女性はティッシュで顔を覆いながら何度も頷いたのだった。





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