負の連鎖
阿礼についても、基本は灯安良と同じだった。阿礼の両親も灯安良の両親と同じで、子供に対する愛情などすっかり失われているにも拘わらずそれを他人に見咎められたくなくて体裁だけを繕っている状態だった。
だから他人からはごく普通のあたたかい家庭のように見えてても実際には機能不全を起こしているのだ。
そして当人達は決してそれを認めようとしない。体裁さえ整っていればそれは<いい親子関係>だと信じ、問題に目を向けようとしないのである。
自分が既に病気に罹っているにも拘わらずそれを認めようとせずに病院に行かない患者のように。
自信を客観的に見るということが根本的にできない人間なのだ。
故にそういう両親を見倣って、妻子を養う能力などないにも拘らずその事実を見て見ぬふりして灯安良と子供を生してしまうという愚かな真似ができてしまった。
灯安良も阿礼も、両親にそっくりだと言えるだろう。
灯安良を診察し、カウンセリングをした幸恵にはそれが痛いほど分かった。自分の両親も体裁ばかりを気にして、何か問題が起こっても具体的な対処ができずにただただオロオロするという人間だった。だから幸恵自身も、レイプをされたという問題と向き合うことができずに誰にも相談できず、自身の体の異変に気付いてもそれに気付かないふりをして結果としてどうしようもなくなってから妊娠が発覚して、十三歳という若さで出産することになった。
自身の家庭の失敗がまったく活かされていない。
これは、
『とにかく体裁さえ整えられていれば良好な家庭と見做す』
という、ある種のバイアスが働いているからかもしれない。
良好な家庭なのだからそこに問題など存在せず、故に教訓として生ばなければいけない点も存在しないと、思考停止に陥ってるのだと思われる。
虐待などの誰の目にも分かりやすい問題だけにしか目がいかず、一見<普通の家庭>のようなところにも実は病巣が潜んでいるという現実から目を背ける大人の姿が、そのまま子供に受け継がれてしまっているのではないのか。
幸恵は、自身の経験からそれを痛いほど思い知らされていたし、宿角蓮華もそういう事例を数限りなく見てきて、自身を正しいと妄信することの怖さを知っているのである。
病院での診察をカウンセリングを終えて帰宅した灯安良の家では、両親は互いにその責任を押し付け合って罵り合うという、もはや様式美のようなやり取りが行われ、灯安良はそんな両親をさらに軽蔑するという負の連鎖に陥っていたのだった。




