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問題と向き合おうとしない姿勢

しかし、灯安良てぃあらのそれのように、他人からは一見して<普通の家庭>に見えるところにも、大きな問題は潜んでいるのである。


でなければ、普通の家庭の子が問題を起こしたりはしない。


当人達が認めようとしないだけで、実際には大きな問題が潜んでいたりするのだ。


そして、その、


<自分達が抱える問題と向き合おうとしない姿勢>


こそが、最大の問題だと言えるだろう。


人間には得意なこと不得意なことがあって、他人には当たり前にできることでもできない人にはできなかったりするのだ。


『子供と向き合う』


ことや、


『子供の話に耳を傾ける』


ことも、できない親にはできないのだ。しかも、えてして『自分は親としてちゃんと努力をしている』と思い込んでいる親は自身にそれができていないことを認めようとせず、認めないから自分にできない部分を他人に補ってもらうこともせず、自分だけで解決しようとしてかえって問題を拗らせ、そしてどうしようもなくなって問題が表面化してから慌てるのである。


さらには、


『自分はこんなに努力しているのに!』


と、被害者面までして。


これは、病気に罹ってもそれを軽く見て医者に診てもらうことをせずに放置したり、ほぼただの<おまじない>に等しい民間療法で治そうとして、手遅れになってから慌てるというのに似ているのかもしれない。


子供の場合は、問題行動に走ったり、実際に事件を起こす、ということだろう。


病気の場合で考えてみれば分かりやすいのではないか? 症状が出ているのに放置したり、適切じゃない民間療法や自己流の対処法で治そうとして悪化させるという。


『自分にできないことがある』


『自分のやってることは実は適切じゃない』


その現実と向き合う勇気がないからこそ失敗してしまったし、親のそういう姿を真似たからこそ、子供も間違ったことをして、しかもそれを改めようとしない。


灯安良てぃあらの場合も、まさしく彼女の両親にそっくりではないか?


自分達が親としての適性に欠けているという事実から目を背け、ただ自分のやり方が正しいと妄信しているその姿が。


まだ小学生であっておよそ<親としての適性>に欠けるという現実から目を背け、家族さえできれば何とかなるという根拠のない思い込みを正しいと信じ疑わないというその姿勢が。


実は、<もえぎ園>の園長、宿角蓮華すくすみれんげは、その尊大な態度からは信じられないかもしれないが、彼女は『自分こそが正しい』とは思っていないのである。


自分が正しいと思っていないからこそ相手の反応をよく見て常に最適な対応を模索するのだ。



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