ベテランの親
現在の法律では救うことが難しい事例は確かにある。しかしその一方で、現在の法律の範囲であってもそれを厳正に適用すれば救える命もあるのではないだろうか。
要するに勇気を持って適用するかどうかの違いだけだ。
現在、堕胎罪などの適用については、『慎重』と言えば聞こえもいいかもしれないが、実際には『二の足を踏んでいる』状況ではないのか?
しかも、今回のような<小学生の妊娠>ともなれば、
『どうせ育てられないんだから堕胎するべきだ』
という論調が優勢になる傾向にあるのかもしれない。
だが、もえぎ園のようにしっかりとしたノウハウを持ち、かつ確実な支援を表明しているところがあるのであれば、何も法を破ってまで堕胎をする理由はないはずである。
むしろ、法を無視してまで堕胎するべきだというのであれば、もえぎ園の<表に出せない活動>について咎めるのもおかしいだろう。
たとえ今の灯安良と阿礼に子供を育てる能力がないとしても、もえぎ園にはある。そして生まれてくる赤ん坊を育てるだけでなく、灯安良と阿礼に子供を育てる能力を養うノウハウもある。
はっきり言ってしまえば、両親の下に置くよりも間違いなく正しい選択だ。二人の両親には、精々、ペットを飼う程度までの能力と適性しかなかった。故にこのまま両親の下で養育されたのでは、二人にも子供を育てる能力も適正も育たないだろう。
せめて自身にそれがないことを自覚し改めて子供との接し方を学ぶ気概でもあればまだしも、自分のやり方が間違っているなどとは欠片ほども思っておらず、学ぶ気など毛頭ない両親を説き伏せることなど、時間と労力の無駄でしかない。
少なくとも宿角蓮華はそう思っている。
弁護士を立てて灯安良と阿礼それぞれの両親に対し、二人と赤ん坊についてはもえぎ園にて責任を持って預かると告げ、『世間体が悪い』とごねれば、妊娠二十二週以降の胎児の堕胎を複数の産婦人科医に対して持ち掛けた件について正式に告発する旨を告げた。
すると双方の両親は渋々もえぎ園の提案を受け入れ、灯安良と阿礼とその赤ん坊の養育を任せることになった。
ただし、そこで万が一のことがあればこれ幸いと園を責め立てるだろう。そのリスクは当然ある。しかしその程度のリスクはいつものことだ。だから園にとってはその程度のこと、リスクにすら当たらない。
「…よろしく……」
「よろしくお願いします」
こうして、灯安良と阿礼はもえぎ園で養育されながら、赤ん坊の親になるために必要な心構えを学ぶことになった。養親は探さず、あくまで園で過ごすことになる。しかし園には、すでに何人もの子供達を育て上げた<ベテランの親>が何人もおり、その姿を見ているだけでも十分な<勉強>になるだろう。




